第3話 かしけん、動きます

「そこのキミ、止まりなさい」


 いよいよ始まりつつある授業のことを考えるだけで不安に襲われる朝。そんなタイミングで呼び止められるというのは尋常じゃなく緊張するものだ。ぼくは歩みと共に思考も停止してその場に立ち尽くした。


「そう緊張しなくていい、服装が乱れていただけだ」


 呼び止めた主はおそらく先輩であろう、きれいな黒髪ミディアムの女生徒だった。腕に『風紀』の腕章を付けており、風紀委員と呼ばれる存在なのだろう。まるでアニメみたいだなどと考えていると、彼女はぼくのはみ出したシャツに手を伸ばす。


「アニメみたいだと思っただろう?私たちもそう思うのだが、この時期に気持ちが抜けると後に響くからな。こんなお母さんのようなことしなくてもいいように気を引き締めてほしいのだがなんともこれうまくいかないな……どうやれば……いや、愚痴を聞かせてしまって申し訳ない。どうにも口数が……これ一度緩めるしか……」

「ちょっ!?いや、自分で出来ますから!」


 とても慣れていない手つきでいじくりまわしたあげくベルトを外そうとしてきたので慌てて離れてしまった。


「そ、そうか。うん。自分でやるのが一番だからな。どうにもおせっかいで……あ、そこのキミ――」

「す、すみません!今度から気を付けます!!」


 風紀委員はとても大変なのだと感じつつ、気を引き締めて頑張ろうと思った。二度と彼女の手を煩わせてはいけない。だって恥ずかしすぎるから……。


 教室に着くと、枝美がかしけんは天国だと言いふらしていた。登校中に見かけないと思ったら朝早くに来てこんなことをしていたのか。目には目を歯には歯を噂には噂をということだろうか?あまり効果的ではないような……。


「ちょっと拓斗、来てたなら手伝いなさいよ」

「いや、悪い噂は良くないけどこれもあんまり……」

「私は私の感想広めてるだけだからいいのよ」

「そう……」

 

 変な噂の元にならなければいいけど。しかし枝美里がそこまでするなんて、よほどお菓子が美味しかったのだろう――というのは半分くらいで楽しかったのだと信じたい。


「響、武田が言ってるのって本当か?菓子食い放題の女子会だって……」

「え、いや、まぁ……まだ本格的に活動してないだけだから……」

「まぁ悪い噂の通りではなさそうなのはいいんだが、菓子作るために入るんだと色々大変そうだな。調理部の方がまだお菓子作りに近いんじゃないか?」

「う~ん、でも歓迎してもらっちゃったし」

「仮入部だけでもしてみればいいのに。まあ好きにすればいいけどよ」

「うん、心配してくれてありがとう」

「……まぁな」


 田口は昔から色々心配してくれる本当にいい奴だ。この先何度同じクラスでよかったと思うことになるのだろうか。今からでも感謝しておきたい。それは心の中でだけど。




 放課後、朝広めた枝美里の噂は割と広まっているようだった。半分は言葉どうりに、もう半分は以前の噂と混じり合って部活の名を借りた不正活動というように。こんなことにしてしまって先輩方になんといえばいいのか悶々とする中、噂を流した張本人からきっぱりと今日はかしけんに行かないと宣言される。


「ごめん、拓斗。今日は友達の仮入部に付き合うから……また今度行くって先輩に伝えといて!」

「え!?行かないの!?」

「え?理由も言ったじゃん」

「まぁそうだけどもまぁうん、行ってらっしゃい」


 お前この事態の責任とれよ!とは言い出せず。よろしくね!と満面の笑みを残し去っていった枝美里の背中を見送るしかなかった。

  

 とてもモヤモヤした気持ちで部室に向かっている途中、そそくさと去る女生徒とすれ違った。あれ?昨日もすれ違ったような……。また先輩方が何かやったのか……?と勘ぐってしまう。おそるおそる部室のドアをノックすると、どうぞという声が聞こえる。部長や真理先輩とは違った声だが、まだ会っていない先輩だろうか?

 失礼します、と声をかけて部室に入ると、今朝の風紀委員が部室の花瓶の手入れをしていた。どうしてここに風紀委員が……まさか悪い噂は本当で何かの調査をしていたのか!?と一瞬考えもしたが誰も先輩がいないところを見るとおそらくかしけんの先輩だろう、そう思いたい。


「あー……。もしかしてキミが響くん?なのかな?」


 相手にとってもぼくの登場は予想外だったようで一瞬動揺したが、先輩方から僕の話を聞いていたのかすぐに対応してくれた。


「はい、響拓斗といいます。先輩……?はかしけんの方……なんですよね?」

「あぁ、かしけんの鳴海静穂だ。今朝は失礼したね」

「いえ、むしろお手を煩わせてしまって」

「そんなにかしこまらなくてもいい、堅苦しい空気はここには必要ないだろう。入ったばかりで慣れないかもしれないがゆっくりくつろぐといい。臨機応変が一番……おっと、また話しすぎてしまうところだったすまない。こっちの椅子に座るといい」

「ありがとうございます」


 昨日までスペースを仕切っていたカーテンは取り払われて開けた状態になっていた。見回してみるとかなり広い部室だ。お菓子と関係のない物も多く置いてある。いったいどんな活動をしてきたのか謎は深まるばかりだ。


「色々置いてあるのはほとんどが私物か拾ってきた廃棄物だよ、廃部になった部活のね」

「本当に色々置いてますね……」

「学校的にはあまり良くないのだろうけど、これもまた部活動の醍醐味なのだと私は思うよ。これで各々が楽しんでいるならそれでいいんだ」

「結構ゆるくていいんですね」

「臨機応変、といってほしいね」


 今朝会った時は風紀委員の肩書もあって厳しい人だと思ったけど、話してみると厳しいだけではないようだ。


「キミは紅茶とコーヒー、どっちがいい?」

「あ、えっと紅茶で」

「わかった、えっと、あ、これパックじゃない……まぁ大丈夫か」

「すみません、ぼくがやるので先輩は座っててください!」


 先輩が茶葉を直接カップに入れようとしていたのでぼくは慌てて静止した。先輩はえ?といった顔をしているがやり方を間違えていることを察してくれたようで任せてくれた。受け取った茶葉は一目で高いやつだと感じさせるものだった。そんな高品質に感動しつつ紅茶を淹れる。ちゃんと道具も揃っており、もっと高級なティーセットも棚に入っていた。こういうところはかしけんらしくて感動した。が、よくよく考えてみればお菓子作りとはやっぱりちょっと離れてるか。


「まさか新入生に淹れてもらうことになるとは……。私が淹れようとするみんなが止めるのでやり方がわからなかった、恥ずかしい……」

「ぼくもお菓子に興味がなければわからなかったので恥ずかしいことではないですよ」

「いや、仮にもかしけんに所属して知らないというのは……やはりウチの紅茶よりおいしい……淹れてくれてありがとう」

「おいしく淹れられたみたいでよかったです」

「次に新入生が来たら私が淹れてみよう――と思ったが全然来ないな。勧誘活動しなかったから仕方がないか」


 新入生が来ないこの状況でぼくの心境は非常に複雑だった。もちろん新入生が多ければ先輩方も喜ぶだろうし、来てほしいとは思う。が、一方で枝美里の広めた噂に釣られて変な動機の新入生が来たら嫌だなと思ってもいる。悪い噂を確かめるべく来るような野次馬もだ。新入生が来てくれたと喜ぶ先輩方の笑顔を曇らせたくない。まぁ、枝美里を連れてきたぼくにこんな心配する資格はないのかもしれないけど。 


「すまない、無神経だったな。先輩方しかいないより同学年がいた方がいいものな……」

「え、いや全然気にしてないというかむしろ申し訳ないというか」

「それならいい……って何が――」


 静穂先輩の台詞を遮るように部室の扉が開き部長たちが入ってくる。


「おう、タク!今日も来てくれたのか!シズも来てくれてサンキューな」

「2人とも自己紹介は済ませてるみた……ってそれしーちゃんが淹れたの!?」

「あぁ、これは響くんが淹れてくれたよ」

「そうなのか、じゃ、タク、私らの分も頼むわ」

「なら今度こそ私が淹れよう、響くんは座ってて」

「任せて大丈夫?」

「相変わらず神崎さんは心配性だな、任せてくれ」


 部長たちが来て一気に部室がにぎやかになった。静穂先輩がさっそく工程を飛ばして紅茶を淹れようとするので神崎先輩がしっかりレクチャーするはめになった。さっき目の前でやったのを見ただけで理解したと思っていたがそうではなかったようだ。


「まさかポッドをあたためる必要があるとは……」

「いや、ティーポットに急須用の茶こしをはめようとした方がびっくりしたわよ」


 さっき使った道具とは似て非なるものを使おうとしていたようだ。急須で紅茶はアリらしいのであながち間違えでもないが正しくはないな。そう思いながら紅茶を飲む。おいしい。


「今日はタク以外に新入生来てないのか?」

「そうですね、枝美里も今日は別の部活に。また今度来るって話ですけど」

「そうか、まあ仮入部期間だしな」

「ですね。ところで部長たちは何かしてたんですか?今日遅かったですけど」

「ん?あぁ、ちょっとした声掛けみたいな……」


 部長たちは部長たちなりに勧誘を頑張っていたらしい。それなのにぼくときたら、何もしてないどころか変な噂を広めるきっかけになってしまうなんて……なんてことをしてくれたんだ枝美里!と思ってしまうのが情けない。

 今日はクッキーの詰め合わせを持ってきたのと真理先輩がカバンから取り出そうとすると、部室のドアをノックする音が聞こえる。どうぞ、と部長が声を掛けると、失礼しますと女生徒が扉を開けた。姫カットで長い髪を束ねたその姿はキリっとした雰囲気にしっかりと合っている。


「こちらはお菓子研究部の部室でしょうか?」 

「ん?ユキか?」

「お久しぶりです、紗百合先輩。探しました」


 どうやら部長と知り合いらしいが、先輩呼びということは同学年のようだ。


「皆さま、改めまして。榊原友希江と申します」

「響拓斗です、よろしくお願いします」


 一通り自己紹介が終わった後、部長がどんな関係か語ってくれた。同じ中学で同じ剣道部だったらしい。静穂先輩も面識があったようであ、あの時の……という反応をしていた。


「紗百合先輩はてっきり剣道部だと思い仮入部をしたのですが、ここの剣道部は嫌な雰囲気でしたね、合いませんでした」

「いや、それは私が色々やらかして……。私の後輩だから向こうもいい気がしなかったんだろ。すまんな」

「紗百合先輩は悪くないですよ、彼らの人間性の問題です。それより、紗百合先輩と再会できたことが嬉しいです!見知らぬ女子の話を聞いて正解でした」

「話?」

「ええ、かしけんはお菓子をいくらでも食べることの出来る部活だと。部長の名前を聞くまではでたらめな話だと思いましたが。――今でも半信半疑ですが……用意してくださった物を見るに嘘ではないのでしょうね」


 今、テーブルには先ほど真理先輩が出そうとしたお菓子と紅茶が並んでおり、全員でそれを囲っている状態だ。枝美里の流した噂と合致している。そう枝美里の流した――。静穂先輩と友希江さん以外の視線がぼくに突き刺さる。


「い、いや、あの……すみません!枝美里が広めてるみたいで……」

「やはり枝美里殿が……ゴホン」

「まぁ悪気はなさそうだし、むしろ宣伝になって渡りに船だな」

「悪名は無名に勝るって言うものね、在校生の中ではすでに悪名高いけど」

「大事なのは新入生だからな。ユキ、お前はかしけんに入る気があるのか?」


 先輩たちの余裕ある対応に胸をなでおろしつつ、友希江さんのいい返事を待つ。知り合い以外の新入生が入部してくれるなら現状よりもはるかに未来が明るいからだ。ぼくと枝美里だけの状態では入りづらいにもほどがある。


「う~ん、難しい質問ですね。紗百合先輩とまた過ごせたら楽しいと思いますが、活動内容がピンと来ておらず、入部せずとも会えますし……」

「まぁ、その通りだわな」


 ありよりのなしのような、当たり障りのない断り方のお手本のような返事だった。これには部長もたまらずノックダウン――しなかった。


「なら、友希江がかしけんに入る意味を私が作る!」


 まさか強引に引き留めようとは。あの返事を受けてのこの対応は往生際が悪いと思わず言いたくなってしまうが、この対応の根底には部長の切なる願いがあった。

 

「かしけんはな、大事な居場所たったんだ。楽しい時間をみんなで共有するための。ただ、ほんの少し前までは何もなかった。なくなるところだったんだ。でも、タクが来てくれた。なら、私たち先輩が諦めて無くすわけにはいかないだろう?だから新入生が入ってくるのは嬉しいんだ」

 

 友希江さんには関係のない話。だけどぼくにとっては胸を打たれる話だ。勇気を出してこの部を訪れて良かった、こんなに後輩想いの先輩と出会えたのだから。


「それにな、私はかしけんでまたユキと楽しい時間を過ごしたいと思ってるよ。ここでしか楽しめないことをたくさんしよう」


 その言葉に他の先輩方も力強くうなずく。対する友希江さんは困った様子だが、その表情には困惑だけでなく、照れくささが混じっている気がした。


「ふふ、困りましたね。それだけ自信満々でも、具体的に何をするか結局決めてないのですよね?」

「おう!」


 熱意120%具体性0%だった。でも、その熱意はしっかりと伝わってくる。かしけんで楽しい思いができるだろうという予感だけは確証に近い具体的なものだ、そんな気がした。


「全く、西園寺さんはやりたいという気持ちは人一倍だな」

「いいじゃない、これから決めていけばいいのよ。みんなでね」

「なるほど、わかりました。紗百合先輩の言葉を信じ、こちらで楽しませていただこうと思います」

 

 全員がおお!といった顔になる。一体どうなるかという点ではとても不安な部活だったが、どうとでもなりそうな気がする。いや、むしろどうとでもできる気さえしてきた。


「今度こそうまくできるといいな」

「そのために声をかけてきたのよ、副部長やあの子にも」

「そうか……また笑い合いたいな」


 真理先輩と静穂先輩がとても意味深な会話をしていたが、それでも。過去に何があってもかしけんはこれからに向けて歩き出しているのだから大丈夫だ!





 とりあえず、枝美里の噂は誇張しすぎない限りは咎めずの方針で行くことになった。甘い噂を信じて仮入部してくる新入生も取り込んでしまえばいいだろうということだ。そんな感じで下校時間となり、全員で駅へと向かう帰り道。


「紗百合先輩、前よりも生き生きしてますね」

「あれだけの啖呵切ったからな、気合が入ってるんだ」

「ふふ、たーくんのために頑張らないとね」

「な!?私はタクのためとかじゃなくてかしけんのだな――」

「ふふ、照れちゃって」


 こういう時に話題に出されるとむず痒い……さりげなくたーくん呼びされているのも合わさってあれだけ希望に満ちていたのになんだかソワソワした気持ちで家に着くハメになった。本当にかしけんでやっていけるのか……ニュアンスこそ違えどぼくの不安が消える日はまだまだ遠そうだ。












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