第34話 不法侵入、再び
『住み込みで働く事になったから、家には帰れないの。ごめんね』
画面に表示される文字。
「……はあ?!」
伽羅奢からの予想外の返信に、俺は思わず声をあげる。
「そんな馬鹿な!」
あの伽羅奢が働く? しかも、住み込みで?
『いや、ありえんだろ』
そう返信すると、今度はすぐに既読がついた。
「おっ、まじか!」
伽羅奢は見ている! 今、まさに! リアルタイムで!
今しかないと、俺も急いでメッセージを打つ。
『どこにいんの? 会えない?』
送信と同時に既読になる。
返信を待つ。待つ。待つ。
足元のコンクリートからは日中に蓄えられた熱が放出され、俺はじわりと温められていた。登ってくる熱気に、汗がポタッと落ちる。
五分、十分。
待てど暮らせど返事はこない。なんで?
俺に会うのがそんなに嫌か。でも、相手はあの伽羅奢だぞ。嫌な事は「嫌だ」と即答するはずだ。それが返事もしないなんて、普通じゃない。
さらに待つこと十分。それでもやっぱり返事は来ない。
「……いや、なんでだよ!」
小さく吐き出した怒鳴り声が闇に吸い込まれていく。納得はしていないけど、それでも俺は心のどこかで理解していた。
返信がないということは、つまり、それが返事なのだ。
話す気はない。
それが伽羅奢の答え。
悔しいけれど、伽羅奢は態度でそう示している。
ということは、これ以上待っても無駄だということだ。話したい、という俺の気持ちは宙ぶらりんのままで、彼女には届かない。いくら伽羅奢の家の前で待っていたって、会えるわけじゃない。
「ありえねえ。……なんでだよ」
でも、どうしようもないのだ。画面越しの伽羅奢には手が届かない。無理だ。
手入れされていない駐輪場から原付を出す。俺は虚しさを背負い、渋々帰路に着いた。
伽羅奢の馬鹿。アホ。まぬけ。
翌日。
当然ながら、朝になっても昼になっても伽羅奢からの返事は来なかった。
「……くっそ」
中途半端に一言だけもらった返信のせいで、俺はすっかり生殺し状態である。
それにしても、本当に理解できない事ばかりだ。
住み込みで働いているなんて、伽羅奢のやつ、正気か?
あの伽羅奢が、ゲームにログインもせずに働いている? あり得ないだろ。
せめてどこにいるかくらい教えてくれても良いのに、かたくなに言わない理由は何なのか。何を隠してるんだよ。
考えれば考えるほど、頭の中が悶々とする。
「ほんと、おかしい」
そもそも、あのメッセージの口調も伽羅奢っぽくなかった。いや、それだけじゃない。ゲームをしていない事も、働いている事も、何もかもが伽羅奢らしくない。
すべてが今までの伽羅奢とは、まったく違って見える。
「まさか、頭でも打っておかしくなっちゃったんじゃ……」
ゲームへの執着が消え、労働の喜びに目覚めた。そんな事が起こるとしたら、頭の配線がおかしくなったからだとしか思えない。
「いやいや、そんな馬鹿な」
打ち消して、浮かんで。俺の頭の中は伽羅奢の事でいっぱいだ。
ずっとずっと、彼女のことばかり勝手に考えてしまう。悶々とする。ずっと、ずっと。
伽羅奢が今どんな精神状態でいるのか、どこで働いているのか、知りたい。会いたい。単純に。伽羅奢に、会いたい。
「ああぁぁあ! もう!」
俺は机に転がっていた鍵を握りしめ、家を飛び出した。無駄だ。そんな事はわかってる。けど、止められなかった。目的地は伽羅奢の家。俺はもう、行くしかなかった。
◇
伽羅奢のアパートについて、雑草だらけの駐輪場に原付をとめる。
「愛音くん!」
ヘルメットを椅子の中にしまっていたら、背後から声をかけられた。声のした方を振り返る。
「あ、お母さん」
アパートの向こうからひょいっと顔を出していたのは、伽羅奢のお母さんだ。
お母さんは真っ白のロングワンピース姿で、つばの広い麦わら帽子を斜めにかぶっている。草原にたたずむ、ヨーロッパの絵画の人みたい。
しかしこの人、四十代くらいのはずだよな。結構おばさんのはずなのに、お嬢様みたいなワンピースをびっくりするほど上手く着こなしている。痛々しく見えてもおかしくないのに、さすが美少女のお母さんだ。
お母さんは俺に向けてニコッと少女のように微笑んだ。
「愛音くんも伽羅奢の様子を見に来てくれたの?」
「はい。というか、はい。えっと、お母さんは伽羅奢に会えました?」
俺の問いかけに、お母さんは首をゆっくり左右に振る。
「全然。ずっと連絡もつかないし、今も家にいないみたい。だからね……」
お母さんは、今度はいたずらっ子のようにいやらしく笑った。
「ちょっと侵入してみようかと思って」
お母さんが掲げた右手に、きらりと光るものが握られている。
「……鍵、っすか?」
「そう。大家さんの特権、マスターキーよ! これで不法侵入し放題!」
「不法侵入って」
伽羅奢の犯罪発言は親譲りか。お母さんは腰に手をあて、頬を膨らませる。
「見たところあの子、共用部のお手入れもサボってるみたいでしょう。草はボーボー。ゴミだらけ。流石にこれはアウトよ。お母さん、もう怒った!」
お母さんは俺を手招きすると、ちゅうちょせずに鍵をドアノブに刺した。こんなに正々堂々とした不法侵入は初めてだ。俺がベランダから侵入しようとした時とはわけが違う。これが権力!
かちゃりと音がして鍵が開く。
開いたドアの奥からは、こもった臭いが流れてきた。
生ごみだろう。結構臭い。恐るべし、夏。
「やだもう、あの子ちゃんとゴミくらい捨てなさいよホントにもう」
お母さんは大股でずかずかと部屋に入っていって、窓という窓を全て開けた。
玄関から部屋に続く廊下には、出しそびれたらしい燃えるゴミの袋が三つほど並んでいて、流しには箸とコップがいくつも転がっている。
「そういえば、一か月以上前に来た時にもこのゴミ袋は置いてあったような」
俺の呟きにお母さんが振り返る。目が合った俺たちは、互いに無言になった。
うん、考えると恐ろしい。
このゴミがいつからあるかなんて、考えるべきではないのだ。
部屋の中まで足を踏み入れる。こちらもペットボトルや弁当の空き箱などが散乱していて、足の踏み場がない。
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