嘘から出たまことの愛

月井 忠

一話完結

 俺には三分以内にやらなければならないことがあった。


 待ちゆく女性に声をかけて、デートをして、告白をして、結婚をして、子供を作ることだ。


 もちろん三分じゃ無理だ。

 では、どうするか。


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れでもやって来ないかなあ、などとバカなことを考えてみる。

 だが、三分で子供を作るより、バッファローの群れに期待する方が現実的に思えてきた。


 スマホで時間を確認する。

 後、二分。


 俺は立ちすくんだまま、飲み屋の看板を見上げる。


「なんか、どうでも良くなってきたな」


 結局、約束の時間通りに飲み屋のドアを開けた。


「おっ! 来た、来た」

「待ってたよ」


 店の奥まで行くと、座敷から声をかけられた。

 待ち合わせをしていたヤジマ夫妻だ。


 こいつらとは昔からの腐れ縁で、たまたま気の合う三人が集まって飲む感じだったが、いつの間にか二人は付き合いだして結婚した。


 別に取り残されたことに恨みはない。

 ただ、その後の俺に対する「いじり」が面倒なだけだ。


「久しぶり」

 そう言って座敷に上がると、部屋にはもう一人の人物がいることに気づく。


 俺は一瞬動きを止め、その女性をじっと見てしまった。

 彼女は俺を見ると目を合わせ、こくりと静かに会釈をする。


 両手で持ったカクテルのグラス。

 その仕草にも、なぜかときめいている自分がいた。


「そうそう、お前の奥さんと子供はどうしたんだ?」

 ヤジマ夫が言う。


「いないみたいね」

 ヤジマ妻が追い打ちをかける。


「ああ、ちょっとな」

 俺はそう言って席につく。


 隣には見知らぬ彼女。


「そうか、じゃあしょうがないな。それよりさ――」


 えっ?

 そんなもん?


 俺は拍子抜けした。

 もっと問い詰められると思っていた。


 ヤジマ夫は見知らぬ彼女の方を見て口を開く。

「この子、ハイジマさん。会社の後輩で、ここに来る時見かけたから、一緒にどうかって誘ったんだけど」


 なぜか、俺の方を見て言葉を止めた。


「それで?」

 俺は先を促す。


「一緒にいいか?」

「もちろん」


 断る理由がなかった。


「だってさ」

「ありがとうございます」


 ヤジマがハイジマさんに言うと、なぜかお礼を言われた。


「いえ」

 そう言って俺も頭を下げる。


 だが、奇妙な飲み会となった。

 普段なら、ヤジマ夫妻との昔話に花を咲かせる会なのだが、今回はハイジマさんがいる。


 彼女は俺達の過去を知らない。

 だから、自然と時事関係の話になる。


 俺は少しホッとしていた。

 いつものようにヤジマ夫妻に問い詰められなくて済むからだ。


 しかし、それは問題もはらんでいた。


 隣のハイジマさんをちらっと見る。

 彼女にまで嘘をつくことになるからだ。


 ヤジマたちが結婚した後、やたらと新婚生活の話をされた。

 結婚はいいぞ、お前も早く結婚しろと散々言われたのだ。


 正直うざい。


 だが、それを理由に二人と会わなくなるのも寂しかった。


 だから俺は架空の彼女を作り出した。

 お前らに紹介するつもりはないけど、彼女ならいる、いつか結婚するつもりだ、と嘘をついたのだ。


 そうすることで、この話題から避けられると思っていた。

 しかし、嘘は一度つくと引っ込みがつかなくなる。


 いつしか、俺と架空の彼女は結婚し、子供まで作っていた。

 幸いコロナ禍もあって、式は挙げず、子供も小さいからと、ヤジマ夫妻を遠ざけることはできた。


 だが、もはや飲み屋にパーティションはない。

 早く紹介しろと急かされ、今日の飲み会が催された。


「だからハイジマさんってさ――」

 ヤジマはハイジマさんのことを高く評価しているようで、やたらと褒め立てる。


 そしてハイジマさんは「いえいえ」と言って恐縮する。


 かつて結婚のことでいじられていた俺を見ているようだった。


「あのさ」

 俺は少しだけ声を大きくして会話に割り込む。


「お、おお」

 ヤジマは持っていたグラスを止めた。


「う、嘘なんだ」

 自然と目線は下に落ちる。


「なにが?」

「その……結婚してたってこと」


 隣の座敷で騒ぐ、若い奴らの声が響いていた。


「じゃあ、今付き合ってる人もいないの?」

 ヤジマ妻が聞く。


「ああ」


「ほら、やっぱり! じゃ、出してね」

 急にヤジマ妻が夫に向かって声を上げた。


「ちきしょう! そこまで嘘つくかね、普通」

 ヤジマ夫が悔しがる。


「どういうことだ?」

 俺が聞くと二人はニヤリと笑った。


「お前が嘘をついてるか、勝負してたんだよ。負けた俺は、今日の飲み代を出すことになった……お前のせいだ」

「なっ!?」


 こいつら俺のことで賭けてたのか。

 正直、ムカつく。


 だが、それだけでないこともわかっていた。

 どうして、ハイジマさんがこの場にいるのか、ずっと気になっていた。


 俺のタイプ、ドンピシャの彼女が。


 ヤジマ夫妻は当然、俺の好みを知っている。

 だから、わざと連れてきたのだろう。


 もしかしたら、俺に対するいじりの詫びということもあるのか。

 結婚出産という嘘をつかせてしまったことに対する礼として、彼女を紹介する。


 そんな可能性もあった。


 そして、この場で俺の嘘を終わらせるということも。


 だって俺は嘘の既婚者で居続けるなら、彼女を口説くことはできない。


 実際、俺はそれが嫌で嘘を告白したのだから。


「付き合ってられないな、ハイジマさん二人で飲み直さないか」

「え? はい」


 そう言って俺とハイジマさんは席を立った。


 まさかヤジマ夫妻は悪役を買って出たということもあるのだろうか。

 こうして、二人で抜け出す口実を作ってくれたとか。


 考えすぎか。


 しかし、もしハイジマさんと付き合い、結婚するような未来があるとするなら、おそらく俺はヤジマ夫妻に報告することになるだろう。


 どこかでそうなる予感がしている。


 ハイジマさんと目が合った瞬間、これが最後の恋になるという予感があったのだから。

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