時間の先へ

臆病虚弱

本文

     ……………


 男は怒っていた。深い、深い怒りを抱いていた。それは、彼よりもずっと前の時代からの怒りだった。その怒りは、天に向けられていた。

 天には父が居た。子供たちを見下ろし、時に助言し、時に試練を与え、時に知恵を授け、努力を愛する、偉大な父が居た。

 男はそんな父を憎んでいた。


 なぜ憎むのか。


 男に兄弟の一人が聞いてきた。


 天に立つから憎むのだ。


 男は憤慨しながら答えた。


 父が天に立つのは当然だ、偉大なものは天に立つ。いずれ我々も天に迎えられる。


 兄弟は答えた。


 男は更に憤慨して答えた。


 おれは天など立ちたくない。お前はただの兄弟で、あそこに行った奴らも同じだ。尊ぶというのはすべてのものを尊ぶべきだ。ましてや父を特別に尊ぶなど、それこそ不平等で不公平で不義理だ。


 兄弟は驚いて言う。


 なんてことを言う。お前は父を敬わないばかりか、父を誹るのか。


 男は更に怒髪天を突き、怒る。


 当たり前だ。間違っていると思ったことを間違っていると言ったのだ。ここに降りてきて、おれの前でそのことについて話し合わぬ限り、おれは父が間違っていると言い続ける。


 兄弟は次第に怒りをあらわにする。


 それは全く道理が通らない。偉大な父に降りてこいなど、もってのほかだ。お前は自分が努力して天に向かい父の下に話を聴きに行くのを言い訳して怠けている。


 男はすぐに反論する。


 天も地も父が勝手に作ったこと。なぜおれが従わねばならない。従わせるというのなら、おれを殴ってでも連れ出すがよい。


 兄弟は我慢ならなくなり、遂に男に殴りかかった。男はその拳を顔に受け、待ってましたと言わんばかりに頭突きで兄弟の拳を破壊し、兄弟を押し倒して何度も何度も腹に頭突きを叩き付ける。その表情は満面の笑みを浮かべていた。

 兄弟は、はじめ、罵る言葉を喚いていたが、やがてそれも止まり、もうやめてくれと懇願した。

 その言葉を聞いた途端、男はぴたりと攻撃を止め、額に血を流しながら手を差し伸べて言った。


 次は何人かで来ると良い。それか、おれを説得に来るのだな。おれは別にお前を拒まない。また殴り合いたいときは相手してやる。


 男は心の底からの本心でそう言った。その顔は額から伝う血の目立つ泥臭い笑顔があった。

 兄弟はその様子を見て、純粋な恐怖心を覚えた。


     ―――――

 

 男はそれ以降もずっと父の不公平を叫びながら、兄弟たちの襲撃を受け続けた。無論、毎回勝利に終わったわけではない。だが、彼は命の危機に瀕してなお自分の言い分を曲げず、それを説得できる者はいなかった。むしろ彼自身の方が兄弟たちを説き伏せ、説得し、何時しか何十人かの同志を得るに至っていた。

 父はその様子を見て、初めは放っていたが、自らの作った兄弟同士の不殺の教えが彼の一派を増やしている事を鑑みて天から声を掛けるに至った。

 父は男に問うた。


 なぜおまえは唯一の法に従わず、その法を壊す言葉をならべる。


 男は答えた。


 それはお前の謳う唯一の法が唯一ではなく、全く公平でないからだ。


 父は答える。


 お前ひとりが不公平に思おうと、法は法だ。


 男は答えた。


 おれだけではない、お前以外の全て、おれの兄弟たちに対しても不公平なのだ。そしてその法はお前だけが勝手に決めた実に愚かな法だ。


 父は答える。


 法は完全だ。解するお前たちが愚かなのだ。


 男は反論する。 


 お前も同じく愚かなのだ。自らが天に立ち、自らの気に入ったものを天に招き、努力だなんだと言って差異を作り、差と別を殊更に煽り立てる。お前とおれは同じものだ。お前とおれの違うところはあまりにも少ない。それにもかかわらずお前は、自らの作り出した箱庭で天と地の人形遊びを楽しみ、おれたちとは優越したものだと嘯き、更には自らの作った物事を完璧とまで吐き捨てる。なんという恥さらしか!

 ――少なくともおれはおれの作ったものを完全だといったことはない。おれはおれの意思を完璧だとは思わない。だのにお前は完璧という嘘を吐く。だからお前はおろかなのだ。


 父は怒り、雷を落とす。


 男は避雷針を立て、雷を回避する。


 父は叫ぶ。


 何という小癪な男か、吾が世界を不完全と言い放った後、すぐに吾が自然の法を利用する。


 男は答える。


 こんなものでお前の力が逸らせるのならば、それこそお前の意志の敗北。お前は自ら作ったものに足をすくわれ、失敗を指摘される。これが不完全と言わずしてなんと言うか?


 父は憤慨し、天より今までにない最も強力な罰を与える。


 これよりお前は一人に誰にも知られることなく、誰にも顧みられることなく、永遠の孤独を味わうだろう。お前の罪が続く限り、この罰は未来永劫続き、お前の肉体も精神も消滅することなく永遠にお前を罰するのだ。


 男はその言葉の後、あらゆる兄弟の誰にも認知されず、忘れ去られ、やがて見知った兄弟も滅び、世界に孤独に立ち尽くすことになる。

 男はそんな運命に、自然と笑みをこぼした。そして、天を見上げ感謝するように宣言する。


 何と素晴らしい罰か!

 ――これでおれは永遠に論を詰められる。永遠に物を作り続けられる。ああ、元より意味なきこの生涯、意味を見出すが人生の意。故に永遠は甘美な調べ。おれは夢をかなえたのだ!


 男は宣告通り、永遠にだれと会う事もなく己の世界に没頭していった。彼にとって永遠は短い余暇に過ぎず、そしてそれを見ることとなった父にとっては、自らの世界が壊れ去り、その壊れた世界の中、唯一永遠に、男が彼自身の世界を創り上げ続けるのを見守る、要するに父にとっての罰となったのだ。

 意固地な父の怒りも、数字も意味をなさないほどの永遠を前に消滅し、自らの作り出した世界の外に男の作り出した世界が常に構築と展開を続けることに辟易して、遂に天もなくなって男の前に父が立った。


 罰は終わりだ。


 父がそう言うと、すぐに世界の構築を捨て去って、男は前と同じ調子で答える。


 終わり? お前は永遠と言ったのだ、終わりなどない。


 父は首を振って言う。


 終わりだ。


 男は答える。


 ならば、お前の以前の言葉は嘘だと言う事だな。


 父は頷く。


 そうだ。


 男は嬉しそうに、父の肩を叩いて言う。


 よかった。ようやっとあなたがここに来てくれた。


 父は少々怯えた様子で男に訊く。


 なぜ……何故こんな事を


 男は言う。


 おれは他の兄弟と同じく、あなたを同じ人間として尊びたかった。自らや兄弟たちと同じように、あなたを愛したかったのだ。あなたは多くの物を与えるが、おれにはそんなものはいらない。あなたは導きと知恵を与えるが、おれはそれを自ら手にしたい。あなたと共に。


 男は父の肩を組み、遠くを指さして言う。


 さあ、行こう。兄弟たちが待っている。誰の手にもない、荒涼として残酷で儚く、美しき世界……時間のある世界へ。


 男と父は兄弟たちの待つ時間の先へと、ようやっと共に歩みを進めるのだった。


 (終)

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