⑦クリスマス・イブ

 河川敷へ向かう。かつて忍が一人寂しくイヴを迎えていた場所。大晦日に有島に見つけてもらった場所。碧眼の件で事務所を飛び出して不貞腐れていた場所。同じ河川敷だった。


 柊が逃げないように蒼樹が彼女の側に、また勝手に蒼樹が彼女を連れ去らないよう車の鍵は忍が持つ。


 トランクから都倉を運ぶ前に車の中に置いていた結束バンドで手足の自由を奪ってから担ぎ上げ、なぜか蒼樹が「予備」と言って渡してきた底穴なしの割と大きめ――あの時これを使っていたら絶対に死んでた――の植木鉢を持って河辺で水を掬ってきた。蒼樹がそれを見て「それで殴るんだと思った」としれっと酷いこと言う。流石にそこまで鬼じゃないと忍は都倉の顔に水をぶっかける。


 都倉は最初は何が起きたか理解できないと動揺を隠せていなかった。


 が、すぐそばで膝をついた柊を見つけてすっかり大人しくなってしまった。


 柊は都倉に話す前にまず忍の顔を下から見上げる。


「今分かった、叔父がずっと私から離れてた理由。

 事件のあと、私が小学校を卒業するまでは叔父も国内にいたんですけど、いつも家にいたくないような、私と二人きりになりたくないような雰囲気を感じてました。

 私が赫碧症かくへきしょうだから……だけじゃなくて、内心私が犯人なんじゃないかと思って、実の親も殺せる子どもだと思って、怖かったんですね。それで一緒にいたくなかったんだ」


 世界中から評価されている写真家で、各地を転々としているから彼女を一人置き去りにしたのだと思っていた。それもあったのだろうが、忍は柊から聞かされてようやく叔父の本心に、そして叔父夫婦が「小五になる前に離婚した」の理由に気づいたことを恥じた。


「通りで他の親戚も私と関わろうとしないんだと思った。叔父は子どもがいなかったから、貧乏くじ引かされてたんですね。

 でも叔父のことを責める権利ありません。私も家族より自分が一番大事だったから」


 柊は気丈に笑ってみせたが、感情を伴わない乾ききった表情に忍は痛々しさを覚えてしまった。


「柊――」


 忍は反射的に心の言葉が口から漏れ出そうになった。その前に、柊はゆっくりと顔を左右に振ることで「これ以上なにも言わないで」と暗に伝えた。


「今までご迷惑をおかけしました。私のおままごとに付き合わせてしまって本当にごめんなさい」


 最後くらいは笑って別れたい。そんな想いが嫌というほどに伝わる、愛執と哀愁の入り交じった作り笑いだったのが忍は悲しかった。


 もう柊は忍から顔を逸らし、都倉の方を見る。結束バンドで自由を奪われ、ずっと横になっている都倉がややシュールに見えた。


「今まで私のこと庇うために九年間ありがとう。でも、もっと早く教えて欲しかった。……ごめんね」


「柊様。おやめください。当時あなたは九歳で、赫眼していたのです。自首しても罪には問われません。行っても無駄です」


「でもいつまでも未解決事件だったら、私が所長のことずっと疑ってたみたいに、目撃された少年と同世代ってだけな人たちが疑われ続ける。そんなの許されない」


「あなたが余計なことをすれば、赫碧症者が今以上に差別されます。それをお分かりですか」


「痛いとこ突くなあ……。でも私が自首しなかったら、そこの女記者さんが全部大々的に記事にしちゃうから。遅かれ早かれそうなるよ」


「やめてください。自首なら私がしますから……」


「都倉……それはあんまり……」


「違うんです。あの日、柊様の両親を殺害したのは私なんです」


「いや、だから……」



「あの日、クリスマスパーティーに私も参加させていただきましたよね。

 

柊様が二階のお部屋に戻られた際、ご両親とお話しました。プレゼントを預けて帰ろうとした時、ご両親からあなたの今後について打ち明けられました。

あなたが中学に上がった暁には赫碧症かくへきしょうであることを公にした上で



『赫碧症者に不利な法令は憲法違反であり人権侵害』

『赫碧症者でも適切な訓練を受けるだけで共生できる』



 などと、いずれはマスメディアの前で大々的にスピーチさせる予定だから、今のうちに練習させてやってほしいと、頼まれました」





 都倉の告白に、全員が息を呑んだ。


 

  ◇◇◇



 

 赫碧症かくへきしょうでも頑張ってたくさん友達を作りたい。


 そんな自分の姿を両親に見て喜んで欲しい。



 嬉しそうに語る幼い少女の純粋な願いに、思わず心を動かされたことを彼は今でも覚えている。


 元々心理福祉課の職員であり、それまでの実績で赫保のメンバーである樫井夫妻から直々の指名を受け、柊のコーピング指導者――表向きには夫妻らの顧問、赫碧症の専門家と言う立場――として転職した。


 彼は彼女の想いに応えるべく支え続けた。「適切な訓練」など月並みな言葉で語れるものではない。

 柊の人生が豊かに、幸せになることを願った彼の献身と愛だった。

 表向きの立場も、柊の不利益にならないための配慮だと信じ夫妻に対しても好意的に接していた。あの日、あの夜までは。


 夫妻から、今まで自分が任されていた仕事は「プロパガンダ」としての「英才教育」のためだったと知らされ、愕然とした。彼女の希望や、行く末が暗く閉ざされていく気さえ覚えた。


 この夫妻は彼女の保護者には相応しくない。話を打ち明けられた瞬間、失望より先に殺意が芽生えた。


 実行後、すぐに自首を考えた。


 しかし都合がいいことに窃盗――「赫眼かくがんの少年」が侵入する。


 一階で柊と、凄惨な一面に遭遇して恐怖であかく眼が光った「少年」が鉢合わせした。


 運命だと思った。自分こそが彼女の保護者としてふさわしいのだと。そして神がそのお膳立てをしてくれたのだと。


 都倉はこの侵入者こそが犯人になるよう凶器から自分の指紋を拭き取り、更に柊に証言させることで世間の目を欺くことに成功する。


 彼女が赫碧症と知って腫れ物に触る態度の叔父の心理を突き、脳への負担が激しい碧眼になる場面が出ないよう目を光らせるために彼女の護衛を申し出た。


 叔父はお払い箱にできると簡単に彼を姪の護衛に指名する。指導者としての実績を信じていたという理由もあった。


 その後違法な手段で銃火器を揃え、彼女の護衛に徹するようになった。




 ――――これが、都倉が告白した全てだった。




  ◇◇◇

 



「……最悪なクリスマスプレゼントしてくれたなお前。それで、俺が柊を横から掻っ攫おうとしたから銃弾贈りつけたりガラス割ってまで牽制しに来たり、チンピラに襲わせたりしたのか。精神年齢いくつだよ」


 忍は皮肉で言うつもりだったが、どうしても声の震えを抑えることができなかった。


「得体の知れない男が自分の娘に近づいても腹を立てるなと言う方が難しい」

「――娘? 誰が、誰の娘ですって?」


 ずっと黙って膝をついていた柊が都倉の言葉にピクリと反応して、ゆっくりと立ち上がった。顔は下を向き、眼は前髪で隠れている。


「じゃあなんであの倉庫にいた時、私が罪を着せられそうになった時、自分が犯人だって自白しなかったのよ。それどころか所長に便乗して……娘に罪をなすりつける親がどこにいるのよ……」


「柊、それは違う……」


「よくも……今までのうのうと…………」


「柊……私だけが君を幸せに……」


「やめて! 気安く呼ばないで!」




 柊の両親は自らの信念を建前に娘を自分たちの道具にしようとしたのかもしれない。


 だが都倉は都倉で、「柊の将来」を建前に彼女を欺き続けていた。



 突然柊は忍を突き飛ばしたかと思えば、彼のポケットに入っていた拳銃を奪った。

 セイフティを解除し、当然のように彼女は両親の仇へ照準を合わせる。

 突き飛ばされた忍も、そばにいた蒼樹も彼女を止める素振りを見せない。

 都倉も、ただ処刑を待っている。


 そんな一触即発のシーンで、忍が「柊」と声をかけた。


「止めないでください!」

「いや、そうじゃなくて」


 柊が横目で忍を見る。底穴なしの植木鉢を持っていた。

 手で揺らすと中からカランコロンと音が鳴る。そして中身が見えるように柊の方へ傾ける。






 ――――中には、五つの銃弾が隠されていた。




 それを見て、柊は力任せに引き金とグリップを握り壊した。

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