19:牢

 リビングの扉を開くと嫌な匂いが鼻を吐く。ダイニングと繋がっているようでキッチンの方へ向けるとダイニングテーブルの上に置いてある皿の上には腐ってぐずぐずになった料理が放置されていた。

 拝み屋の猶村なおむらが、絹の白いハンカチで口と鼻を抑えながら料理の方へ近付くと、料理に群がっていた羽虫がぶわっと飛び立つ。眉間に皺をよせながら仰け反った猶村が料理をしばらく見て首を横に振った。


「普通に腐ってるだけらしい」


「ひっひ……確認してくれてありがとよ」


 嫌そうな顔をしながら、猶村は食卓から離れて冷蔵庫の中などを検めている。しかし、思ったような収穫はないようで口と鼻にハンカチを当てながらこちらへ戻っていた。


「二階には……個室が三つ、長男の私室、夫婦の寝室、書斎があるが特に目立った痕跡はない」


 リビングを出てオレたちは廊下へ再び戻ると、猶村はそう話ながら上の階へ視線を向ける。


「長男の私室には豚やら鶏の死骸が転がっていたが」


「贄……か?」


「力は削いだと聞いていたが、それも二十年近く昔の話だ。何か変なもんに騙されちまって間違えた対処をした、か」


「あの、清野ちゃんの部屋は?」


「清野ちゃん? ああ、長女の清野芽依めいか」


 オレたちが話し込んでいると、宇田川がそう割り込んできた。

 言われてみて、確かに彼女の部屋が見当たらないということに気が付く。まあ、冷遇をされていたから私室がないというだけかもしれねえけど。


「聞いたんだ。父親に怒られるとよく部屋に閉じ込められてたって……。まあ、閉じ込められる他にも色々されてたみたいだけどさ」


「一階にもそれらしき部屋は、なさそうだな。奥にあるのは脱衣所とトイレくらいなもんだろ」


 宇田川の言い分を聞くと、どこかに部屋が隠されていそうな気がしてくる。しかし、廊下の奥へ目をやってみるが、私室になりえそうなスペースはどこにもないように思える。


「日が暮れるまでここにいるのは避けたいが、仕方がない……」


 家捜しをするにも、あまり時間をかけたくないと思ったのは猶村も同じらしい。

 はぁとわざとらしく溜め息を吐いて、上着の内ポケットに手を入れると紙垂しでを小さくしたような形をした黒い紙を何枚か取りだした。

 小さな黒い紙垂しでに「ふっ」と軽く息を吹きかけると、ただの紙だったそれは猶村の手の中で細くて小さな蛇たちに変わり、ぼたぼたと質量を伴う音と共に床へ落ちて家中に散らばっていく。


「紙が消えた……」


「ちょっとした呪いまじないだ」


 どうやら宇田川には、猶村の持っていた紙が消えたようにしか見えないらしい。足の間をすり抜けて行く影のような色をした蛇に気が付かないまま、あたりを不安そうに見回している。

 オレと一緒にいればそれなりにが見えるようになってもいいもんだが、清野に関係しない物事以外は相変わらず鈍いらしい。


「こっちだ」


 すぐに猶村が放った蛇は目的の物を見つけたみたいだ。

 階段のある横の壁へ移動する猶村に着いていくと、廊下からは死角になっているところにある扉が見えた。

 ドアノブについているつまみを捻れば鍵は簡単に開くようで、解錠した扉を猶村がゆっくりと引いた。


「この下に部屋がある」


 階段は、地下へと続いているようだ。寒気がするほど冷たい空気が地下から這い上がってきて、オレたちに纏わり付く。

 階段を下りながら、騒がしい足下に目を向けると、さっき部屋に放った蛇たちが足首に巻き付き、少しゆったりとしたスラックスの裾の中へ入って行くのが見えた。

 最初に見た時、白蛇のようだなと思ったのはどうやら間違っていない印象だったらしい。蛇憑きの家系というやつなのだろうか。

 嫌な雰囲気と、寒さは宇田川も感じているらしい。寒さのためなのかカチカチ歯を鳴らしながら、オレの後ろに着いてきている。


「……砂の殻」


 階段を下りた突き当たりにもう一つ扉がある。外鍵のついている扉を開くと、部屋の中は砂にまみれていた。

 猶村が呟いた言葉の通り、部屋の中央には人一人が丸まって入れそうな大きさのは球状をした何かが鎮座している。

 上半分はボロボロと崩れているが、これは内側からこじ開けたようで外側にボロボロと大きな砂の塊が落ちていた。


「懺悔、恨み、嫉み……恋慕」


 猶村の鋭い視線が、オレの方……ではなく、オレの後ろにいた宇田川に向けられた。部屋に漂っている清野の匂いには、確かに猶村がいうような感情が混ざっているのがオレにもわかる。

 窓の一つすら無い小さな部屋にあるのは、黴びて湿ってぺたんこになった布団と、ポリタンクや猫砂の詰められた四角い箱。四六時中閉じ込められている人間がいた部屋のポリタンクの中に何が入っているのかは、想像は出来るが考えたくはない。


「なんだよこれ」


 宇田川は、猶村の言葉なんて聞こえてないみたいにそう漏らすと部屋を見回した。昼までも真っ暗な部屋は、夜目の効くオレではないこいつから見ても相当酷い状態なのだろう。


「こんなの」


「座敷牢、だ」


 猶村は漆喰で塗られている壁の欠けているところを見つけると、力を込めてそれを引っぺがした。

 内側にはびっしりと経文のようなものが書かれている。


「ただ、ここに入るべきは長女ではないはずだが」


――ガチャリ


 扉の閉まる音がした。

 ぺとり、ぺとりと素足でフローリングを踏む足音が聞こえてくる。

 さらさらと伸びた髪が床の上を撫でる音が近付いてくる。

 耳鳴りのように小さかった虫の低い羽音が徐々に大きく鳴っていつのまにかこの座敷牢に似た部屋を取り囲んでいる。


「昼間だからと油断しちまったか」


 猶村が素早く懐から紙垂しでを数枚取り出し、オレはドアの近くに立っていた宇田川の腕を強く引いた。

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