三分の永遠~過去に囚われし男の旅立ち~

ケロ王

KAC20241 緊急事態

山田太郎には三分以内にやらなければならないことがあった。


彼は、今日実家に帰省するために、電車に乗っていた。

僻地の、まもなく廃線になるのではないと思われるような路線のため、現在時刻はまだ午後五時にもなっていないにも関わらず、既にこの電車が終電であった。

そんな電車の中には、車掌を兼ねた運転手と彼の二人しか乗っていなかった。


路線が単線のため、電車は途中の駅ですれ違いのために停車しており、あと三分で出発するというアナウンスが流れていた。


そんな電車の中で、彼は大いに迷っていた。

今の状況を考えたら、出発までの三分以内に彼は、そのことをしなければならないし、もし、それをしなければ、一時間近くも大いなる苦痛を味わうことになる。

それだけならまだしも、最悪の場合は、一生を後悔するような哀しみの運命を背負うことになることを直感で理解していた。


その一方で、この駅は彼にとっては完全なアウェイであった。

もちろん、彼の田舎はこの先にあるのだが、だからと言って、途中の駅で降りることなど、あるわけもなく。

当然、このホームの先に何があるのかは、彼の知識の範囲外であった。


もし、仮にそうであったとしても、この電車に乗っているもう一人の人間、運転手に尋ねればいいのだろう。

しかし、その選択肢を取るのは躊躇われた。

そもそも、田舎の人間は噂好きである。

彼もかつて、些細なことが近所の人間にバレたことがあり、それを針小棒大に広められて恥ずかしい思いをしたことがあった。

そのことがあって、彼は高校卒業と同時に田舎を出て東京の大学へと通い、そして東京の会社に入ったのである。


田舎の人間に弱みを知られてはいけない。

それは彼の強迫観念ともいえた。

ゆえに、彼は「やらなければならないこと」について、運転手に尋ねるべきか大いに迷っていたのである。


迷っている間にも、出発時間は刻一刻と迫り、残された時間は二分を切っていた。

経過した一分の間に切迫した事態は急展開を見せ、もはや一時間どころか五分すらも持たないように思えた。


そして、残り一分を切った時、彼は想像していた以上の危機的状況に置かれていた。

もはや予断を許さない状況に、彼は過去の恐怖を押し殺して運転手の下へ向かう。


そして一瞬の逡巡ののち、ゆっくりと口を開いた。


「すみません、お手洗いはどこでしょうか?」


二人の間に落ちる沈黙は、1秒が1分にも1時間にも感じられた。

そんな沈黙を破ったのは運転手であった。


「ああ、さっきから変な動きしてるなーと思ったらトイレ行きたかっただけかぁ。ホームの階段上がってすぐ右にあるでな、ゆっくり言ってきてええで。どうせ終電だしな、数分遅れても問題ないでよ」


彼は、運転手のやさしさに感動し、瞳を濡らした。

そして、安堵した瞬間、ズボンも濡れていた。

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