13、次代の当主
「……羽菜?」
羽菜は声の主に安堵して肩の力を抜いた。
「へへっ……、ただいま、花梨」
「羽菜! うそ、うわああん! 羽菜!」
悲鳴のような歓声を上げ、花梨は涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で羽菜を抱きしめた。
「ごめん、わたしが無理に飛ばせたから。他人の魔道具を使っちゃいけないって意味がよくわかったよ。ねえ、どこに落ちたの? 怪我は? 戻ってこられて本当によかった!」
ごめんね、ごめんねと鼻をすすりながら繰り返す花梨に、羽菜はステッキを差し出した。
「花梨、どうやらあたしは強運の持ち主みたいだよ。あんな大冒険をして、怪我一つなく戻ってこられたんだもん。それにね、これで証明されたんだよ――あたしはちゃんと魔女だった!」
言葉にすると感動が胸に押し寄せてきて、鼻がつんとした。
「あたしは魔女なんだよ!」
「うん、うん」
花梨は泣き笑いで何度もうなずいた。
「ほらね、わたしの言った通りだったでしょ! あきらめないでよかったでしょ!」
「――よかったけど、この件はご当主に報告したほうがいいね」
冷めた声が興奮する二人に冷水をかけた。
「り、六花……」
うつむきがちに横を確認すると、一つ年下の従妹が媒体である熊手を手に立っていた。
なんと気分のフリーフォールの凄まじい日だろうか。羽菜が氷像になる一方、花梨は「そういえばいたんだった」と、なんでもないことのようにへらへら笑った。
六花がわざとらしく嘆息すると肩までの黒髪が顎の前にすべり落ち、煩わしそうに首を振って後ろに払った。
「他魔女の媒体を使って羽菜の力を覚醒させようなんて荒技は花梨にしか思いつかないね。私たちだって初めて飛ぶ時は、多少の暴走があるものなのに、なんで羽菜にはそれが起こらないと思ったの? まったく……無事に羽菜が戻ってきたからいいものの、天狗に攫われていた可能性だってあるし、そうなれば天野と天狗の諍いの種に――」
「ああもう、グチグチ言わないでよ、わかってるんだからさあ! たしかに初めて飛ぶ時は危ないよ。でもあれは自分の媒体を見つけた時でしょ。羽菜は今回、わたしのステッキを使ったんだよ? あんなことになるなんて思わないじゃん! それにわたしたちの暴走ってさ、浮いた瞬間にバチィッ! って弾かれるだけじゃん。あんなふうに吹っ飛ぶなんて聞いたことないよ!」
「あんたはいろいろと舐めすぎ」
六花はぴしゃりと言った。
「掟の研究は別にいいけど、そこに他を巻き込まないで。今日、羽菜は死んでもおかしくなかった。もしそうなっていたら、あんたはどうやって責任を――」
「わたしだってさすがに懲りたよ! でも結果良ければすべて良し、今は羽菜に魔力の兆しが見えたことを一緒に喜んであげようよ!」
六花は辟易したように口をつぐむと、ターゲットを花梨から羽菜に移した。
「羽菜はどこに飛ばされたの? 私たち、この辺りを一時間は探し回っていたんだよ。どうやって戻ってきたの? また花梨のを使って飛んできたわけじゃないんでしょ」
誰にも言うなと言った強面天狗の顔が脳裏を過ぎる。羽菜は困り顔で首をかしげた。
「火事場の馬鹿力ってやつかな? よく覚えてないんだけど……目を開けたら木の上で、なんとか下りて、怖くて無我夢中で……気がついたらここまで来ていたんだよ。お山の御加護かなあ? あ、ステッキはこの近くで拾ったから使ってないよ」
帰還の詳細は省かせてもらったが、六七割は本当の話だ。
「へええ」
花梨は素直に目を丸くした。六花はまだ眉間にしわを寄せてはいたが、
「そう。……おめでとう、羽菜」
と、意外にも祝意を示した。花梨も満面の笑みでぶんぶん首を縦に振った。
「ありがと、六花、花梨。……でもね、怖い思いをしたし、まだ混乱しているし、しばらく一人でじっくり考えたいと思ってて……。飛行練習もさ、実はコツを掴んだかもしれなくて。気が済むまで一人でやってみたいんだけど、どうかなあ?」
花梨は少し不服そうにくちびるを伸ばしたが、
「羽菜の好きなようにしたらいいよ。あんまり無理にやると良くないってこともわかったしね」
と、すぐさま賛成してくれた。羽菜はそれに笑みを返し、懸念すべきもう一人の顔色を窺い見た。
「六花は今日のこと、おばあちゃんに……」
厳しい従妹は、はあと息を吐いて文字通り目を瞑った。
「……まあ、いいでしょう。私は次代の当主なわけだし、このことはしっかり覚えておきますからね」
「粘着質ぅ」
花梨が茶化すと、六花は地蔵菩薩から閻魔大王へと態度を変えた。
「あなたたち二人は、私に借りができたことをしっかり覚えておくように」
「おっしゃる通りでございます……」
南無南無と手を合わせる調子のいい又従姉妹にならいつつ、羽菜は胸の高鳴りを抑えきれずにこにこした。
――里帰り初日から、こんなにいろいろなことが起きるなんて。
毎年感じていた帰省への憂鬱な気持ちは、今年は天狗の起こした風のお陰で早々に吹き飛んだ。
花梨が羽菜に近寄り、耳もとにこそっとささやいた。
「あのね、ほんとはね、今朝夢を見たんだよ。羽菜がわたしのステッキを持って空に立っている夢。起きた時、これだ! って思ったんだ。わたし、予知夢の才能もあるのかも!」
――だからいつも以上に強引だったのか……。
だが今回ばかりは花梨の予知夢とやらに感謝しよう。自分はこの夏、誰よりもすごい体験をするに違いないのだから。
そこかしこで蝉がわんわん鳴いている。お山で天狗といた時は静けさに満ちていて、蝉の声など聞こえなかった。
蝉時雨の向こう側で、千尋丸は今何を思っているだろう。羽菜は山と空との境を眩しく見上げると、先行く魔女たちを追いかけて足取り軽く屋敷の中へと入っていった。
お山の木の上からそれを見下ろす影があることなど、無論、知る由もない。
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