第3話
夏休みに入ると、高橋さんのことを思い出す暇がなくなるくらい忙しかった。
高校に入っても宿題は出るものだと気づいていたから、早いうちに自分の力で片づけた。こういう時に顧問の先生の教えが利いてくるよ。
その一方で、気がかりなことがあった。そう、幼なじみの柚希のことだ。
夏休みに入ってから、柚希の部屋が空っぽの日が目に見えて多くなった。最初は友達の家へ遊びに行ったのだろうと思っていた。一体何があったのだろうかと思っていたら――。
「私、同じ部活に居る
おとといの午後、近所の公園に呼び出されて柚希から告げられた。
沼倉とくれば、顔が韓流スターのような美形で女子受けする奴じゃないか。しかも、夏の甲子園の予選会では女子生徒たちからもちやほやされていたという――。
いつもは「他人は他人、自分は自分!」と思って細かいことは吹っ切ろうとしているはずなのに、なぜか吹っ切れずに今日を迎えてしまった。
「はぁ……、嫌だなぁ、朝練。おとといのことがあるから、行きたくないなぁ」
朝一番で昇降口に到着するなり、いつも一緒に練習している部長に「今日は朝練に参加できません」と
部長からは「無理するなよ」との返答を貰い、僕はすぐさま自分の教室へと向かった。
案外、教室には僕以外は誰も居なかった。
「沼倉のやつ、よりによって柚希と……。『他人は他人、自分は自分』と思っても、こればかりはへこむわ……」
クラスメイト達が来るのは、たいてい朝の予鈴が鳴る十五分前頃だろう。それまでは、ここの教室はほぼ無人だ。
朝のホームルームまではやることが何もない。あったとしても、寝ることくらいだ。
僕はカバンの中の荷物を自分の机にぶち込むと、机の上に突っ伏した。
「この街に居ること自体憂鬱だよ。地元の大学への進学を取りやめにして、いっそ東京の大学を狙うか……。そして、向こうで就職して向こうで一生を過ごしたほうが――」
顧問の先生と柚希には申し訳ないけど、吹奏楽部も辞めよう。あの時のようにチアリーディングチームの子に声を掛けられることはなくなるけど、仕方ないさ。
中学校時代の知り合いも居ないし、柚希以外の女子を全く知らない僕にとっては、なおさら――。
「ユータ」
……誰だ、僕のことを名前で呼ぶのは?
「ユータ、ユータったら」
うるさいなぁ、僕の体を揺すらないでくれよ。
「ユータ!」
「うわぁっ! ……なんだ、小泉さんか」
「なんだとは何よ。いつもは吹奏楽部の朝練に出ているのに、どうして今日は朝早くから教室に居るのよ」
小泉さんはチアリーダーが構えている時のように腰に手を当てて、少し前屈みになって僕の顔を覗き込んだ。
「そっちこそ、軽音楽部だけでなくチアリーディングチームにも入っているんだろ。朝練はしないのか」
「うちらは朝練なんてしないわよ。たまに朝早く教室へ行ったらアンタが居てね、それで声をかけたの。……話は戻るけど、どうして
そんなの、決まっているさ。
僕は顔を少しだけ上げると、仏頂面のまま小泉さんの顔をチラ見してこう答えた。
「出たくなかったんだよ」
「どうして?」
「柚希……いや、幼なじみが沼倉と仲良くしているって土曜日に告白したんだ。大体、僕とアイツとでは月とスッポンだよ。どうせ勝てないならば、こっちが身を引くしかないと思ってさ……」
沼倉は顔だけじゃなく、管楽器の演奏だって僕よりも上だからなぁ――。僕は近くの席に座っていて、朝方から何をやっているのかわからないアイツのように机に伏せた。
すると、小泉さんは机に伏せている僕の顔を覗き込むと、真顔で僕に向かってこう言った。
「ユータ、学校祭の時のこと、覚えているわよね」
覚えているさ。
確か小泉さんが吹奏楽部の出番が終わった後で音楽室に来て、そこでセンターを任されることになった高橋さんを励ました……んだよな。
「高橋さん、あなたにお礼がしたくてうずうずしているわよ」
「えっ?」
僕はその一言を聞いた途端、ガタッと音を立てて立ち上がった。
「それで、僕にどうしろと?」
「アタシが手配するから、アンタはアタシの言う通りに動いて」
「小泉さん、一体何を……」
「いいから、アンタは勉強に集中して! ほら、今日数学の授業があるでしょ。日野先生、アンタのことを指名するかもしれないよ」
数学の日野先生って、身長が割と大きくていつも胸をぽよぽよさせていて、子供っぽい顔としゃべり方をしている。だけど、ひとたび授業となると真剣そのものの人だ。
落ち込むのはここまでにして、しっかりと準備だけはするか。
教室に生徒たちが集まるまでの間、僕は小泉さんとの協力で今日の簡単な予習をすることとなった。ほんと、この二日間沈んでいたのがウソのようだよ。
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