別れ
ろくろわ
最期に
僕には三分以内にやらなければならないことがあった。
いつかこの日が来る事は分かっていた。
早いか遅いか、ただそれだけの違いがあるだけで唯一、生けるもの全てに平等に訪れる事。
「それではこれが最期のお別れになります」
担当の彼は、炉前でそう話すと母の数少ない親類が思い思いの言葉をかけ母の元から離れていった。
最後にお別れを終えた親族の後、僕は母のもとに向かった。
棺の中の母は小さく、花に埋もれた姿は花畑で寝ているかのようだった。
大きくなった僕の皺だらけの掌で触る母の頬は、硬く冷たくて作り物のような気がした。
年老いた母は物忘れが少しあったけど会話はしっかりとしていて、自分で歩いて買い物にも行って自炊もしていた。家もそんなに離れてもいなかったから顔も良く出していた。だからこの日が来る前から母と会話をする機会は沢山あった。
少し身体を壊して徐々に弱る姿も見てきた。食が細くなり歩くのが遅くなって立てなくなった。入院が必要な頃には随分と小さくなった。
そんな母の側で沢山の話をした。
棺の中で眠る母の冷たい頬を撫で、耳に触れる。
昔、母が僕にしてくれたように。
想い出の母はいつだって最後は僕に優しかった。
皆が持っていた戦隊ヒーローの玩具がどうしても欲しくて母にねだった事があった。「そんなの買えない」って言ってたのにこっそり用意してくれた。だけどそれが違う戦隊ヒーローの玩具で要らないって母を困らせた。母は「ごめんね」と本当は悪くないのに僕に謝り、頬と耳を撫でてくれた。
初めて社会人となり独り暮らしで辛くなった時、何も話してないのに会いに来てくれて同じように頬と耳を撫でてくれたことがあった。後で父から、電話のお前の声が違うと気が付いて会いに行ったんだと教えてもらった。
年老いて自分の事が出来なくなってきたって、いつも心配するのは僕の事ばかりであった。
僕の記憶に残るその他の想い出にも、いつでも母は側にいた。
僕には三分以内にやらなければならないことがあった。
年老いた母に触れるひび割れ皺だらけの自分の指で自分の目頭の涙を拭い、別れを告げ母が旅立つ最期を見送る。そして母が心配しないように笑顔絶やさずにいることだ。
別に三分以内でしてくださいと頼まれた訳ではない。だけどそうしないと、いつまでもこの場所から別れられないから。だから僕は三分以内にやると決めた。
だけど三分が過ぎるまでの後、少しだけでいい。
僕の声にならず静かに大きく流れる涙を見逃して欲しい。
了
別れ ろくろわ @sakiyomiroku
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