12:扉
「なんだったんだよアレ」
「呪いの一種ってことだけはわかるが……」
マダラが額の汗を拭って歩き出す。後ろから何かが追ってくる気配はない。初夏とは言え、吹き抜ける風は心地よい涼しさをはらんでいた。太陽が西に傾きかけて空は青っぽい色と茜色がグラデーションになっている。
「そういうの専門なんじゃねえの? こう、パーって祓ったり」
「よっぽど相手が弱けりゃそれも出来なくはねえが、強力な呪いや
安心した俺は、マンションの中へ戻りエレベーターのボタンを押したマダラに問い掛けると案外それっぽい答えが返って来た。
どうやら、本当にこいつはそういうことに関してはある程度の専門知識があるらしい。
「あの呪いが発生した家へ行けりゃあ、もっと色々とわかるのかもしれねえが」
マダラは窓の外を見て首を横に振った。
「もうすぐ黄昏時だ。とりあえずあんたの家に行くのが先か」
マンションのエントランスを通って外へ出ると、そこはいつものような日常が広がっていた。
このマンションの一室で人が死んでいたことも、よくわからないサイコ野郎が襲いかかってきたことも、あのジメジメした悪臭に満ちた部屋も夢だったんじゃないかって思いたくなる。
俺のことを見てきた結羽亜の姿をした何かはなんだったんだろう。俺がもっと気にかけてやってたら、あいつは死ななくて済んだのか? それとも、あいつの悪霊が俺を恨んで見ていたのか? あの兄貴が呪われたなら、清野ちゃんと関わった俺も呪われるのか?
嫌な考えが次々と頭の中に浮かんで、体の内側に重りのように積み重なって行くみたいだ。
スタスタといつもの調子で歩いて行くマダラを必死でおいかけて駅まで辿り着いた時には、動悸が激しくなっていた。
俺が代わりに死ねばよかったのか? 清野ちゃんの兄貴が言った通り、贄ってやつになれば結羽亜は死なないで済んだのか?
考え事をしていると駅のホームに立っていた。ホームドアはない。電車のライトが見えてふらりと足が前に進む。
「宇田川」
腕を後ろに引かれて、我に返る。
電車がホームに滑り込んできて、温くて湿った風が俺の肌を撫でつけるように吹き抜けた。
何をしようとしていたのかわかってゾッとした俺の腕を掴んだまま、マダラは電車に乗り込んだ。
「呪いってのはな自分が呪われているのかもしれないって思わせることが第一歩なんだ」
そう言われて、ぎくりとする。マンションを出てから襲ってきた嫌な考えや、呪われているのか? という疑問で、俺の頭はいっぱいになっていたから。
「罪悪感、不安、怖れが呪いの餌になる。ちょっとした不幸や体調不良を呪いのせいかもと信じて、心身共に弱った生き物を食らっちまうんだ」
マダラはそう言い終わると、俺の顔を見てへらりと笑った。優しくて柔らかな表情のちょっと脱力した微笑みはゲームに出てくるCGの美形を間近で見ているような気持ちになってしまう。でも、この柔らかい雰囲気を信じてこいつに心を開いたら、大切なものをむしり取られそうな胡散臭さも同時にある。
変なやつだなって思いながら、依然として俺の手を離さないまま電車を降りるマダラの手を改札を通り過ぎるときに振り払った。
「まあ、気休めだけどよ。セフレちゃんが死んだのはあんたのせいじゃねえって」
結羽亜のことは、大して好きだったわけではない。でも、関わり合いになったやつがあんな惨い目に遭っているのは夢みたいな光景だったとしてもメンタルに来ていたらしい。
一人でもう平気だと言おうとしたところで「俺のせいじゃない」と言ってもらえて、救われたような気持ちになった。それと同時に、そんなことでホッとしてしまう自分の利己的な感情が少しだけ嫌になる。
目からじわりと沁みだしてくる涙を袖で拭って、俺は自宅へと歩き出す。もう陽は落ちかけていて、真っ赤な光がビルの合間から差し込んでいる。あんなことがあったせいか、長く伸びた木々の影も人の影も怖くて、どこか早足になりながら家へと向かった。
「ぁあー」
俺には何も見えないが、何かマダラには見えたんだろうか。俺が自宅だと紹介する前に何かを察したように立ち止まったマダラが、的確に俺の部屋がある方を仰ぎ見る。
「なんだよ……何かいるってのかよ」
「そりゃあ、見てみないとなんとも」
否定しろよと理不尽なことを思いながら、エントランスへ入って自室へ向かう。結羽亜の家みたいにオートロックでもなんでもない何の変哲も無い若者向けの1LDKアパートだった。まあ、他の同世代よりは金に余裕もあるし、広い部屋なのかもしれないけれど。
階段を使って三階まで上がり角にある自室の鍵を開けた。
部屋に何かあったらどうしようかとビビっていたが、特に荒らされた様子も、誰かが入った様子もない。
「ん?」
玄関に入る時にザリッと音がして足下を見てみたけれど、そこにあるのは何の変哲も無い乾いた白い砂のようなものだった。
最近掃除をしてないからかな……風もつよかったし。そう思って部屋へあがると、マダラが玄関口から動かないことに気が付いた。
早く扉を閉めろよって言おうとしてマダラの方へ腕を伸ばすと、マダラはスッと腕を引っ込めて一歩後ろに退いた。
「オレは入らない方がいい。少なくとも今晩の内は」
「な、なんだよ。説明しろよ」
「ひっひっひ……あんたは霊感はないがお人好しで負の感情に引っ張られやすい。だから、説明しねえ方がいい」
何か含んだような言い方をするマダラはそぅいって動こうとしない。だから、きっと冗談では無いのだろう。
金色の目が妖しく光っているように見えるのは、落ちかけている太陽の光が窓から差し込んでマダラの顔を照らしているせいだろうか。
「なあ、宇田川くん、あんたのフルネームを教えておくれ。漢字も含めてだ」
「い、いきなりなんだよ。俺は宇田川
脈絡のない質問に驚いたけれど、きっと何か理由があるんだろう。俺を嫌な目に遭わせたいのなら結羽亜のマンションで俺を助けたりしないだろうし、さっきも駅のホームで腕を後ろに引いたりしないはずだ。
スマホで名前を入力して見せると、マダラは少し前屈みになって画面を確認したあとに「ありがとよ」と言って左手をあげた。
それから、パンツのポケットに手を入れて何かごそごそしてメモとボールペンを出すと何かを書いてこちらに差し出してきた。それでも頑なに扉の内側に入ろうとしないので仕方なく腕を伸ばしてメモを受け取る。
「明日の朝、七時にここに来る。三度ノックをした後に更に二度ノックをしてオレが名乗るまで扉を開いたらいけねぇよ」
マダラの言葉を聞きながらメモを開いてみると全く別のことが書かれていた。どういうことなのかと尋ねようとすると、マダラは目を細めながら人差し指を自分の口元へと持っていって「しぃ」と言葉に出さずに唇を動かす。
「蟻地獄の姉ちゃんは、あんたには生きていて欲しいみてえだ」
それだけ言ってマダラは扉を閉めた。蟻地獄の姉ちゃんはきっと清野のことだろう。どういうことなのかわからないが、それよりも急に一人になったことが怖くなった。あんなことがあった後だ。マダラは一緒にいてくれると思っていたのに。
慌てて部屋の鍵をかけて家中の戸締りをした。それから、カーテンを閉めていつもより大きな音量でゲームをすることにした。
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