第9話

 

 太陽が強い光を放っている午前中だというのに、黒い蔦に覆われた蔵の内部は暗かった。


 ここにはゴール家が長い年月をかけて集めた魔武器、魔道具、呪具、なんだかわからないものが大量に収容されている。


 レイ・フェリックスはミイラのように白い布でぐるぐる巻きにされ、蔵の二階まで運び込まれた。


 そこにある物のひとつひとつから思念が溢れ出し、重なり合い、煮詰まり、常人であれば気を失う魔の空間となっていた。



「殺すつもりで連れてきたわけじゃないだろうな?」


 レイを担いできた体格のいい男が睨むように言う。


「まさか私がそんな事するはずないだろう」


 アダチ・ド・ゴールは男の目も見ずにあっさりと答えた。


「これは小僧への詫びだよ。気に入ったものがあればちゃんとプレゼントするつもりだよ」


「何を企んでいる。赤の他人をこんな所に連れてくるなんてどうかしてるぞ」


「企んでなんかいないさ。ついでに教えてやりたいと思ったんだよ。魔武器が欲しいという事は、これを扱うという事だよっていうね」


「ふん………」


 二人が見下ろす先には、もだえ苦しんでいるレイの姿がある。


 魔道具に拘束されているからではない。闇の中にいる得体のしれない者たちが体の中に入ってきて、抗いようのない恐怖をレイに与えている。


「そろそろ解いてやったらどうだ?」


「そうだね………」


 鬼婆ことアダチが髑髏のついた杖を振ると、床の上に転がっているレイの体を縛っていた白い布が解けて床に落ちる。


 解放されても立ち上がることが出来ない。恐怖に引きつった青い顔をしながら、幼虫のように丸まっていく。


「ほら見ろ、ガキにこの場所は無理だ。お前はいつも無茶なことばかり言う。自分に出来たのだから他人にもできると思い込んでいる」


「それはどうだろうね」



 苦しい。


 魔臓が締め付けれられる。内臓を絞られたような苦しみ。胃の中から苦い汁が逆流して暗闇の床を濡らしていく。


 悪霊が言う。


 悔しい、憎い、裏切られた、仕返したい。死んだことを恨み、生きている俺を嫉んでいる。


 俺が息を吸えて、歩けて、飯を食えて、風呂に入れるから。それに比べて死者は何もできないから。


 思念で飲み込んで殺そうとしている。


 わかっていても何もできない、考えられない。深い深いヘドロの中に沈んでいく。


 

 このまま死んでいくのか?悪霊に飲み込まれて死んでいくのか?


 沈んで沈んで沈んでいく………。






 暗闇の中に一粒。


 夜空に輝く1等星のように濃密な黒の中に一粒の光が見える。


 光の向こうにいたのは優しい顔をしたおばあちゃんだった。



「お化けが怖い?」


 俺は泣きべそをかきながら、愛子おばあちゃんに包まれている。


 怖いよ、お化けは怖い。


「怖いのはおばあちゃんだって同じだよ」


 うそだ。


 だっておばあちゃんはぜんぜん平気そうじゃないか。いつだって怖がってる僕を助けてくれるじゃないか。


「本当だよ。怖いけど「お前なんか怖くないぞ」ってお化けに見せているんだよ」


 そんなこと怖くてできないよ。


「でもねぇ睡蓮ちゃん」


 優しい声。


「睡蓮ちゃんが怖がっている所をみたら、お化けは強くなってもっともっと怖くしてくるんだよ」


 本当?


「本当だよ。だからおばあちゃんはそうやってお化けと戦っているんだよ。睡蓮ちゃんもやってごらんよ」


 無理だよそんなの、できっこないよ。だって怖くて動けないんだ。


「そんな時にはねぇ、思いきり叫んでやればいいんだよ」


「叫ぶ?」


「そうさ。お腹の底から思いっきり声を出して「お前なんか嫌いだ!あっち行け!」ってね。そしたらお化けは驚いてどこかに飛んで行ってしまうんだ」


「それだけ?」


「そうだよ。睡蓮ちゃんの大好きなアニメがあるだろう?その必殺技みたいなものなんだよ」


「必殺技?僕にも必殺技が使えるの?」


「そうさ、睡蓮ちゃんは必殺技でお化けをやっつけるんだよ。そしたらお化けはピューってどこかに行っちゃうから。必殺技でピューだよ」


「必殺技でピューだね!わかった、僕やってみるよ、必殺技やってみる!」


 目を細くして笑う「愛子おばあちゃん」。



 闇の中に輝く一粒の光が流れ星のように落ちてきてレイの体の中に入ってきた。


 温もりが全身を包んだ。




「どっかいけ!」


 声が出た。


 塞がっている喉から出てきたのは自分の物とは思えないくらいに弱くて潰れている声。


 けれど声が出た。


 ヘドロに沈んで何もできないと思っていた。違う。勝手にイメージしているだけ。何もできないわけじゃない。ちゃんと声を出せるじゃないか。


 こいつらはお化けなんて可愛らしいものじゃない、悪霊だ。自分が死んだことをいつまでも悔やみ、恨み、誰かに聞いてもらいたがっている。


 そして生きている人間を妬み、殺そうとする。



 悪霊を殺すために叫べ。


「消え失せろ悪霊共!」


 さっきよりも声が出ている。


「寄ってくんじゃねぇ!」


 ヘドロの中に隠れている悪霊たちの蠢きを感じる。


 効いている。


 叫びは間違いなく悪霊に効いているんだ。


 そうだ。


 あの時もそうだった。おばあちゃんに教わって叫んでみたら怖くなくなったじゃないか。大人になるにつれてお化けが怖くなくなっていってすっかり忘れていた。


 そして今も怯ませている。過去も今も俺はお化けを倒す必殺技を持っている。


 叫べ。


「こんなもんかこの野郎!来れるもんならもっと来てみろこの野郎!」


 叫べば叫ぶほど声が出るようになるという事実が勇気と確信を与えてくれる。


 固まっていた体が動き始める。


 なんだ、たったこれだけの事じゃないか。恐れれば恐れるほどこいつらは力を増すんだ。


「ビビってんじゃねえ馬鹿野郎!」


 自分に叫ぶ。


 埃だらけの床にうずくまりやがって馬鹿かお前は。服が埃臭くなるだろうが何をやってんだよ。


「俺は女神に会っているんだぞ!」


 無意識の言葉だった。


 そうだ。


 俺は女神と確かに会った、だからこの世界にいるんだ。


「恐れおののけ悪霊共!俺は神から遣わされた聖なる存在だ!」


 騙(かた)れ、もっともっと騙(かた)れ。


 自分で自分を騙せ。


 お前は神の使いだ。自分の後ろには神が付いていると信じ込め。



「俺は神の使い!お前らとは格が違うんだ」


 悪霊が体の中から逃げていく。


 やはり女神の名は効果的だ。こいつらに対してはとにかく気迫だ、怖がっていたら舐められる。


 手と足に力が戻ってきた。


 立てるぞ。


 筋肉が痙攣している。まさか立つという事がこれほど大変なものだとは思わなかった。


 歯を食いしばって立つ。


 立てた。


 ようく立てたぞ悪霊共。



 その調子だ俺、もっと叫べ、もっともっと叫べ。意味のある言葉はいらない。考える必要は無い。ただ気合を持って悪霊を追い払え。


「喝!」


 2文字だ、2文字が言いやすい。


「喝!」


 視界が開けていく。


 ここはヘドロの沼なんかじゃない。ただの古い蔵の2階だ。


 窓から差し込む光の中には憎たらしいあいつがいた。


「やってくれたな鬼婆!」


 婆に向けて叫ぶ。


 俺のことをこんな悪霊の住処みたいなところまで拉致してきた鬼婆。何が詫びだふざけんじゃねぇこの野郎。


「ほう!」


 驚いたようで嬉しそうなアダチ・ド・ゴールの顔。


「なにが「ほう!」だ、ぶち殺すぞ!」


 鬼婆はさらに笑った。


 俺を運んできた男は少しだけ驚いたような顔で見ている。


 この恐ろしい空間の中にいてこの二人は少しも動じていない。地べたに這いつくばって呻いている俺を見て笑っていたに違いない。


 怒りと恥ずかしさで体が熱くなる。もう絶対に悪霊なんかに脅かされてたまるものか。


「喝!」


 怒りを込めて二人と悪霊に向けて叫んだ。腹の立つことに二人は動じていないが、悪霊にはさっきよりも効いている。


 怒りだ。


 気合だけじゃなく怒りで体の中を埋めてしまえばいいんだ。そうすればこいつらは俺の中には入ってこれない。


「喝ーーー!!」


 体はもう完全に自由だ。



 鬼婆と男を睨みつけた後で、レイは走る。


 勢い良く窓へ飛び蹴り一発。


 窓が砕ける儚い音がして、美しい太陽と清々しい空気がレイを包み込む。



 生命力にあふれた緑の芝生の上を転がり着地したレイのすぐ近くには、祈る様に両手を組んだシャルルが待っていた。



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