あぶない同居生活

①同居

●四月九日(火曜)


 始業式が終わると早速柊は大きめのスーツケースを引っ提げて事務所に訪れた。


「あ、やっぱもうここで暮らす気でいるの?」

「当然ですが?」

「別居婚って知ってる?」

「知ってますけど! それがなんですか! 夫婦たるもの一つ屋根の下で暮らすのが鉄則でしょう! 別々に暮らすなんて夫婦なんかじゃありませーーん!」

「単身赴任してる人が泣くようなことを言うな」


 ここまで準備万端にされると足蹴にするのもなんなので、忍は事務所に併設された二階にある自宅へ彼女を案内する。スーツケースを持ってうんしょうんしょと運ぶ彼女を見かねた忍が「貸して」と受け取り軽々と階段を上がった。


「ところで、今まで住んでたマンションってどこ? 学校の近くにあるレンガ調のとことか?」

「いえ、そこじゃありません。駅が近いです。ここからも見えますよ」

「いや駅近くって言ったら……」

 柊は廊下の奥の窓を開けると、「あそこです」と指を差した。忍も跡に続いて彼女の指差した建物を探す。

 最寄りの駅の近くには、何軒もタワーマンションが立ち並んでいる。

 彼女が指さしたのはその中でも一番高い、四十階建てのタワーマンションだった。


「あっ……マンションって賃貸マンションのことじゃなくて、分譲マンションのこと?」

「違いがよく分かりませんけど、多分そうだと思います」

「俺をあそこに住まわせてくれたら良かったのに」

「あ、その発想はありませんでした。父名義で管理費諸々も父が払ってるのでひとまず放置するつもりでしたが、向こうに行きたいですか?」


 あのタワーマンションは屋内プールやフィットネスジム、エステサロン、バーなど施設が充実していることでも有名だった。

 しかしあそこへ住むことになれば、ただでさえ柊のペースにハマりそうな上に家庭内パワーバランスさえ柊に傾いてしまう。


「いや。やっぱ事務所と自宅が一緒だとなにかと便利だから。ここで暮らそう。うん。じゃあ部屋案内しようか」


 柊が今まで暮らしていたマンションと今自分が住む庶民感溢れる自宅。格差がありすぎて忍は否応なく羞恥心と劣等感に襲われてしまう。

 最初に紹介したのは柊の寝室となる部屋だった。ここで勉強もできるようライトスタンドが置かれている机、椅子、ゴミ箱、そしてシングルベッドが一つだけとこじんまりとしている。ベッドの上には掛け布団や枕はおろかシーツも外され、裸のマットが一つ置かれているだけだった。


「荷物はここに置いときなよ。一応俺が使ってたベッドだけど、シーツやらは今洗濯して乾かしてるところだから、それでも気になるなら自分の小遣いで買って」

「い、伊泉寺いせんじさん……そんな準備万端で、どんだけ楽しみだったんですか…………♡」

「いや絶対今日押しかけてくると思ってた」


「ところで……今日からここのベッドを私が使うとなると、伊泉寺さんはどちらでお休みになるんですか?」

「前は他にも部屋があって、布団もあったんだけど使わなくて処分した上に物置部屋にしちゃってさぁ。捨てなきゃ良かった。うちリビングないから、物置部屋を片すまでは事務所のソファで寝るよ」

「そ、そうですか。ダブルベッドじゃないのが悔やまれますね」


 柊はいかにも残念そうに言うが、俄に安心した顔を覗かせていたのを忍は見逃さなかった。


 キッチン、風呂、トイレと自宅をあらかた説明してからは、もう一度二人で一階の事務所に戻った。今度は生活のことではなく事務所内での彼女の役割説明の始まりである。


「固定電話は俺の携帯に転送するようになってるから電話対応は気にしなくていいけど、うちは土日祝も営業だから、もし俺の留守中に来客があったら名前と、電話と、簡単な要件だけ聞いて『所長に折り返しお電話するようお伝えします』って言うこと。あとはメモを書いて机の上に置いといて。分からないことは無理して答えなくていいから。俺が戻ってもメモに気づいてないようなら声かけて。もし急ぎの案件なら構わず俺に電話なりメッセージなり入れていいから」


 彼はここ二年近くずっと一人だけで事務所を切り盛りしてきた。なので仕事のことなど他人に教え慣れているはずもなく。要領を得ない自覚もあり、脳内忍も「お前説明ドヘタクソすぎかよ」とセルフツッコミしている。

 一方柊はそんなグダグダな説明でも理解できているようで、メモをとりながら「はい」と頷いている。聞くまでもないが一応聞いておくとアルバイトの経験はないとのことだった。


 次に事務所内の給湯室へと彼女を案内する。

「お客さんにはお茶を出してあげてね。俺の分はいいから。ケトルでお湯沸かして、急須とお盆はここ。来客用の茶碗はこれね。そう、前に晦さんに出したのと同じやつ。あ、うちコーヒーは出さないから。両方あると迷うから最近やめた。まあないと思うけど、どうしてもコーヒー出せっつってきたら俺用のインスタントが置いてあるからここから取っていって、カップとソーサラーも一応残してるから。晦さんも飲みたい時はマイカップでも用意して勝手に飲んでいいよ。砂糖もフレッシュもないけど。今は熱いお茶でいいけど暑くなったら……まあそれはいいや」


 忍は給湯室での一通りのレクチャーを終えると、あとは事務所内の掃除など彼女にでもできそうなことを順に説明した。


「分かってると思うけど、個人情報を扱う仕事だからここで知り得た内容は学校で話したりしないように。あとお客さん来てる時に制服じゃちょっとなんだから、私服……えーっと」

「はい、事務所でお手伝いしている間は、落ち着いた服装を心がけます」

「うん、そういうこと。今日はこんなもんかな」


 気づくと時刻は午後五時。下校中なのか中学生の笑い声が外から聞こえてくる。


「…………今日はその、色々教えてもらっていたらあっという間でしたね」

「誰も来なかったって言いたいんだろ。分かってる、たまにはこういう時もあるさ」


 たまにどころか頻発したり連続したりすることもあるが、その辺の世知辛い事情は彼女にはまだ早いと飲み込む忍なのだった。


「このくらいの時間で上がっていいから。学校がある平日はいいから。うちの手伝いじゃなくて学業が優先だからね」

「それもあと一年の話ですねっ。卒業したら、毎日お手伝いできますから!」

「大学行かないの?」

「大学に行ったらまたお手伝いできる時間が限られるじゃないですか!」

「俺が廃業した時はどうするの」

「…………私が伊泉寺いせんじさんを養う必要がありますね」

「そう。俺は大学行かなかったから、代わりに晦さんが勉強頑張ってね」


 いつまで紙切れ一枚で結んだ関係が続くか分からないからな。


 そんな忍の真意を知らず、柊は学業と事務所の手伝いの両立に張り切っているみたいである。

 やがて柊は上目遣いにチラチラと忍の顔を覗いてきたので彼はしょうがなく「なに?」と尋ねた。


「ではその、名実共に夫婦になったという訳で……コホン。これからの呼び方ですけど。戸籍上はもう私は伊泉寺いせんじさんの姓であるわけですし? 『柊』呼びが相当だと思われるのですが? あと私からは『忍さん』とその……あ、『あなた』のどちらでお呼びしましょうか」

「じゃあ、ここで暮らす間は『所長』で統一するように」

「婚姻関係を結んだんですよっ⁉︎ 婚姻関係は雇用関係を上回るに決まってるでしょっ⁉︎」

「うん、でも社会ではこういうの、ケジメだから。特にお客さんの前ではあまり気安い名前で呼ばないように。俺も君のことは旧姓で通すからそのつもりで」

「それくらい分かってますよ! プライベートな話をしてるんですよ私は‼︎」

「うちは三百六十五日二十四時間体制だから。仕事とプライベートは分けてないの」

 



 文句たらたらの柊を二階に追いやってから忍はそのまま暗くなるまで電話や書類整理で一人事務所で仕事を続けていた。

 夜八時すぎ、運送屋から事務所宛に段ボールの荷物がお届けされる。

 受け取った箱は六〇サイズで非常に軽い。送り状の「ご依頼主」の欄には会社名と担当者らしき名前が書き込まれていたが、今まで取引があった会社でも人間でもなく、全く身に覚えのない名前である。

 会社名は検索するとヒットしたものの、ホームページを閲覧するとオーガニック化粧品を取り扱っているというまず関わり合いになることのない会社だった。

 品名は「書類」とだけ書かれている。これらは全て手書きではなく、ドットプリンターで印字されていた。

 耳の近くで手で軽く振って中身を確かめようとするも、手応えがまるでない。少なくとも書類の類いではなさそうなのは確かである。

 御中元や御歳暮の可能性は期待せず、カッターでOPPテープを切り、中を開けると箱ピッタリの大きさの発砲スチロールの箱が詰められていた。

 嫌な予感がしつつ、発泡スチロールの蓋を開ける。


 一枚の無地の紙が挟まれており、それを払うと発泡スチロールの塊に小さな長方形のくぼみがど真ん中に開けられていた。





 くぼみの中にあるのは長細い鉛――単三電池よりも細くて長い――――銃弾だった。


 

 

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