②馴れ初め

 現実では映画のように空から女の子は降ってこない。

 その代わり、ここでは植木鉢が降ってくる。


 通行人の前に突如降ってくる。既に四回起きている。

 一回目こそ到底通行人に当たるとは言えない場所に落ち、だからこそ近くにいた通行人は偶然風か何かで落ちたのだろうと気にも留めなかったらしい。

 二回目の時も同様だった。そう思われた。

 しかし三回目、四回目と事件が続くうちに、だんだん植木鉢の落下ポイントと通行人の距離が短くなっていった。更に見過ごせないのが植木鉢のサイズや重さも大きくなり、閑静とした住宅街からマンションが並ぶ立地へと危険度も跳ね上がってきている。まるでスリルを段階的に味わっているかのように。

 三回目にしてようやく警察も動き、ここで一回目と二回目の事件についても発覚した。


 世間では概ね「植木鉢事件」「植木鉢連続落下事件」などと呼称されていた。


   ◇

 

○二月十九日(月曜) 


「それで、例の植木鉢事件に息子さんが関わっているかもしれないと?」


 テーブルを挟んで向かいにソファに座っていた中年の夫婦が揃って頷く。

 黒いスーツの男から夫婦へ手渡されたこだわり感ゼロなデザインの名刺には「伊泉寺探偵事務所 所長 伊泉寺いせんじしのぶ」と印字されていた。


 年齢は二十一歳。先代の跡を急遽継ぐことで所長の椅子に納まったので、年齢を知っている人間からは若造と侮られることも少なくない。なので、彼は聞かれない限り年齢は自分から言わないようにしている。

 ただ、実年齢を言うとその若さに驚かれるよりも「二十五は超えていると思った」と言われてしまう。

 早くに独り立ちしたためか、老け顔なのか。本人は前者だと思っている。


 依頼人の夫婦は自営業で、ラーメン店を経営している。この日は店舗の定休日である水曜日。

 あらましとしてこうだった。家の物置から植木鉢がどんどん無くなっていったことに気づいたのは園芸が趣味の亭主であった。

 ニュースで流れる連続植木鉢落下事件。時間帯はおよそ夫妻の息子、中学生が部活帰りの頃である。

 忍は夫婦から息子が所属している野球部が終わる時間帯を尋ね、早速今日から尾行すると告げた。話が終わり、両者立ち上がる時に「所長さん」と亭主から呼びかけられた。


「うちも営業時間外も仕込みがあるから毎日毎日学校帰りの息子を監視しきれんのです。従業員もギリギリだから片方抜ける訳にもいかず……」

「分かってます。その為に私がおりますので」


 揃って背中を丸める夫婦が事務所を出る前に頭を下げ、忍は去って行く二人を見送った。

 夫婦が営々しているのはラーメンマニア御用達、街の常連客はもちろん遠方からもラーメンを食べにやってくる有名店である。ちなみに事務所の主である忍は一度も食べに行ったことがない。

 息子が本当に犯人だとして、誰かを傷つける前に止めなければならない。警察に捕まる前に自首させたい。もし息子が植木鉢を落とそうとしている場面に遭遇したら、その前に必ず止めて欲しい。それが夫婦からの依頼だった。

 確かに息子が犯人なら営業にも支障は出るだろう。万が一人死にが出たら、そうでなくてもケガを負わせたものなら汗水垂らして得た評判も失墜すること間違いなしである。

 無実であることを信じたいとか、犯人であるなら償わせなければならないとか、忍にはどれもどうせ保身から来る言葉なのだろうと冷めた気持ちしかなかった。

 とはいえ流石人気店舗の経営者。着手金の時点でかなり用意して貰っている。

 忍は封筒から札束を抜き取って金庫の中へ入れ、封筒はもったいないので何かの時に使い回す用として引き出しの中にしまい込んだ。


 ◇


 その日の内に忍が行動を起こすと、早速対象が不審な行動を見せた。


 部活終わりに尾行し、しばらく歩いて人が賑わう中心街へ向かうと少年はキョロキョロと何かを品定めするかのように建物を一つ一つ確認している。やがて非常階段が設置されている四階建ての雑居ビルをターゲットにすると少年は迷わず目的地に向かって歩き出す。

 ここが今度の肝試しか。時間帯としても会社帰り、学校帰りの通行人で溢れかえっている。忍も距離を取って少年を尾行した。

 対象はスポーツバッグから素焼きの植木鉢を取りだして一旦地面の上に置き、柵を掴んで地上にいる小さな人々の群れを観測する。少年の身長が一五〇くらいだと仮定して、屋上の柵の高さは彼と同程度だった。


 自分の気分次第で人などいつでも傷つけられるのだ――とかなんとか全能感に浸っているに違いない。非常階段で待機し、頭だけ屋上が見えるようポジションについた忍は少年の内心を勝手にそう決めつけた。


 ひとまず地上を眺める少年の様子を植木鉢が映るようにスマートフォンで無音撮影する。そしてメッセージ通信アプリで少年の父へ画像と共に「あとでまた事務所にいらしてください」と言葉を添えた。


 ただしこれだけでは十分とは言えない。彼が植木鉢を落とそうと手に持っているその瞬間――決定的な瞬間を捉えなければならない。


 もうチェックが済んだのか、少年が腰をかがんで鉢植えを両手で掴む。

 忍もまた少年を見ながら非常階段の柵の隙間から地上を確認していた。向かいから来る女子高生を先頭に通行人が数名いるのを第一陣とすると、そこから一旦人が途切れて十五メートルほど後に第二陣がやってくる。第一陣の後方と第二陣の先頭の間を狙うつもりだ。


 まだ第一陣の先頭が通るまで余裕がある。少年が目線を地上に、掴んだ植木鉢を頭の上前方へ、爪先立ちになる姿を激写、すかさず後ろから音を立てずに近づき――――



 突然、少年が顔を上げて何かに怯えているような目をした。

 忍に気づいた訳ではない。少年の目線は彼ではなく真向かいのビルに向けられていた。


 少年が動揺し、植木鉢が掴む手が緩む――





 瞬間を見逃さず、植木鉢が少年の手から完全に離れるより先に忍の体が動いていた。忍は尾行がバレることなど気にする余裕などあるはずもなく、少年が植木鉢を落とそうとした場所から屋上の柵を片手で軽々と飛び越える。

 クソッ、と咄嗟に漏らした声で少年はようやく自分以外の男の存在に気付き、そして柵を飛び越えて落ちていった忍をそこから呆然と眺めるしかなかった。


 植木鉢を構えた時点では第一陣が通りがかるまでに余裕があると思っていた。しかし「一目」地上を見ただけで予期せず落ちてしまった植木鉢は先頭の女子高生に直撃する、間違いなく。考える暇もなく、突き動かされるように体が――眼が動いた。


 地上の人間たちにも異変が起こった。後ろの第二陣が落ちてくる男の姿を見て騒ぎ始め、それに続いて第一陣が今から通りがかろうとしていた先に男が落下中であることに気づき、突然のことに全員パニックどころか体が硬直して動けないでいた。


 しかも最悪なことに、最も植木鉢の落下ポイントに近いであろう少女がその場でしゃがみ込んでしまったのだ。


「バッ! しゃがむな!」


 この一言の間に、忍はたまたま開いていたビル二階の窓の桟を右手の肉がモロに食い込むほど掴み、同時に片方の手で植木鉢をキャッチする。紙一重の差で植木鉢よりも忍の体が下に落ちるほうが先だった。


 流石に右手が食い込んだ時は呻き声が漏れてしまったが、今もなんとか掴み続けている。植木鉢の重さはは一キロもない。だからと言ってこの状況で無事に抱え続けられる訳がなかった。


 真下の少女は忍の声で顔を上げたが、それでもその場から動こうとしない。忍の顔、そして瞳に吸い込まれているかのようにただ見つめている。


 彼もまた彼女の瞳を見つめる。突然の事態に揺れる瞳に、美しい碧色が反射しているように見えた。


 咄嗟に足でビルの壁を蹴って忍は斜めに飛び降りる。植木鉢が割れないように抱きかかえ。


 抱きかかえたまま、両足を地面にしっかりと着地させてしゃがみ込む――世間においてヤンキー座り、品のない言い方をすればウンコ座りと呼ばれる――無様な姿で地面に着地した。


 無茶な着地のおかげで両足にハンパない負荷がかかり、忍は足の甲のジーンとした痛みで数秒固まってしまう。

 次に頭を上げて非常階段が視界に入ると、その時まさに屋上の少年が逃亡しようとする寸前だった。


 シベリアンハスキーのようだと形容されたことがある忍の目つきに少年は恐れをなし、慌ててその場から走って去った。



「……ぬところだったろうが待てやコラァーーーーーーーーッッッ‼‼」



 忍も少女のことなどもはや気にも留めず逃げた少年の跡を追った。律儀に植木鉢を大事に抱えながら。

 少女は一瞬後を追いかけようと思ったが、その必要はないと分かった。


 こだわり感ゼロの名刺が、地面に落ちていたことに気づいて。


   ◇

 

 その後無事忍に捕獲された少年は植木鉢落下事件についてこう語った。


 部活動での先輩からのしごきに嫌気がさし、ストレス発散とスリルを味わうために事件を起こしていたのだと言う。植木鉢の隠し場所は学校の裏庭だった。


 判明してみればどうと言うことはない。しかしそんなどうと言うことはないことで人を追い詰め、凶行に駆り立てることはいかにもありがちだった。


 これから警察に自首しに行くと夫婦は言った。そして息子が犯罪者になる前に引き留めてくれてありがとうとも両手を握りしめられるほど感謝された。十三歳だから刑罰に問われるわけではないと無機質に言うほど忍も無粋な性格ではなかった。


 少年はずっと事務所で泣いていた。犯人だとバレてしまって勘当されると思ったのか、一歩間違えて人を傷つけかけたことに恐怖したのか――それとも、両親が最後は何があっても息子と共に十字架を背負うという旨の話を聞いて、感極まったのか。


 自分もあの少年と同じ立場なら、ああ言われたら泣いてたかもしれない。それでも夫婦の語る言葉がどうしてもうさんくさく思えて、また事務所の主でありながらこの空間で唯一の異物のような気さえして、忍は淡泊に家庭でよく話し合うようにと促して一家を帰宅させると、時刻は午後八時を回ろうとしていた。


 ようやく孤独に包まれるようになると右手と両足が思い出したかのように痛み始め、明日病院へ行かなければとぼやいた。

 そして植木鉢を落とす直前に何を見たのかという自身の問いと、少年の答えが忍の頭の中を巡っていた。


 


 向かいのビルを見た時、誰かが自分を見ていた。


 長細くて、黒いもの――狙撃銃のようなものを持って、物陰から自分を狙っていた気がしたと。

 

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