第24話 真実【1】

「色々と事が進む前に俺をヴィンセント家に預けたまでは良かった。……ですが、そうしている中で、一つ事が進んでしまったんですね」

 カロムは母親の面をしているエリザベスに切り込むように話を続けた。彼女はまた一つ頷いた。

「ええ。そうです。私の腹にいた子は二人。……つまり、ジェラルトとなる子供の他にもう一人いたはずなのです」


 エリザベスは瞼を伏せる。カロムはその瞼の裏に、もう一人の子の顔を見ている姿に見えた。


 むず、とカロムの胸の内に重たい鉛のような居心地の悪いものが生まれた。

 これ以上のことをエリザベスに語らせる気にはならず、罪悪感に近しいものを持った。


 カロムは彼女から、ヴァルゼルとセルラルドの方へと言葉の矢の向きを変えた。


「……どうしたのですか。貴方と彼女の間に出来た、ジェラルトではない子を」


 その答えがどれだけ残酷なものかは、既にカロムは分かっていたが、言質を取らなければ、それを真実であったとは言えない。

 ただの彼の妄想の内で終わってしまう。

 ヴァルゼルは「くっ」と何かを噛み締めた声を漏らしながらも、口を開こうとはしなかった。

 ならば、と次に口を開いたのはルチアーノであった。

「お父様。貴方も知っていますよね? もう一人の子が何処にいるのか、どう、なったのか」

 ヴァルゼルからセルラルドへと相手を変えた。しかし、彼も口を開こうとはしなかった。


「まだ、自分の地位や保身が大事ですか。……お父様。私は言ったはずです。信用、信頼はなくとも、私は貴方を尊敬していると」


 ルチアーノは実の父を責めるように吐き捨てる。

「…………娘からの尊敬は、要りませんか。国の裏でコソコソと隠し事ばかり肥やす方が楽しいですか」

 矢を刺しているような物言いに、カロムは少し驚く。

(本当に、酷い娘だ)

 そう思いながらも、彼女の言うことを否定する気にはならなかった。それを彼らのしていることに間違いはないのだから。

 セルラルドはルチアーノをチラリと覗くように見てから、俯いて何度か息を吸い、吐くを繰り返す。娘からの突き刺さる言葉を得て、ようやく重々しく口を小さく開け始めた。


「……双子の、一人……は」

「っ! ガーネット!!」


 セルラルドの言葉を遮り、ヴァルゼルは荒々しい怒鳴り声を撒き散らした。一度それに恐れをなしたように詰まらせたが、数秒考えた後に再び、唇を震わせながら喋り始める。

 その時、セルラルドの脳内には天秤があった。

 ルチアーノからの僅かに残された敬意を取るか、自分のことも、ルチアーノのことも蔑ろにする言葉を放ったヴァルゼルとの関係を取るか。


 天秤が傾いたのは、娘から残された尊敬の想いを取り留めることであった。

「っ、生まれ、間もない頃に、頭を……っ」

 カロムとルチア―ノは、顔を青ざめた。

 酷な言葉が返ってくることは承知していた。きっと赤子ながら亡き者にされたのだろう、という想像は二人とも持っていた。


 生まれたばかりの赤子は、どこも柔く、脆い生き物だ。


 ルチアーノは少しだけ震えた手で口元を覆う。頭を潰された赤子を想像してしまったのだろう。

 想像は想像に過ぎない。その現場でどうなっていたのかは、二人には分からない。

 それでも、それを自分たちが出来るとは思えないくらいには、残虐なものであることは確かであった。

「……それは……」

 カロムは口を割ったセルラルドに尋ねようとしたが、すぐそこにいる彼の娘の青い顔を見て言葉を躊躇った。

(自分の父親が、頭を潰した本人かを知るのは、あまりに酷な事か)

 必要な事実は聞くべきだ。しかし今、誰が赤子を殺したか、を明確にすべきか。


(……確かめない事実が、あった方がいいのかもしれないな)


 出会ってからルチアーノが、こんなにも弱々しく見えたのは初めてであった。それを追い立てる気にはならなかった。

 カロムは一度、息を吐く。そして仕切り直そうと、話を少し変える。


「……ジェラルトが、癇癪を引き起こすのは幼少期の頃から、とエリザベスに聞きました」

 場の凍り切った空気に、一つ話題を出すカロムは、ヴァルゼルを見た。

 それに気付けば、眉を顰め、冷や汗をかいているヴァルゼルも、カロムを見返す。

「その起こす頻度が増えているとも聞きました。その時、彼女は『時期も時期だから』と言いました。それが、国王交代日が迫っているから、ということはすぐに分かりました。精神面で不安定になっているのだろう、と。……ですが、幼少の頃からのものは何だったのか、それが疑問に残りました」

 独り言のように、カロムは喋っているが、目はずっとヴァルゼルだけを捉えていた。


「癇癪時の彼の言葉。普段の彼とはまるで違っていました。それに、剣を振るった時も、紳士とも思えた彼の姿はなく、男の俺やデリーではなく、彼女に矛先を向けました。……こればっかりは、根拠や証拠が見つかる訳ではありません。……全て、彼の中に隠れてしまっていますから」

 そう伝えると、ヴァルゼルは眉間に寄った深い皺をピクリと動かした。それを見て、カロムは「ああ」と少し呆れた。


(気付いていない。愛したと言ったはずの息子の容態から目を背け続けていた、ということだろう)


 先程の言葉が馬鹿馬鹿しく思えた。『愛する息子』なんて、口だけに過ぎない、と。


「人は、稀に心の内に違う人間の人格を持つことがあるそうです。きっと、幼い頃からジェラルトもそうなのではないですか」

 話にならないと思い、今度は知っていそうなエリザベスに問いかける。

 ジェラルトはエリザベスの息子であることに変わりはない。彼女ならば何か気付いているかもしれない、そうに違いないとカロムは考えていた。


「……彼、ジェラルト自身には癇癪時の記憶がない。そうなれば、誰も真相は分かりません。ただ、私は、そうなのだと思っています。国王交代を間近にして頻度がそれまでよりも増えたこと。彼自身がそれから目を背けたいのか、それとも……、中にいる誰かが、彼を国王にしたくないか」

「中にいる……?」

 エリザベスの見解に、ヴァルゼルはポツリと一つ呟く。

 それに対して、エリザベスは強い瞳をヴァルゼルにぶつけた。それは恨みと憎しみを込めた眼差しであった。

「これは私の想像に過ぎません。が、彼の中にいるのは、貴方がたに頭を潰された、私の子だと、思っています」

「っ!」

 ヴァルゼルとセルラルドは表情を一度強張らせ、固まった。そして物言いたげに唇を開閉したが、そこから漏れるのは荒い呼吸音だけであった。

 二人は互いの顔を見合い、気まずそうな顔を浮かばせた。


「知らないでしょう。あの子がどんな状態になっていたか。何かに取り付かれたようにのたうち回る様を。心の底から泣き叫びたがる悲惨に縋りつく声を! 何故なら貴方がたは見て見ぬ、聞いて聞かぬ振りばかりしていたのですから!」

 言葉の節々で口調を強める。力を込めると同時に、エリザベスはじわりと瞳を揺らす。零れそうで零れない水を溜めていく。

 カロムは彼女の様を見て、場に似合わずジェラルトを羨ましいなどと考えていた。

 母親のような姿を見せるエリザベスの横に、水気も抜かれた車椅子に座る自分の実母であるシャロンに目を移す。

 彼女はその視線にも気付いていない。エリザベスが静かながら怒りを表すような声も、彼女の耳には届いていないのだろう。


 カロムが静かに瞼を伏せた。考えても無意味なことであり、羨ましいなどと思うことも非常識なような気がしたのだ。

(名も与えられないまま殺された人間と、それの人格に憑依されたことも知らない人間のことが羨ましいなんて)

 エリザベスの腹から生まれた二人が幸せだった訳でもない。むしろ不幸だと言えるだろう。

 それでも、カロムにとっては実の母親に愛されている、その事実が羨ましく思えてしまったのだ。

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