伝承者の嘆き ー Relayer's Lament ー

水円 岳

第一話 王に挑む

 ワスルには三分以内にやらなければならないことがあった。いやもっと正確に言えば、三分以内に殺らなければならない者がいた。無敵と崇めたてられているワスルであっても、同等の腕を持つ敵と丁々発止やりあえば三分では片が付かないかもしれない。だが、三分を一秒でも過ぎてしまうと即座に敗死するだろう。どうしようもなく致命的な呪いがかかっているからだ。


『戦闘時間が三分を過ぎると、全ての記憶を失う』


 己が誰であるかすらわからなくなれば、その時点で単なる木偶の坊だ。戦っていたことすら思い出せずに即頓死する。かけられた忌まわしい呪いを解くためには、呪いをかけた敵と戦い、三分以内に滅さなければならない。


 ワスルは至高の剣士になることを誓った。極限まで己を鍛え上げ、どんな強敵が相手でも三分以内に倒すしかない、と。どれほど鍛錬を重ねても、決戦時に与えられるときはたった三分しかないのだ。

 幸いなことに、ワスルには最初から達人エキスパート以上の剣の才能が備わっていた。鬼の一念岩をも通す。類稀なる才能を血の滲むような修行で鍛え、高め、研ぎ澄まし、いつしかその剣技はどのような難敵をも一斬で退ける域へと到達した。瞬殺のワスル、この世に比肩する者なき剣豪と誰からも称賛されるようになった。

 どれほど剛の者であってもワスルの名を耳にしただけで逃げ去るようになり、ワスルと対等に戦える剣士はもはや存在しないように思われたのだが。ワスルの前に立ちはだかる最後の大きな障壁が、ワスルに呪いをかけた仇敵……セイムの王だった。


 セイムという名の洞窟。その奥に潜む魔物には名がなく、強大な魔力と戦闘力を備えているとされながら洞窟の外に出たことは一度もなかった。世の人々はその魔物をセイムの王と呼び、崇め奉る者もあればひどく忌み嫌う者もあった。セイムの王は、誰も倒せない強大な魔物としてあまねく喧伝され、征服欲に駆られて数多あまたの勇者が討伐に向かったものの、その誰一人として戻ってこなかった。それゆえ、セイムはいつしか侵すべからざる禁忌の洞と見なされ、洞の入り口は分厚い鉄扉てっぴで堅く塞がれた。その閉ざされていた扉が、稀代の名剣士ワスルによってついに開かれようとしていた。


◇ ◇ ◇


「ワスル。行くのか」

「行く。時は満ちた」


 至高の剣士を目指すワスルの鍛錬に協力していた盟友のウインチェスが、旅立ち前のワスルを訪ねた。止めても無駄だということはもうわかっていた。それでも、最後の最後まで引き留めるのが友というものであろう。

 魔物を討ち取って帰還できればいいのだが、踏み入ったものが誰一人戻ってこない還らずの洞だ。洞の中がどうなっているのかは誰にもわからない。どれほどワスルが凄腕であっても、単騎で踏み込むのは匹夫の勇だとしか思えなかった。ウィンチェスは何度も隊を組むことを勧めたが、ワスルは頑として首を縦に振らなかった。


「隊を守らねばならんと、三分で片が付かなくなる」


 ウインチェスは、ワスルにかかっている三分の呪いのことは知っていた。だが、以前からずっと釈然としなかったのだ。


「なあ、ワスル。お主の三分の呪い。それがセイムの王にかけられたものだということを、なぜ知っているのだ」

「……」

「もしおまえが王に敗れて呪いをかけられたのなら、剣技しか使えぬおまえには最初から勝ち目がない。敗死するか更なる呪いをかけられるだけだろう。それなのになぜ挑むのだ。俺にはどうにも解せぬ」


 ワスルにも勝ち目の薄い挑戦であることはわかっている。だが課された過酷な試練と戦わずして敵に背を向けるのは、プライドがどうしても許さなかった。


「お主が気遣ってくれたことには大いに感謝する。だが、俺は運命に挑まねばならぬ。勝つにしても敗れるにしても、だ」

「……そうか」


 もう何も言うまい。ウインチェスは友の武運をひたすら祈るしかなかった。


◇ ◇ ◇


 ワスルが踏み込んだ洞の中はほの明るく、路側におびただしい死骸が転がっているものの、それらに紛れて魔性のものが潜んでいる気配は感じられなかった。もっとも、何がワスルの前に立ちはだかったとて瞬時に斬り捨てられただろう。

 ワスルは死骸に気をとられることなくひたすら洞の再奥を目指して突進した。洞には岐路がなく、再奥に向かってひたすらまっすぐに続いている。ワスルは、己にかけられた呪いのことを片時も忘れたことはない。もし洞に踏み込んでからが戦闘の始まりならば、王にたどり着くまでの間の時も容赦なく奪われてしまうのだ。能うる限り風のように疾く王の間へ!

 あっという間に再奥にたどり着いたワスルは、広間の王座に甲冑で身を固めた剣士が座しているのを認めた。


「おまえが王か!」

「いかにも。待ちかねたぞ、ワスル!」


 交わされた言葉はそれだけであった。立ち上がった王は手に持っていた砂時計を回転させ、それをワスルに見せつけるように翳した。言うまでもない。ワスルに残り時間を示すためだ。今こそ王を倒し、呪いを解く!

 減っていく砂は、すなわち命脈の残余。だが、ワスルには砂の残量を確かめる暇などなかった。運命の戦いの火蓋は今まさに切って落とされたのだ。


 ぎん! ぎしん! がっ! 激しい剣戟の音が薄暗い広間で反響し、鉄の焦げるきな臭い匂いが剣にまとわりついた。

 ワスルは、王がこれまで戦ってきた誰よりも優れた剣技の持ち主であることを思い知らされた。一瞬でも気が緩めば断ち切られる。だが、攻めるにしても受けるにしてもただ剣を打ち合わせているだけならば、三分はあっという間に過ぎる。

 ワスルは覚悟を決めた。よくて相打ち。仕方なかろう。どれほど剣技を磨いても、この王を瞬時に打ち果たすほどの高みに達することはできなかったのだ。ならば我が身を顧みず、全身全霊を込めた一太刀を浴びせるしかない。

 砂の残りはほんのわずかだった。一瞬の間があって、ワスルは乾坤一擲の突きを繰り出した。王も同じ姿勢で突き通しに来る。いずれか早く剣を送った方が急所を突ける。二者の剣は交わらず、そのまますれ違った。


 ずん! 鈍い音が響き。ワスルの剣が王の急所を貫き通した。だが、王の剣もワスルを深々と抉っていた。


「見事だ。お主が王だ」


 絶命する前に呟いた王は地に倒れ伏し、動かなくなった。ワスルはまだ辛うじて息をしていたが、もう長くはないことを悟っていた。王と戦い、呪いから解き放たれ、自由になったのだ。自由を謳歌する時が残されていないことに心残りはあるが、自ら選んだ結末に心残りはない。だが……。


 ワスルは奇妙なことに気づいた。王の剣に貫かれてたおれるはずが、なぜかまだ生きている。しかも、いつの間にか甲冑を身につけている。三分の呪いによる不利を速度で跳ね返すため、ワスルは常に裸体に近い格好で戦闘をしていた。甲冑など一度も身につけたことはなかったのだ。それが……何故に?


 慌てて、倒れ伏している王の死骸に目を落とす。甲冑を失って裸体になっていたのは……己の姿だった。


「ど……どういう……ことだ!」


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