第53話 命がけ

 この声色。喋り方。これは伽羅奢の得意技、甘えん坊美少女ポーズ!

 でも、そんな事をされた男が理性を保っていられるわけがない。確実に貞操の危機だ!


 バクバクと鼓動が速くなる。

 フンス、フンスと下品な鼻息が聞こえてくる。

 そんな危機的状況でも伽羅奢はまた甘ったるい声を出した。


「ねえ、どうしたの? 好きにしてよ。それとも、見てるだけで満足?」

「が、伽羅奢! やめろって!」


 俺が大声で止めようとすると、伽羅奢は急に腰を引いて前傾姿勢になった。

 俺たちを縛りつける鎖が伽羅奢側に引っ張られ、鎖は俺の上半身にきつく食い込む。


「ぐぇ」


 うめき声が俺の口から漏れる。だけど伽羅奢は知らんぷり。なおもグイグイと前傾姿勢を続けた。


「ここで、はさむ?」

「ちょ、伽羅奢?!」


 前かがみになっている伽羅奢は、たぶん男に胸の谷間を見せつけようとしている。男は何も言わない代わりに呼吸を大きくした。


「さわる? それとも……いれる?」


 甘い吐息と共に提示された二択。男は鼻息を荒くしながら、ガチャガチャとベルトを緩め始める。


「フー、フー」


 男の荒い呼吸音。


「伽羅奢!」


 衣擦れの音とともに、伽羅奢のささやくような声が聞こえる。


「ねえ。はやくきて」


 そう言いながらも、伽羅奢は思いきり腰を引いていた。

 椅子に深く腰掛け、お尻は背もたれにぴったりとくっついている。

 神聖なる伽羅奢の入口は、座面という天岩戸によって完全に守られていた。


「フー、フー、フー」


 男の呼吸が速くなる。


「ねえ、はやく」


 と言いながら逃げる伽羅奢の腰。

 男の手が伽羅奢の姿勢を変えようとするが、伽羅奢の腰は椅子の奥で左右に動くばかりで、男を拒み続けている。

 ちなみに俺はというと、背中合わせの彼女が左右に動くたび、鎖が身体に食い込んで、ひとりで「ぎゃ」「ぐぇ」「ぐぉ」と変な声を漏らし続けていた。


「はやく入れてよ、ねえ」

「ぐぇ」

「うるっせえな! わかってるよ!」

「ぐぉ」

「チッ! 邪魔だなぁ、この椅子!」

「ぐぁ」

「そんで、てめぇはうるせえな! 黙れよ!」

「ぐげ」

「黙れっつってんだろ!」

「ぐぎ」

「あぁあ! しょうがねえなあ! 女だけ解放してやる!」

「ぐご」


 俺の不気味な喘ぎ声と伽羅奢の逃げ腰に耐えかね、男は俺たちを縛る鎖を一心不乱にほどき始めた。がちゃがちゃと緩んでいく鎖。


「今だ、愛音!」


 伽羅奢が叫ぶ。

 俺は勢いよく椅子から飛び上がった。


「まかせろ!」


 鎖をほどいていた男は、ズボンを中途半端に下ろした状態で椅子の隣にしゃがみこんでいる。鎖をふりきった俺はそのアゴめがけて思いきり蹴りを入れた。


「うらぁ!」

「ぅぐあっ!」


 よろめいた男が灯油まみれの床に滑って派手に横転する。


「よし! 逃げるぞ、伽羅奢!」


 男は脱ぎ掛けのズボンに足を取られ、なかなか起き上がれなかった。チャンスだ!

 俺は伽羅奢の手を取り、ドアに向かって一気に走りだした。


「待てコラァ! ざけんじゃねえぞ、死ねクソがぁ!」


 背後から男の叫び声がする。

 次の瞬間、ビュンッと風を切る音とともに、俺の隣を特大ニッパーがかすめ飛んでいって、床にガンッと落っこちた。


「ひっ」


 男がニッパーを投げたのだ。


「や、やべえ。当たったら死んでた」


 しかも男の手元にはまだクワが残っているはず。


「急げ伽羅奢!」

「ああ!」


 止まらず逃げる。

 背後からは男の怒声。急げ。逃げろ。

 俺はコンテナハウスのドアに手をかけ、一気に開けて外へ飛び出した。


「あいたっ」


 ……はずたった。だが、扉の先には何故か人が立っていて、俺たちはその人に思いきり正面衝突してしまった。


「え?」

「あっ」

「えっ」


 俺も、相手も、伽羅奢も絶句。お互いに状況が理解出来ず、うっかり立ち尽くしてしまう。

 と、その時。


「ぶっ殺してやらぁ!」


 背後からまた男の叫ぶ声が聞こえて、みんな一斉に我に返った。


「ほ、保護! 保護!」


 ドアの先でぶつかった相手――お巡りさんが、すぐに俺たちをコンテナハウスから引っ張りだした。彼の奥にいたもう一人の警察官に流れるように誘導されて、俺と伽羅奢はコンテナハウスから引き離される。


 ――男は?


 じゅうぶん距離を取ってから振りかえる。お巡りさんが身体を張って対応してくれているのか、男が外へ飛び出してくる様子はない。

 そこは見渡す限りの大自然。

 山の中。

 普通の日常。


「た、助かった……」


 安堵と共に大きく息を吸い込む。森の中の空気が美味しいって、本当だったんだな。良かった。本当に良かった。

 隣を見る。

 俺はちゃっかり伽羅奢と手をつないでいた事に気付いて、慌てて手を離した。


 広い敷地の先には軽トラックとパトカーがとまっている。

 俺と伽羅奢は警察官に寄り添われながら、そこへ向かって歩いていった。


「伽羅奢!」


 女性の声がした。伽羅奢のお母さんだ。

 お母さんがパトカーの近くからこちらに駆け寄ってきて、伽羅奢をギュッと抱きしめる。


「伽羅奢! よかったわ! 怪我はない? 痛い所は? 具合は?」

「お母さんの手が痛いのだよ」

「あら、ごめんなさい。あぁ、愛音くん! 愛音くんも大丈夫? ありがとう! 伽羅奢を助けてくれて、本当にありがとう」


 お母さんが伽羅奢と共に俺まで抱きしめて、大粒の涙を流す。


「良かったわ、本当に」


 涙を見て、「ああ、生きてるんだなあ」と実感する。

 なんか、俺まで泣きそうだ。

 そんな時――。


「帯金ぇ! 俺は許さんぞ! この人でなしがぁ!」


 お母さんの後ろから歩いてきたダンディーな高齢男性が、そのままズカズカとコンテナハウスに向かっていって、放送禁止用語をガーガー叫びはじめた。


「なに?! 誰?!」


 うろたえる俺の隣で、伽羅奢が叫ぶ。


「おじいちゃん! もう良いではないか!」


 え、おじいちゃん?

 あの、噂の?

 というか、伽羅奢のおじいさんってご存命だったの?


 ◇


 警官の一人が威嚇発砲したあと、ビビり散らした帯金はあっさりと捕まったらしい。

 俺と伽羅奢も救急車で総合病院に連れていかれたものの、俺は無傷だし、伽羅奢も臭いだけ。身体の不調はなかったので、二人ともその日のうちに帰された。


 警察には翌日からたびたび話を聞かれている。

 誘拐と監禁。

 だけじゃなく、伽羅奢のおじいさんが色々と口を出してきたので、なんだか大変な事になっている。おばあさんの事件を捜査し直せと怒鳴り散らし、警察官を困らせているのだ。


「まったく。おばあちゃんの事件は今さら再捜査したところで新たな証拠なんて出てくるわけがないのだよ」


 おじいさんの暴走に頭を抱えた伽羅奢が言った。


「だよねえ」

「おばあちゃんは死んだ。帯金博もかなり前に死んだそうだ。たとえ何か証拠が見つかったところで全部今さらなのだよ」


 だからといって、おじいさんがそれを納得出来るかと言ったらそうでもないだろう。理不尽に対する恨みは一生消えない。死んでしまった人は帰ってこない。何かが解決するなんてことは一生ないのだ。


 でも、もしも帯金家から正式に謝罪を受けたら、少しは溜飲が下がるのかな。けれど、それが本当の解決になるだろうか。恨みと、許し。罪と、罰。結局は自分との闘いで、一生をかけて落としどころを探しながら生きていくしかないのかもしれない。

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