第4話 くちゃっ

 

 ダンジョン。

 数十年前に突如現代社会に現れたダンジョンは、モンスターがひしめく魔境だった。

 不思議なことにダンジョン内では銃火器・火薬・電気を使った武器はすべて無効化され、そのかわりにダンジョン内の空気に長く触れた人間はスキルとよばれる解析不可能な力を手に入れることができた。

 それはダンジョン内限定で使える力なのだが、そうだとしても人知を超えるものすごい力だ。

 剣で岩をもくだく力、炎を呼び出して敵を攻撃する力、フィクションの中の忍者みたいに物理法則を無視した動きができる力。


 しかし、全員がその特殊なスキルを手に入れることができるわけではなく、ある種の才能が必要だった。

 ダンジョン内の空気に触れた中でも百人に一人ほどしかそのスキルを手に入れることができない。


 そして。


 俺もスキルを使える側の人間だったのだ。

 手に入れたスキルは、治癒魔法を使うことができる能力。

 とはいってもその力を使用するにはダンジョン内にいなければならなかった。

 だから、目の前で子猫が力なくぐったりとしていても、治癒魔法をつかってやるというわけにはいかない。

 ここは地上の俺の家だからな。


 そんなわけで今俺の目の前には毛布にくるまれた子猫がいた。

 身体もドライヤーで乾かしてやった。

 艶のあるすべすべの毛だった。

 撫でるとめっちゃ気持ちがいいんだけど、いやいやこいつはもともとワーキャットだから女の子だし、許可なく撫でるのNGだよな。

 でもモンスターだし……。

 あれ、モンスターって法的に保護されるのか?


「みゃうー……」


 子猫が目を開いて短く鳴いた。


「お、起きたか。大丈夫か?」

「みゃみゃう……」

「おい、しっかりしろ、喋れるか?」

「にゃあ?」


 不思議そうな顔で俺をみる黒猫、あれ、こいつさっきは確かに言葉を話してたけど……。

 でもあのときは人の形になっていたからな。


「おい、お前、さっきみたいに人間に変身できるか?」

「にゃ?」


 うーん、こうしてみるとほんとただの猫にしか見えん。

 俺の言葉を理解しているようにも見えないしなあ。

 あれ、こいつがワーキャットだったなんて、俺の夢か幻かなんかだったのか?


「うーん……。まあいいや、とりあえず腹減ってないか、ええと、これ、飲めるか?」


 ドラッグストアで買ってきた猫用のミルクを深皿に注いで猫の前に置く。


「にゃあ!」


 飛びつくようにしてミルクをなめ始める猫。

 皿に顔をつっこみ、


「ペチャペチャピチャピチャペチャペチャピチャピチャ‼‼」


 一心不乱にミルクを飲んでいる。

 やべえ、かわいい。

 いつまでも眺めていられるぞ。

 あっという間に飲み終わると、


「んにゃ?」


 おかわりを要求するように顔を上げて俺を見る子猫。

 真っ黒な顔をミルクで真っ白にしている。

 うえええかわいい~~~!

 ま、まあでも飲みすぎも悪いしな。


「今日はこれで我慢しろ」

「ふにゃああ~~」


 悲しそうな表情で俺を見る猫、


「もうしょうがねえなあ、もう半分だけあげるぞ」


 人間が猫に勝てるわけがねえ……。

 いや、まじでこいつただの猫だったのか……?


「あ、そうだ、そういえばあんときスマホで撮影してたな……まさか夢じゃないとは思うけど……」


 動画を再生してみると、すっげえブレブレで酔いそうになる動画ではあったが、確かに裸の少女が映っていて、


『あばばば! おぼれる! おぼれるにゃあ!』


 うむ、間違いない、確かにしゃべってる……。

 一体これはどういうことなんだ……?

 わけがわからんが、それはそうと俺も腹が減った。

 なにか食いたい。

 でもその前にシャワーだな。

 俺は風呂場に行って熱いシャワーを浴びた後、パンツも履かずにすっぱだかで飯の準備をする。

 いや男の一人暮らしでいちいち服とか着るの、めんどいだろ。

 男が一人暮らしで裸で過ごすとか普通だろ?

 あれ、普通だよな?

 うん、普通なはずだ。


 さて俺は冷凍ご飯と半額セールの時に買いだめしていた冷凍牛丼の素をチンして雑にかっこみ、1.8リットルで800円で買った紙パック白ワインをごくごく喉に流し込んだ。

 だってもう酔っぱらわんとやってられんだろ、今日から無職だぞ俺。

 ワインをコップで三杯も飲んだところで、疲れからか俺はだんだんと眠くなってきた。

 ああもう、パーティ追放されちゃったし、片思いだった多香子は西村のをしゃぶってたし、ワーキャットを拾っちゃったけどこれどうしよう、こんな動画でバズれるかな、お金儲けできるといいけど、金か、借金一括返済どうしようか……。

 俺は裸のままベッドに倒れこむように横になると、毛布をひっかぶった。

 もういい、明日考えよう……。

 と、そこに。


「にゃにゃあ」


 子猫もベッドの上にひょい、と乗ってきて毛布にもぐりこんできた。

 案外人に慣れてるのかこいつ。

 まあいい、俺は寝る……。

 ああ、猫の体温があったかいなあ……。

 自分以外の誰かの体温を感じながら寝るだなんて人生始めてだ……。

 ああもう……。

 眠りに引き込まれる……。


 ……。

 ………………。

 …………………………。


     ★


 締めっぱなしのカーテンの隙間から朝日が差し込んできて俺は目が覚めた。

 うーん、なんだか暑い。

 汗ばんでるぞ。

 まだ五月だから朝方そんなに暑くなるなんてことはないはずだけど……。


 そして。


 そこで、俺はすぐに気がついた、なんでこんなに汗が出るほど暑いのかを。

 俺は裸の女の子と肌と肌をぴったりくっつけあって寝ていたのだ。

 サラサラの黒髪ショートの美少女、寝顔もやばいほどかわいい、頭には猫耳がついていて、寝息に合わせてピョコンピョコンと動いている。

 一つ毛布の中で二人でこんなに密着していたから暑かったのだ。


「な、なんだこれ……」


 混乱したまま、俺は女の子から身体を離す。

 俺と女の子の汗が混じりあって、『くちゃっ』と音を出した。

 そして次の瞬間、玄関のチャイムが鳴ったのだった。

 なんだこんな朝っぱらから?

 聞こえてくるのは女性の声。


「三崎さーん、市役所のダンジョン管理課の者ですがモンスターを感知したので…」


 その瞬間、その声で、


「にゃっ!」


 と女の子が目を覚まして上体を起こし、俺を見た。

 女の子はまず素っ裸な俺の姿を見て、


「裸の男がいるにゃですよ……?」


 と、驚愕の表情を見せた。

 そして次に、

 

「あれ、私も裸……?」

 

 とその事実に気づいたようだった。

 女の子は自分の身体を見、俺の身体を見、もう一度自分の身体を見てから、今度は俺の顔を見た。


「……男と……裸で抱き合って……寝てたにゃですか……?」


 女の子がそう呟いたと思ったらその目からびゃびゃっ! と涙が飛び出て、


「うにゃああああああ~~~~~っ!!!」


 と悲鳴をあげた。


「三崎さん!? なんですかこの悲鳴!? 三崎さん、玄関開けなさーい!」



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