第3話
透明人間とピルグリム3
歌が聞こえる。
児戯のようにたどたどしく、
時に弄花のように蠱惑し、
それは琳琅のように玲瓏な声で。
誰に届くでもない。
彼女だけの歌。
/
ピルグリムに先導されて辿り着いたのは、僕の通う高校だった。
「パンダじゃん」
「パンダ?」
頭にハテナを浮かべているピルグリムをよそに、僕は暗闇に建つ校舎を見上げる。時刻は二十時をまわったところ。歩道に街灯はあるものの辺りは薄暗く、見上げても、当たり前だが明るい窓はない。辛うじて、一般向けの玄関側にある事務室の電気が点いているくらいだ。
「この時間に、学校に来たことはないな」
「ここはどういうとこですか? 大きくて窓がたくさんありますね」
そういえば、道中のピルグリムはこんな感じで目にするあらゆるものに対し疑問を投げかけてきた。よほどこの街がめずらしいのか、恐ろしく一般常識が欠けているのか。見た目も正直日本人ぽくはないし、どこか外国から来ているのかもしれない。字も読めないみたいだし。
それよりも、僕はまだ彼女の嗅覚を信用したわけじゃない。だけど、僕と大崎ひらぎの唯一の共通点であるここに導いたということは、もしかしたらと思わせるものがある。
「そういえば、ゆうしゃさまはお昼もここにいましたねー」
前言撤回。こいつは僕の行動を追っていたのだ。ともすれば、適当にそれっぽいところを選んだ可能性もある。
「匂いは中に続いてます。入りますか?」
「え? あ、ええと、うーん」
入りますか? と聞かれても、夜の学校って勝手に入っていいんだろうか。事務の人に忘れ物をとりにきたとでも言って入れてもらうか……?
僕が顎に手を当て悩んでいるのを横目に、ピルグリムはすんすんと鼻を鳴らして校門をくぐる。
「あ、ゆうしゃさま! この窓開いてますよ!」
そして何故か鍵が開いてる窓を見つけるのだった。
「はえ〜」
ついつい僕は関心した声を出してしまった。ことがうまく運びすぎている気がする。……気がするが、なんかもうどうでもよくなってきた。慣れないことをしていた弊害か、脳の疲労がピークらしい。
ピルグリムに促されるまま、僕はカラカラと窓を開け、のそのそと中に入る。不法侵入だ。
夜の校舎には静寂が充満している。普段、日常を過ごす空間が見せる非日常の光景は、寂しい、怖いといった負のイメージを連想させた。なるほど、学校の怪談というのはこの雰囲気から生まれるものなのだろう。
足音を立てないよう慎重に歩く僕と対比して、裸足のピルグリムは興味深げにあちこちうろうろしている。この暗闇の中でよく前が見えるものだ。窓から入る月明かりは、光源としてはとても頼りない。
特別教室の多い一階の廊下を抜け、階段を上る。二階に上がる途中でふと、耳にかすかな音が届いた。さらに上の階から聞こえるようだ。
「ピルグリム」
「はい。誰かが歌を歌っています」
これは歌声だったのか。聴覚も自信があると言っていたし、僕にはモスキート音のように聞こえるこれが、ピルグリムにはしっかりと歌声に聞こえるらしい。
もしかして、その歌声の主が、
「大崎ひらぎ、か?」
「オオサキ……? 誰ですか?」
「誰って、僕らが探していた人だよ。大崎ひらぎ、って……ああそうか」
そういば、大崎ひらぎの体質を僕はすっかり失念していた。彼女の記憶は、他人の中から忘却されていく。
だとすると、あれ?
「ピルグリム、なんで匂いを辿れたんだ?」
「鼻がいいからです」
「いやそうじゃなくて……匂い、どうして覚えていられるんだ」
「?」
本来であれば、大崎ひらぎに関する記憶は希薄になっていくはずだ。匂いだって、記憶の中に留めておくのは難しいと思うが——。
「まあいいか、行こう」
今は考えてもわからない。それよりも、一日探し回った相手がやっと見つかるのだから、早く確保して帰って寝たい。
二階から三階へ。廊下に出ると、僕でもわかるくらいに声ははっきりと聞こえた。どこかで聞いたことのあるバラードだ。歌声は夜の闇に吸い込まれていくように儚く響いている。声を頼りに、誘蛾の如く足を動かした。
——廊下を進んだ先。
僕の、僕らの教室に、彼女はいた。
窓から月が覗いている。
月光に照らされた横顔とアカペラの歌声は、写真の印象とは全く違う雰囲気を醸し出していた。
ここは彼女ひとりのステージ。
観客のいないワンマンライブ。
世界から忘れられた少女は、
ここで自分を歌っていた。
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