3、帰郷(3)
車は大鳥居の真下を通って右折した。大きな道から逸れ、民家に挟まれたでこぼこ道をバウンドしながら縫うように走っていく。抜け道にもなる所なので、まだそれなりに他の車とすれ違う。これがもう少しすると、まったくすれ違わなくなってくる。さらに狭い道に入り込んで奥へ奥へと潜って行けば、そこはもう
「羽菜、羽菜」
花梨が前の座席にできるだけ顔を見せないようにしながらささやいた。
「ねえ、着いたらさ……行こうよ」
羽菜は談笑している母と風花をちらりと窺い見てから、なんでもないふうを装って小声で返した。
「おばあちゃんの許可は?」
「まだ。でもいいって言うよ」
「ルール違反は嫌」
「気づかれれば
六花とは風花おばの娘で、羽菜より一つ年下の従妹である。美人だがあまり他人と馴れ合うことをしないので、たまに会う羽菜は気後れするのだ。
それに、と羽菜は表情を曇らせる。
六花はおそらく羽菜を快く思っていない。魔力を持たない羽菜を仲間と思えないらしい。それは風花おばや、他の魔女たち――考えたくはないが、現当主である祖母も同様で、皆うわべだけは
迷う羽菜に花梨はずずいと身を乗り出した。
「今年こそ飛ぼうよ。やればできるって」
「あのさ、気持ちはありがたいんだけどさ……たぶん無理だと思うよ。あたし、本当にないから。……魔力」
羽菜は桜色に塗った自分の爪を親指でつるつるさすった。上手に塗れたのでこれを見れば気分が上がる――はずなのに、なんでか無性にいらいらした。もっと明るくて目に飛び込んでくるような色を塗ればよかった。
――飛べるならとっくに飛べるようになってるもん。何をしたって飛べないんだから、きっとあたしは、一生――。
「あきらめんなあ!」
「いったあ!」
ゴッと頭に手刀を振り下ろされて悲鳴を上げる。何だどうしたと大人たちが振り返る。花梨はひらひら手を振り、へらへら笑った。
「スキンシップでーす。羽菜があんまり弱気だから、つい手が出ちゃってぇ」
「あなたたち、昔っからそうよねえ。羽菜ちゃんの及び腰を花梨ちゃんがひっぱたいて」
風花が笑いながらハンドルを切り、新車をがたがた言わせて脇道に入る。ちらほら建っていた民家も見えなくなって、今は完全に山の中だ。眼下を清流が下っていく。
車内にいてもわかる。空気が変わった。天野の土地に入ったのだ。
おばが楽しい会話のつもりで続きを促す。
「それで、今回はどんな弱気?」
「今年こそ苦手を克服しようねって。ね、羽菜?」
「そうです、ね!」
羽菜は花梨に仕返ししようと素早く手を伸ばしたが、反射神経の良い花梨はいとも容易くそれを押さえ込む。悔しいが、昔から喧嘩で花梨に勝てたためしがない。身体能力だけでなく高校の偏差値だって花梨のほうが上である。
「苦手を克服……。ああ……」
母と風花おばが急に黙り込んだ。
――あーあ、嫌な空気。
羽菜は一気にやる気をなくして脱力し、捕らえられた手首をそのままに窓の外に視線を投げた。
「菜乃花おばさん!」
と、ふてくされた羽菜のかわりに花梨が強い口調で言った。
「羽菜は苗字こそ〈
「そうね。ありがと、花梨ちゃん」
母がふにゃふにゃした声で返すのを、羽菜は一枚膜を隔てたような感覚で聞いていた。
天野家は母方である。父のようなもともと外部の人間はもちろん、天野の血を継ぐ者でも男に生まれれば秘密のほとんどは明かされず、女だけが魔力を発現し、力の使い方を習い、次の世代へ繋いでいく。
いつだったか、祖母に聞いたことがある。
「なぜ男の人には秘密なの?」
祖母はこう答えた。
「初代さまがそうお決めになったからだよ。女にしか発現しない力なのだから、女だけに留めておきなさい、とね。今は平和な時代だけれど、戦のあった昔はこの力が何に使われるかわからなかった。特に男というものは力を求めやすいから、女だけの秘密にしておくのが一番だったんだね。……でもね、男たちにも絶対に守らせないといけないことがある。それはね、いつか子どもができて、その子が女の子だったら、名前に〈花〉の一字を入れること。代々受け継がれてきた魔女の名前だからね」
「どうして?」
「さあ、それはわからない。でもこうして証明されてしまったらね……」
そう言って祖母は悲しい目で羽菜を見つめた。
――あたしの名前は〈はな〉だけど、漢字の〈花〉が入っていない。だから飛べない。
羽菜の知る中でもう一人、魔女と呼べない人物がいる。天野瑞希――花梨の母だ。祖母の弟の娘で、羽菜の母と同い年である。
名前に〈花〉を入れるというのを〈花の種類〉と考えたおじは、自分の好きな木であるハナミズキから〈瑞希〉と名付けた。魔女の家でなければ良い名である。だがその結果、瑞希に魔力は発現しなかった。
小学校低学年の頃、親族の年の近い子らと自分の名前を面白く書くという遊びをした。その時羽菜は、あれ? と引っかかった。
「どうしてあたしの名前には、天野のみんなみたいに〈花〉の字が入ってないの?」
夜になって母に問うと、母は嬉しそうにした。
「お母さんは個性を大事にしたかったの。でも〈はな〉は掟だし、音だけでも入れなきゃいけないと思って。可愛いお名前でしょう?」
母や祖母のようにきちんと魔女の教育を受けた者でも、魔力の発動条件に関してはおじと同じくらいの知識しか持たないのだ。瑞希おばと羽菜という二つのヒントがそろい、ただのしきたりとしか考えていなかった〈花〉の一字がいかに重要なのかを、現代の魔女たちはようやく理解した。
――こんなに大事なことなのに、その理由が伝わっていないのはなぜ?
自分は名付けられたその瞬間から魔女ではない。改名でもしない限り――それで魔力が現われるかどうかも謎だが――どんなに頑張ったところで、他の魔女のように空を飛ぶことは叶わない。
魔女は十二歳で当主から空を飛ぶ許可を得る。そこから自身の魔力を使いこなすための媒体を探すのだが、これが結構苦戦するそうで、ピタリと相性のよい媒体を見つけた頃には十三歳になっている。そこから年を追うごとに魔力が落ちて、だいたい二十五歳くらいには飛べなくなる。魔力の残量は人それぞれで、他人よりちょっぴり勘が良かったり、占いができたり――つまりふつうの人とほとんど変わらなくなる。
それでも「空を飛んだ」という成功体験は自信という魔法に変わり、天野の女たちは世間一般の女性よりも若く生き生きとして、何も知らない人に「美魔女」なんてうらやましがられたりする。
女の最も華々しい時期にしか魔女でいられない。
――みんなが魔女であることを誇る中、あたしはそこに入れない……。
去年の夏と今年のお正月は高校受験を理由に帰省しなかった。部活動に入れば今年の里帰りも回避できたのかもしれないが、それをしなかったのは、まだ自分が魔女というものに未練を残しているからだ。
つい重いため息が出そうになったが、この場に魔女が三人もいることを思い出してぐっと堪える。
窓の外を見上げたが木々しか見えず、鮮やかなはずの緑もガラス越しで暗かった。
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