第3話 「二名さんお帰りだ!」暴虐店主の咆哮

店内は厨房を囲むような形のカウンター席とその背中向かいのカウンター席で構成されており、テーブル席がないために多くの客を収容できるような構造になっていた。


そして厨房の店員は外の店員同様不愛想で、接客をする態度には決して見えない。

どころか、客である我々一人一人にガンを飛ばしているような気がするのは私だけだったのだろうか?


厨房の奥には五十がらみでモジャモジャな白髪交じりの男が腕組みをして仁王立ちしており、それがどうやらこの店の主と思われる。


我々は店の端の厨房に面したカウンター席に座ったが、後ろの壁に何やら大きな額縁に入った箇条書きがあるのに気づいた。

その箇条書きはこの店で客が守るべきマナーらしく、毛筆で記されている。

それは以下のとおりであった。


        客心得


その一、私語は禁ずる。


その二、携帯電話を使用するべからず。


その三、タバコ、ガムは禁ずる。


その四、飲食時間は十分間とする。


その五、具、麺はもとよりスープまで飲み干すべし。


・・・・・・・


目を疑った。

「客心得」、「禁ずる」、「べからず」、「~べし」だとう?

他にもいろいろあった記憶があるが、

箇条書きのとどめは「以上を守れない者は去れ 店主」だったのをはっきり覚えている。


この店はおかしい。


隣の柴田も顔が少々こわばっており、さまざまなラーメン屋を食べ歩いてきた彼にとってもここほどの極悪店は初体験だったようだ。


メニューは一つのみな上に人数は決まっているので、客が全員席に着くまでの間に調理が始まっていたらしく、入店して五分も経たないうちに唯一のメニュー『吉池ラーメン』が出来上がり始めた。


手抜きもいいところじゃないか?

第一、これだったら食券にする意味ないだろう?

と限りなく心の中でツッコミを入れていた間に、最初に入店した私のところへ真っ先にラーメンがやって来た。


ごく自然に早速箸をつけようとしたら、「全員そろってからにしてください」と、またしても不愉快な指図を厨房の店員から受けた。


こうして、店内の客全員にラーメンが行き渡るまで待ちぼうけをくらわされたのだが、これでは待ってる間に麺がのびるではないか。


「はい、よし!」


ようやく食べることを許されたのは、全員にラーメンを運び終えた後の店員の号令によってであり、それを合図に客が一斉にラーメンをすすり出した。


それにしても「はい、よし」って、我々は犬か囚人なのか?


私も隣の柴田もラーメンの一口目を口にした。

ここまで偉そうにするからには、相当美味いんだろう。

と信じつつ。


が、結論として、

大した味じゃない。

いや、むしろ不味い、少なくとも私の味覚では。


最初、そんなはずはないと何口かすすってみたが、劇的に美味く感じることはなかった。


豚骨醤油味のはずだが、醤油が入っていると思えないくどい豚骨味で、それがかつおだしのような香りと合わさって、私の口内で不快に広がってゆく。

麺もコシがなく、きっとさっき待たされた間にのびたからだろう。


同時に、これまでの接客態度への怒りが、じわじわと増大してきた。

この程度の味で、あそこまで偉そうにしてやがったのか!


隣の柴田もさほど美味いと感じていなかったらしく、「客心得その一、私語は禁ずる」を破って私に話しかけてきた。

「オリジナリティーが感じられない、スープなんか池袋の××屋か荻窪の●●軒の劣化版だし、麺もダメ、チャーシューは横浜の…」

と、ここのスープと同じくらいくどくラーメン通を気取った批評を小声でしてきた。


「要するに大した味じゃないよな」


私もボソボソ応じる。


その時だった。


「おい兄ちゃんたちさ、文句あるなら帰っていいよ」


知らない間に厨房の中央で仁王立ちしていた店主が私たちの目の前にいた。

さっきのを聞いていたらしい。


「おい、二名さんお帰りだ!」


店主は私語厳禁の掟を破られた上に悪口を言われて怒り心頭らしく、皆に聞こえるような大声で言ったため、他の客が一斉にこっちを見る。


「あ、すいません。黙って食べます」と柴田は謝ったがもう遅かった。


「こちらの二名さんお帰りだから、金返しとけ!」と店主は我々の方をアゴでしゃくって一方的に店員に命じる。


無茶苦茶だ!まさか追い出されるとは思わなかった。

そして店員に促されて店を退去させられる我々に、店主は最後にバカみたいな大声で吼えやがった。


「こっちはな、命がけでラーメン作ってんだよ!!」


この男は、歪んだ職人気質を完全にこじらせ、勘違いしている。

命がけであの味かよ?

そしてラーメンだけじゃなく、接客にも多少は命をかけろ!


店内の客だけではなく、外で行列を作っている客の目にも、店内から響いた店主の咆哮から我々が追い出された客だとわかったらしく、好奇の視線を浴びて、とんでもない屈辱だった。


「なんなんだよ!この店!」


私は大勢の前で恥をかかされたから、腹が立ってしょうがなかったが、柴田は、

「いや、店追い出されるのはラーメンマニアにとって勲章みたいなもんだから」

と、またしても苦しいことを言い出した。


だがその割に声は震えて顔は怒りで真っ赤なので、強がりなのは見え見えだ。

路肩に駐輪している自転車を蹴飛ばしたりして大荒れである。


その後「マニアじゃないオレにとっては完全に生き恥だ」と言った私との間で、

「オメーが大した味じゃないって言うからだろ」

「話しかけてきたのはお前だ」

という口論に発展、その日以降私は公私ともに柴田とは疎遠になった。

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