第43話 帯金邸
だがしかし、残念ながら警察はあてにならなかった。「難しいですね」「目撃者もいないし」などというばかりで、犯人を捕まえようとする様子さえ感じられない。まるでこんな事件は面倒だと思っているかのような、もうこの話は終わりにしてくれとでも言いたそうな、そんな態度を見せる。
だから啓次郎は、単身、帯金邸へと乗り込む事にした。
犯人の目星はついている。帯金家の息子、博。生前の真知子の話から考えて、それは間違いない。
帯金の本宅へ押しかける。
正面から訪ねた啓次郎だが、追い返される事はなかった。帯金は臆面もなく啓次郎を招き入れ、応接間へと通す。
応接間で帯金の主人、婦人、そして息子の博と向き合い、啓次郎はソファーに腰かけていた。
「このたびはご愁傷様です」
帯金の主人がお悔やみを述べて頭を下げた。定型文を述べる帯金の表情に悔やんでいる様子などない。啓次郎は怒りを押し殺し、小さく頭を下げる。
「興津さんがわざわざ我が家までやってきたという事は、あの日に何があったのか知りたいという事なのでしょうな。我が家からの帰り道で起きた事だ。来るだろうと思っていましたよ」
主人はソファーにふんぞり返ってそう言った。
「我々もあの日の事はよく覚えている。遅くまで博の指導をしてもらったので、車で送ろうとしていたのだ。だが真知子さんは、我々が運転手を用意している間に一人で帰ってしまった。不慮の事故だが、送り届けられなかった事は申し訳ないと思っている」
「不慮の事故?」
唖然とした。
何が不慮で、何が事故か。明らかに故意の事件だ。博による犯罪だろう。
向き合う帯金の三人の顔はのっぺりとして、何の感情も持ち合わせていないように見える。啓次郎はその達磨たちに向かって吐き捨てた。
「ああ、なるほど。理解しました。あなた達からしたら『まさか死ぬとは』という考えなわけだ」
主人、婦人、博と順に睨みつけ、博に対して牙をむく。
「君からしたら、ただ真知子を手籠めにしようとしただけ。怪我をさせるつもりも、ましてや殺すつもりもなかった。そう言いたいのだろう。だから不慮の事故というわけだ。事故。事故、ね。この、下衆が」
啓次郎に睨まれ、うろたえた博が叫ぶ。
「事故だ! 事故だったんだ! 勝手に死んだ。殺してなどいない! 俺は何もしていない! あの女が悪い! なんだ、その目は!」
「博! 黙りなさい!」
逆上する博の態度は自分がやったと言っているようなものだった。明らかに動揺し、殺人という事実から逃げようとする。
その発言を制止する母親の行動さえも馬鹿馬鹿しく見えた。黙れば罪が消えるとでも本気で思っているのか。馬鹿すぎて笑えてくる。笑えない時ほど笑えてくるのはおかしな話だ。
啓次郎はさらにきつく博を睨みつける。
「ふざけるなよ。事故じゃないだろう。お前のやったことは殺人だ。それも、真知子の尊厳を汚し、真知子の感情も踏みにじり、すべてをねじ伏せて殺す極悪非道の殺人行為だ! 貴様は最低最悪の殺人犯だ!」
啓次郎は立ち上がり、応接テーブル越しに博の胸倉をつかんだ。
啓次郎の唾が博の
そんな啓次郎の視界の端で、帯金の主人がフフッと笑った。顔を真っ赤にして震える博とは対照的に、余裕しゃくしゃくといった様子である。
「まあまあ、落ち着いてください、興津さん。あなたは何か勘違いしている。これではまるでうちの博が犯人だと言っているみたいだ。だが興津さん、博がやったという証拠があるのか?」
帯金の主人はソファーにのけぞったまま、ゆったりと言う。何を言っているのか、という気持ちで、啓次郎は主人を見下ろした。
「証拠? この家に来て、帰り際に襲われた。この家ではみんなして、真知子とそこの小僧を良い仲にしようとしていたそうじゃないか。そんな状況でやっていないなどと言えるのか!」
啓次郎が怒鳴りつけると、主人はわははと笑う。
「確かに我々は真知子さんを歓迎していた。だが、そんな我々が真知子さんを傷付けるはずがないだろう。我々だって真知子さんが襲われた事は寝耳に水だ。こうしてあらぬ誤解まで受けて、むしろ我々こそ被害者のように感じる」
「なんだと!」
この上ない侮辱だ。だが啓次郎の振り上げた拳は、帯金夫人が身をていして主人を守ろうとしている姿の前で行き場をなくしている。主人が啓次郎を見上げ、落ち着きはらって言った。
「興津さん、おたくの怒りはごもっともだがね、我々も事件には関与していないのだ。さっきも言ったがな、我々は真知子さんを車で自宅まで送り届けようとしたのだよ。運転手にも話を聞いてみると良い。あの晩、真知子さんを送り届ける為に準備をしていたと証言してくれるはずだ」
「だからなんだ! それで罪が軽くなるとでも思っているのか!」
怒鳴る啓次郎を、主人が軽く笑い飛ばす。
「軽くもなにも、我々の罪なんてどこにある? 言っちゃあ悪いがね、我々の送迎を断り、勝手に出て行ったのは真知子さんだ。どうだろう。怒りの矛先を向ける相手が間違っているとは思わないか」
「なっ、な……」
あり得ない。冗談じゃない。ふざけるな。
啓次郎は反論したかった。だが武器がない。客観的に、帯金が悪いと言える証拠となり得るものが何もない。
それを判っている様子で、帯金の主人はふんぞり返っている。
「こいつが! この息子がやった事だろう!」
根拠もなく、そう吠えるしかなかった。
それを聞いた帯金の主人は、なおもワハハと大笑いする。
「面白い冗談だ。まあ、精液に名前でも書いてあれば白黒はっきりするだろうが、土台無理な話だからなあ」
「き、貴様ぁ!」
本気で殴りかかろうとした啓次郎は、博と夫人に腕と体を抑えこまれた。今度ばかりは主人も少々たじろいだが、すぐさま落ち着きを取り戻す。その姿がさらに啓次郎の神経を逆なでした。負けないと判っている者の動きだった。
騒ぎを聞きつけたお手伝いさんが三人ほど加勢して、啓次郎の体を寄ってたかって拘束する。
「ああそうだ。忘れるところだった」
主人がそう言って、机の横に置いてあった紙袋を机上に置いた。
「香典だよ、興津さん」
袋の中身を取り出して並べる。ボン、ボンと置かれた札束が、五束。
「ここに五百万ある。これは香典。それとな……」
主人は紙袋からさらに書類のようなものを出した。
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