第3話



レイ・フェリックスは戸惑った。


朝食を食べてすぐに父の知り合いがやっている道場へとやって来たのだが、その門は固く閉ざされていた。


「どういうこと?」


母に聞いてみても首をかしげるばかりで答えは出てこない。今日も刺される夢を見た。早く強くならないといけないのに。


「あなた達だれ?」


振り向くと、朝日の中に少女がいた。


美しいと思った。


顔の造詣が美しいと思った。


風に揺れる黒髪が美しいと思った。



「誰?」


ああそうか、ボーっとしていてはいけない。


「君はこの道場のひとなの?」


「そうだけど、誰?」


目つきが鋭いし言葉も荒い。もしかして俺たちの事を泥棒だとでも思っているのだろうか。それくらいの態度だ。


「えーと、父の紹介で今日からこの道場に通うことになっているレイ・フェリックスだけど」


「紹介?今日から?何も聞いてないけど」


少女の顔がさらに曇る。


「聞いてないの?」


「だからそう言ってるし」


ちょっと待くれよ、どういうことだよ我が父よ。道場の人にはちゃんと伝えてくれたんだろうな、それともこの子が聞いてないだけか?


困った。


もしかして一度父に確認してからまた来ないといけないのだろうか。早く強くなりたいのに。というか道場って紹介がないと通えないものなのだろうか。


「さっきからなにジロジロ見てんのよ」


怒られた?


そんなこと言われても、会話していたら普通は相手の方を見るものだけどな。この子は顔は綺麗だが性格は随分ときついな。


しかしまぁ、俺には効かんな。


なにしろ相手は自分と同じくらいの歳、つまりは小学女子だ。元は高校生だった俺にとっては睨まれても全然怖くない。


むしろ子猫に威嚇されてるみたいで笑ってしまうよ。まだまだ甘いな、お嬢ちゃん。


「何笑ってるのよ」


しまった、気付かれたか。


「笑ってないよ」


「笑ってたじゃない!」


ずいぶんとお怒りだな。笑ってしまったのはその通りなんだけど、それくらい見逃してくれてもいいのにな。


これが子猫だったらチュールをあげれば大丈夫なんだけど、さすがに持ってない。


「そんなにこの黒い髪が珍しい?」



ああそうか、彼女が何を怒っているのか理解できた。


今まで見てきた人たちは茶系の髪色が多くて、真っ黒の髪を持つ人というのは見かけなかった。きっとこの少女はそのことを言われ過ぎて神経質になっているのだろう。


わかる。


気持ちは分かるよ、少女。


幼いときは周りの視線がやたらと気になるものだ。他の人と違うことが不安だったりとか。けれどそれは大人になってくれば、どうでも良くなってくるのだよ。


「珍しくないよ、毎日見ているからね」


帽子をとって自分の黒い髪を見せてやった。


「え………」


少女は驚き戸惑っている。


その黒髪を見て俺が笑っていると勘違いしたようだが、自分も黒髪なのにそんなことをするはずがないと気付いたようだ。


謝ってくるかと思ったのだが、少女は口をモゴモゴさせているだけで、その言葉は出てこなかった。


わかる。


子供の頃ってそうだよな。絶対に自分が悪いっていう場面でもなかなか素直に謝ることが出来ないんだよ、わかるよ少女。だから俺は許すよ。


「ところで道場は………」


話題を戻して話を聞く。


「あ、ああ、今日はお休み」


「道場にお休みなんてあるの?」


「あるって言ってるじゃん!」


おいおい、なんかまたシャーシャー言ってるじゃないの。誰かチュールを持ってきてくれ、チュールを。


「なんでそんなに怒ってるの?」


「知らない!」


知らないってなんだよ。


ここまでくると逆にもっと怒らせたくなってくる気がする。ほっぺたでも突いてやったら相当怒るだろうな。さすがにやらないけど。


それにしても道場なんて毎日やっているイメージだったんだけどなぁ。


せっかくやる気満々で来たというのに………しょうがないから今日のところは家で腕立て伏せとかをして我慢するしかないか。


諦めて帰ろうとしたその時だった。



「何をしとるか!」


怒声を上げたのは少女の後ろから現れた老婆。


「糞餓鬼め!またシャルルを虐めにやってきたな!」


ちょっと待ってくれ、俺は道場で剣術を習いにやって来たんだ。


そう口を開くより早く、恐ろしい光景を見た。



老婆は懐から二本の中華包丁を取り出した。口は顔の端まで裂けていて人間には無いはずの牙が見える。鼻に寄った皺はまるで肉食獣のようだ。


思い出した。


これは昔話に出てくるかの有名な妖怪。


鬼婆だ。


喰われる。


ほとんど反射的に逃げ出したレイの足は速かった。




この世界には魔法がある。


レイがいまオリンピック選手並みのスピードを走れているのは身体強化という魔法のおかげ。


魔力を持っていれば誰にでも使えると言われているが、それの出力は個人の魔力の内包量や技術によって大きく異なる。


その点、この年齢にしてはレイの身体強化はあり得ないほどに上手かった。


「待てーーー!」


鬼婆は逃げるレイを追いかけた。


両手を大きく振るダイナミックなフォームで土煙を巻き上げながら疾走する。そのスピードはオリンピック選手並みだった。



焦るレイ。


何で追って来るんだ。


しかも速い。


どこに逃げればいいのか分からない。


けれど街の外にだけは出てはいけない。街の中も危険だが、外はもっと危険だという話は何度も聞いている。とにかく街の中で逃げきるしかない。


もう諦めたんじゃないか?そう思って振り返ったが、10mくらい後ろでなおも元気よく追いかけて来ている。


やっぱり鬼婆だ。


中華包丁を持ちながら爆走する老婆なんて妖怪以外にはありえない。



街の人は驚いた顔をして見てくるが、とてもそんなことを気にする余裕はない。こっちは命の危機なんだ、ぼさっとしてないで道を開けてくれ。


背後からは鬼婆の叫びが聞こえる。「待て」と叫んでいるようだが、誰が待つものか。


そうだ!空は大丈夫か。


またいつプテラノドンがやって来るかもしれない。空にも用心しなければいけない。



空を見ながら、鬼婆に気を付けながら、人とぶつからない様に避けながら走る。


なんて忙しいんだ。


ただ道場でトレーニングをしたかっただけなのに、なぜこんな目にあっているのか。


身体強化は父親から教わっていて、だいぶ上達してきたと褒められるくらいにはなっていた。それなのにまさか鬼婆がここまで速いとは。


レイは走る。


鬼婆も走る。



背後から聞こえる声が「もう怒ってないから止まれ」「危ないから待て」「親のそばから離れるな」という心配の声であることに気付かないままレイは走り続けた。



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