第20話 罠

「連れて参りました。かの者です」


 王宮内一の大きな扉を前に、そう言葉をぶつけたのはルチアーノであった。彼女の後ろには、両手首を背中につけ、紐で結ばれた囚人のような少年が一人立っている。


 彼女の声に返すように「入れ」と、短く告げたのは彼女の父、セルラルドであった。


「失礼いたします」

 礼儀良く、一礼をしてからルチアーノと少年は、室内に足を踏み入れた。

 そこは王宮内一広々としている空間であった。その奥で真っ直ぐ立っているのは黒い軍服のようなものを身に纏うセルラルド。


 そして、更に奥には、赤いフカフカとした玉座にヴェルゼル=ヘリヴラム王が偉そうにして座っていた。厳格とした表情。それは何かに憤怒しているような気がしてならなかった。

 ルチアーノは扉を閉めれば、静かに一歩、また一歩と二人に寄る。それに従うように、後ろの少年も足を進めてきた。近寄りはしたが、その間はかなり空いていた。

 一定の距離を保ち、ピタリと決められた場所でルチアーノは足を止める。

 そうすれば、後ろで黙りっぱなしの少年も足を止めた。


「ルチアーノ。それが例の下っ端か」

「はい。私の下っ端……及び、護衛の者です」

 親子でありながら、二人の上下関係はしっかりとしているものであった。上の身分のような態度を示すセルラルドと、従者のようにするルチアーノ。

 それだけ言葉を交わし、目を合わせるとすぐにルチアーノは、後ろの少年に振り向き、床に膝をつくように命じた。それに少年は、一切の反抗を見せなかった。


「呼ばれた理由は分かっているな?」

 高価な玉座に座り、ふんぞり返るヴァルゼルは、冷たく少年に問う。

 少年は特に返事を口にはしなかった。

 交代の儀を控えながら、致命的な状況を良く思っていないヴァルゼルの機嫌を更に損なた。太く凛々しい眉をピクリと曲げ、眉間に深い皺を作る。

「我が子、次期国王となるジェラルトに傷を負わせた。これがどれほどの悪行か理解しているのか」

「……」

 何を、どれだけ口調を強めて脅すように問いかけようと、少年は下を俯いたまま口を開こうとはしない。

 処分に恐れ、言葉も出ないと判断したヴァルゼルは、「ふん」と鼻息を鳴らせば、もういいと処分を下そうとする。

「貴様如きの下民が、愛する我が子を傷つけたとはな。腹立たしい」

 小言のように怒りに任せ、吐けば、処分を言い渡そうと、空気を一度吸った。


 そんな時であった。一人が小さく息を殺すような声で笑った。


「……何が、おかしい?」


 ヴァルゼルの怒りの沸点に到達したようだった。

 笑ったのは間違いなく、何を尋ねても口を開かなったはずの少年であった。ようやく声をあげたかと思えば、それはヴァルゼルを嘲笑するかのような笑い声であった。

 怒りと疑問が入り混じったヴァルゼルは、低い声で少年に尋ねる。

 また少年は、問いかけに答えようとはしなかった。無言で数秒経てば、ヴァルゼルは、輩のように舌打ちをした。


「もういい。お前なんかに時間を割くのも馬鹿馬鹿しい。死ぬまで牢獄で――――」

 呆れと怒りに任せたヴァルゼルは大きく溜息を吐いてから、もうこの場を切り上げる言葉を紡ごうとした。


(ああ。殺されは、しないみたいだな)


 途切れた一言の最後の部分を耳にすれば、少年は内心そう思った。

 そして俯き、ヴァルゼルから隠すようにしていた顔に不気味な笑みを浮かべる。



「――愛する、我が子、ですか」


 ヴァルゼルとセルラルドが少年のしっかりとした声を聞いたのは、これが初めてであった。

 処分を恐れ、震えた声でもするのかと思えば、それはまるで人を馬鹿にしたように笑ったものであった。

 俯いていた少年は徐々に顔をヴァルゼルの方へと上げていく。ヴァルゼルが最初に少年の瞳を見て感じたのは、苛立ちであった。


「なんだ、その目は。下民の分際でこちらを馬鹿にしたような目を向けるな」

「下民、そう。俺は下民でしょう。アンタのように金のある王家などで育ってはいない」

「ふんっ、何を分かり切ったことを口にするか」

 国の王をアンタ呼ばわりし、敬意なんて払わない言葉遣いをする。


「……だけど、俺とアンタは初めまして、ではないはずだ」


 垂れた前髪の隙から覗いた黒い瞳。顔を少し斜めに傾かせ、尋ねるような動作を見せる少年。


「頭がイカレているのか。初めましてではない? 残念だが、お前のような身分の者をわざわざ目に入れることも、覚えておくこともしない。お前が遠巻きに外野から私を見ていただけだろう」

 嘲笑し返すようにヴァルゼルは腕を組んで、そう答える。すると少年はまた笑う。

「違う。見ていたのはアンタだ。俺はアンタの顔なんて覚えてはいなかった」

「意味の分からないことを言う男だな。そんなことある訳ないだろう。それとも、今更処分に怖気づいたか? 話をどれだけ逸らそうと未来は変わらんぞ」

「……きっとアンタは覚えているよ。何せアンタの人生を変えた人間の一人なんだから」

「はっ、何を言い出すかと思えば。そんなことある訳ないだろう? 下民如きに私の何を変えられるという?」

 ヴァルゼルは吐き捨てるように少年を見下し、そう告げる。

 ルチアーノは、ただ目を伏せて両手を重ねて、静かにしているだけだ。少年の口を塞ごうとはしない。

 セルラルドはヴァルゼルの言葉を遮る訳にもいかず、何か少年に叱咤したいようであったが、それが出来ずもどかしそうな面をしていた。


「――――アンタの人生が狂ったのは、二十年前のことだ」


 少年は全て知っているようにして、口を開いてヴァルゼルの人生について語り始めた。本人を目の前にして。

 それに対して、素早くヴァルゼルは先程のように言葉を発することは出来なかった。その言葉を抑え込んだ表情は、少年の言葉を肯定しているものと同じだった。


「王宮内は騒ぎになったでしょう。そりゃそうだ。次期国王となる器が生まれたんだから」


 少年はヴァルゼルから目を逸らし、斜め下を向いて懐かしそうにする表情を浮かべた。

「生まれた。それは良かった。しかも、男だ。……だが、その騒ぎの中に喜びの声はなかった。そうだろ?」


 ヴァルゼルは歯を強く噛み締めていた。額から汗が流れ、決まりの悪い顔をする。

 チラリとルチアーノは、実父の顔に目をやると、セルラルドはゴクリと喉仏を大きく揺らしていた。それを見て、彼女はまた目を伏せる。

「お前、何を知っている……」

「……やっぱりそうなんだな。知っていた訳ではない、俺の中にあったのは一つの仮定でしかなかった。でもアンタたちの顔とその言葉で確信した」

 少年は渇いた笑いをしてから、「ふっ」と小さく吐息を漏らす。彼の顔は何処か朗らかであった。それがヴェルゼルとセルラルドには、大きな恐怖を与えた。

「っ! おい、ルチアーノ! この下民の口を……」

 セルラルドは娘に少年を黙らせるように命じた。しかし、ルチアーノは瞼を閉じ、まるで寝ているようで、動こうとはしなかった。

「……お前、一体……」

 先程までの勢いを無くしたヴェルゼルは、少年の正体を尋ねた。


「……アンタは自分の子供を愛しているんだろう? じゃあ分かるはずだ。それとも、ジェラルトだけが特別か? ……あの日、生まれた《三人》の子供の中で、あいつだけが」



 二十年前に王宮に響いた赤子の産声。

 しかし、煩い。煩過ぎた。

 何せ、三人の赤子がその時王宮で泣いていたのだから。


「な、なんで、それを……」

 ヴァルゼルよりも先に、セルラルドが震えた声を出した。

 その声にルチアーノはまた、実父に目をやる。

「……やはり、お父様も知っていたのですね。二十年前に何が起きたのか」

 冷淡なルチアーノの声は静かに室内に響く。セルラルドは娘の冷たい視線を浴びることになった。

「ルチアーノ……、お前」

「お父様。私は貴方を尊敬しています。表面上私が幼少期からずっと見てきた貴方の働きぶりは、誰よりも尊敬できるものでした。この言葉に一切の偽りはありません」

 本当に二人は家族なのか、と他人には思えてしまう程、ルチアーノの向ける視線は冷たく鋭かった。


「尊敬は、しています。……しかし、信用や信頼はしていません」

「る、ルチアーノ、お前は一体何を」

「ジェラルト王子の癇癪に関して、危険なものであるとお父様も十分に知っていたでしょう。確かに、付き人に名乗り出たのは私です。……お父様が護衛付きであれば構わないとしてくれた時、安心しました。彼をここに連れて来れる理由が出来たことに。ですが、同時に危険な場所であっても、私を送り込めた。私が危険に晒される可能性が僅かにはありながらも、それに平然と頷いたことに私は驚いたのです」

 ルチアーノは一気に少女が泣いている表情へと顔を変えた。

「身を案じて、それでも危険な場所へは行かせない。そう、して欲しいと思っていた子供じみた私も、心の何処かにいたのです」


 愛娘であるから護衛を付けるのではない。

 愛娘なのであれば、何があろうとも、こんな危険な場所には入れる訳がない。

 彼女は作戦としては上手くいっていたこの出来事を良く思い、自身の心は実父にその程度の存在として認識されていたことで、傷を負っていた。

 悲しむ少女の顔を引っ提げていたが、また一瞬にして、いつも通りの涼しさを感じる表情へと戻った。そして、小さく息を吸い込む。


「娘の身を自身で守ろうともしなかった貴方よりも、傷を負い、身を挺してまで私を助けてくれた人間を信用するのが当然でしょう?」


 実父にすらも彼女は、冷たく微笑んでそう告げた。彼女は追いうちをかけるように開いた口を止めなかった。



「私は、彼、――――カロム=ヘリヴラムを信用しています」



 ピタリと時間が止まったように、彼女の一言で、目の前で偉そうにしていた男二人の表情は固まった。一言、というよりも、少年の名前が彼らの顔を固めたのだ。

 囚人のように床に座り込んでいた少年、カロムはゆったりと身体を揺らしながら立ち上がった。


「覚えておりませんか? 貴方たちと俺は初めまして、ではないでしょう?」


 笑った表情は見合う大人二人を恐怖へと陥れた。


「カ、カロム……ヘリヴラム……?」

「ま、まさか、お前っ!」


 ヴァルゼルとセルラルドの驚きで強張った表情を見て、カロムとルチアーノは、どちらも悪い笑みを浮かべた。

それは悪戯っ子などという可愛いものではなかった。


「カロム=ヘリヴラム。……そして、カロム=ヴィンセント。ヘリヴラム王。俺はアンタとシャロン=ヴィンセントの間に生まれた子供だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る