第2話 交流する
「そう、ですね」
清美は思ってもないことを言った。
もう気が済んだので、視線はもう対岸の明かりへと移っている。
そんなことはお構いなしに、男は頬を染めながら言葉をつなげた。
「俺、実はペンギンなんです。ですが今ちょうど陸に上がるのに失敗しまして」
「え、そうなの?」
清美は思わず相手に聞き返していた。
それもそのはずで。
彼女のようなペンギンは、十年ほど前に亡くなった母以外もう長いこと見ていなかった。
恐らくあなたが最後のペンギンよ、と母は言っていたが、どうやらそれは自分達が暮らす川の流域だけだったようだ。
「ペンギンの姿にはなれるの?」
「陸に上がるのに失敗すると、人の姿のままなのです。あなたはそうならないのですか?」
「ええ。だって陸で人になったことなど一度もないもの」
「そうなのですか」
彼女はまだ怪しんでいるのか、さらに質問を続けた。
「いつもはどこに住んでいるの?」
「ええと、海の中なのですが、ここよりだいぶ沖に出たところですね。あなたはどこに?」
「私は、海じゃなくて川なの」
「そうなのですか! 俺実は一度川に行こうとしたことがあって。けど水の種類が違うようです、とてもじゃないけど行けなくて」
その話に、清美は自分もやってみたことがあるのを思い出した。
「私も川から海へ行こうとしたことがあったわ。けどとってもしょっぱくて、泳げなかった。一緒ね」
男は上体を起こした。
清美は彼の正面、ちょっと離れたところへとしゃがんだ。
「あなた、お名前は?」
名前を聞いたその後、言葉を二、三かわして、清美は
別れの挨拶は「またね」にして。
これが、
※ ※ ※
「今日はわかめの香草焼きよ」
あれから清美は、夜ちょこちょこと佐久朗のところへと通っていた。
同族ということもあるだろう、気やすさからお弁当まで持参している。
「いつも、ありがとうございます。でも毎回いいんですか? 一緒に食べる人がいらっしゃるんじゃ……」
出会った砂浜の波のこない場所で、拾ってきた大きめの流木に腰掛けながら、佐久朗が聞いてきた。
「いいのよ。母がいたんだけど、死んでしまって今は一人きりなの。気のいい釣り人のおじさんたちもいるにはいるけど、同族ってわけじゃないからやっぱり、ご飯に誘うには気が引けちゃって。佐久朗は一緒に食べるの、嫌だった?」
清美は急に不安になった。
同族だからと焦って距離を縮めてしまおうと思ったことが、見透かされているみたいで、恥ずかしくもなって。
お弁当の蓋を開けきろうとした手が止まり、戻っていく。
その手を止めたのは佐久朗だった。
「いえ、とても楽しいです! お弁当は美味しいし……清美さんの話も、とても安らいだ気持ちになるんです」
今日も美味しそうですね、と続けながら、佐久朗は蓋を開けきるとまるで星がきらめくような顔を見せた。
清美は何かガラス玉のようなとてもきらきらしたものを見つけたような気持ちがして、頬を染める。
さざ波が、二人を静かに見守っていた。
清美は来る日も来る日も、佐久朗のためにせっせとお弁当を作っては浜辺へと通った。
家にお伺いしましょうかと言うと、決まって言葉が濁るから、何か事情があるのだろう、と思ってそれ以上は尋ねず砂浜での逢瀬を楽しんでいた。
その日もそうだった。
「今日はちょっと早めにきすぎちゃったかしら。そうだわ、たまには驚かしちゃうのも、いいわね」
清美はお茶目ごころが疼いたので、物陰に隠れることにして、ちょうど流れ着いていた大きな浮きの群れの中に身をまぎらわせた。
息を潜めて、佐久朗を待つ。
するとどうしたことだろう。
川向かいの護岸の上に、足がすらりといつも通りの彼が、ザブンと入水し泳いでこちらへとくるのが見えた。
「……どういう、こと」
思わず呟き、隠れるのも忘れて、清美はふらふらとこちら側へやってきている彼の方へと歩みを進めた。
歩いてくる彼女を見つけ、佐久朗の泳ぎが止まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます