第32話 落ち着かない
「だって、興津さんと連絡がとれないんでしょう?」
「うん。いつもの事だけどね」
善人の奏ちゃんには、世の中に既読無視、未読無視の常習犯が存在する事なんて信じられないのかもしれない。しかし悲しいかな。世の中には、自分の常識では考えられないような事をする人間もいるのだ。
恭介がトングで肉をひっくり返す。大きな湯気の塊が、天井から伸びる通気口に吸い込まれていった。
納得出来ない様子の奏ちゃんが、眉をひそめている。
「あのね、愛音くん。僕、ちょっと興津さんの事で気になる事があるんだけど」
「ん?」
「実はね、興津さん、あのスマホゲームにたぶん三週間くらいログインしてないと思うんだ」
ログインしていない。
その言葉を理解するのに数秒かかった。
「え、まじで?! あの伽羅奢が?」
驚きすぎて箸を落としそうになる。
「うん。僕たち、大学で会ってから毎日ゲーム内でギフトを送りあってたんだけど、実はここ三週間くらい音沙汰がないんだ。僕が送ったギフトも開封しないし、向こうからも送られてこない。ゲームに飽きただけなら良いけど、愛音くんのメッセージも無視してるなら、なんか心配だなと思って」
「それは、たしかに……」
ゲーム内ですら音沙汰なしだなんてありえるか? いや、考えられない。伽羅奢だぞ?
だいたい、ゲームをしていないのなら、伽羅奢が日中頻繁に出歩いている理由がわからなくなる。
「おかしい……」
一日中家にいない伽羅奢。
お母さんからの連絡も無視。
俺に対しても音信不通。
極めつけは、あれだけ熱中していたゲームにログインしていない。そんなの、絶対に変だ。
向かいの恭介が肉をほおばりながら、呆れたように声をかけた。
「おいおいおい、ほっとけよ。子供じゃないんだから。たかがゲームくらいログインしない事だってあるだろ」
恭介は軽々しくそう言って、タッチパネルから網交換のボタンを探して押した。焼けた肉をどんどん皿に取って、またカルビとハラミを注文する。
「でも、伽羅奢はそういう奴じゃないよ。恭介だって伽羅奢がゲームガチ勢な事くらい知ってるだろ」
「いやいやいや、考えすぎだって。つうか、過保護。ほら、どんどん食え。とりあえず今は肉だろ、肉」
「まあ、そうだけど」
でも、気分が落ち着かなかった。だって、おかしいだろ。絶対に変なんだよ。
俺は胃のあたりが重くなるのを感じつつ、取り皿に盛られた肉を無理矢理胃袋に流し込んだ。
◇
さて、ここで興津啓次郎の話に戻るとしよう。
これは伽羅奢の祖父である啓次郎が、働き盛りの三十代半ばだった頃の話である。
国鉄マンの啓次郎は毎日駅近くの詰所に出勤し、線路の保線業務に務めていた。とりたてて裕福というわけではないが、幼い頃から鉄道に憧れのあった啓次郎はこの仕事を誇りに思っていた。
一方、妻の真知子は専業主婦である。
高校を卒業したのち中堅企業でお茶くみの仕事を三年経験し、親の勧めで啓次郎とお見合いして、二十二歳で寿退社。すぐに子宝にも恵まれ、絵にかいたような幸せな生活を送っている。
女は家庭に入り、家事育児に精を出すのが幸せとされていた時代。当然、啓次郎も真知子がそれを望んでいると思っていたのだが……。
「……なんだって?」
午前七時半。新聞を読みながら朝食をとっていた啓次郎は、真知子の発言に驚いて新聞から顔を上げた。
「働くって、正気か? か、金か? 金が足りないのか? どのくらい足りない?」
「そうではない」
真知子は、早々に食べ終わった子どもたちの食器を下げている。ツンとすました顔は今日も美しく、その表情からは生活に対する苦労など微塵も感じられなかった。
「じゃあ、どうして」
台所に立つ真知子に問いかける。真知子は机に戻ってくると、啓次郎の湯飲みにお茶を注ぎながら言った。
「私の能力と時間が余っているから」
そう言って、真知子は不敵に微笑む。
「能力と、時間?」
啓次郎には彼女が何を言っているのか理解出来なかった。
真知子は家事も育児もよくやってくれている。専業主婦として、家庭に能力と時間を費やしてくれている。そんな彼女のどこに余りがあるというのか。
真知子は部屋の奥へと目を向けた。奥の部屋では啓次郎の母がまだ夢の中だ。真知子が声をひそめる。
「私はな、幼い頃から絵が得意だったのだ。あくまで趣味だがな。個人で楽しむもの。そう思っていた。だが、先日町内会の夕涼み会のポスターを描いたらそれが好評でね。掲示板を見た人が、是非絵の講師を頼まれてくれないかと言うのだ」
「講師ってお前」
たいそうな話だ。一介の主婦に降って湧いてくるような話ではない。
「誰がそんな事」
「
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