第8話  入り乱れる策謀

「水路を辿りなさい」

 そんな少女の言葉に素直にしたがって、アトラスは、ルージ国王の館にたどり着いた。

「王子、我々に無断で外出されるのは困る。警護の役が果たせぬ。」

 帰ってきたアトラスを見つけてそう言ったのは、近習のザイラスという男で、非難の口調を隠さず、王子との距離感を感じさせない。この口調がルージという国を象徴している。

 漁村の人々が船に乗って漁場に向かう。凪や嵐に協力して立ち向かい、豊漁の時も不漁の時も、得るものは等しく分け合う。その中で、人々は自らの責任を果たす事によって対等で、船を操る船長はその判断の正しさその統率力によって人々を付き従わせるのである。

 極論すれば、ルージという国は、そんな漁村を国家にまで拡大したようなものである。組織としては、酷く未熟な国家に違いない。しかし、指導者に恵まれれば、目的に向かうのにこれほど無駄を排除した組織はない。

「すまぬ」

 アトラスはザイラスの非難を受けて素直に詫びた。いい訳をする必要は感じなかった。幼い頃から生活を共にし、歳の離れた兄のように感じている関係である。ザイラスは弟を見守るようにそれ以上の非難を避け、アトラスを居室に導いた。

「我らが王子のお戻りだ」

 ザイラスは部屋の中の少年たちに声をかけた。アトラスは部屋に入るや否や顔ぶれを見て親近感を込めて三人の名を呼んだ。

「オウガヌ、テウスス、ラヌガン。お前たちも到着したか」

 少年が一人ふくれっ面で不満を露わにしつつ抗議した。

「我らが王子よこのスタラススの名をお忘れか?」

「おおっ、お前も来たのか」

 四人の少年の年齢はアトラスと大差がない。アトラスと共に寝起きを共にするように育てられた若者たちである。やがて、王になるアトラスを支えるべく、リダル王がアトラスにつけた側近である。ザイラスを伴ってシリャードにやってきたアトラスから一歩遅れてたどり着いたのである。

「我らが王とは」

 オウガヌか尋ね、アトラスはため息をつくように言った。

「まだ面会ができぬ」

「よそ者とは面会しているというのに、一人息子のアトラスと顔を合わさぬとはどういう事だ」

「我らが王を批判するのは差し控えよ」

 年長のザイラスがそんな言葉でテウススの疑問を封じた。

 アトラスが尋ねた。

「よそ者?」

「シュレーブのドリクス殿が、我が王に表敬訪問においでになった」

「ドリクス? 聞いたことのない名だな」

「さもあろう、議会にも軍事にも関わりがない。我々が名を知る人物ではない」

「名もない人物が、我が王と謁見できるものか」

「わけは知らぬよ。ただ、エリュティア様の教師ということだ。」

 名を知られていないと言うこと、ただの教師としての肩書きは、密談を交わすのに適しているのである。この時期、ドリクスという人物がシュレーブ国王女の教師であると同時に、稀代の策謀家であることを知るものは少ない。


 同じ時、シュレーブ国王の館では、エリュティアがルミリア神殿で神帝への謁見を済ませて帰宅し、出迎えた教師ドリクスがエリュティアの手を導いて館のテラスに誘った。

「いかがでありましたか?」

「お元気であられましたが……」

 エリュティアが表情を曇らせた。エリュティアの優しい伯父は、生気を失いように元気が無く、懐かしい姪に向ける笑顔に明るさがなかった。

 ドリクスはその事情が分かる。国内の情勢が思わしくない。複雑に入り組んでから見合った情勢が重く神帝にのしかかっている。

 ドリクスはエリュティアの傍らで、エリュティアにつき添う侍女に手を振ってみせ、人払いをせよと命じた。エリュティアは振り返って侍女に笑いかけ、指示どうりにせよと指示した。

(あらっ)

 エリュティアはドリクスが豊かに蓄えたあご髭に、幾本もの白髪を見つけたのである。頭髪も白髪の方が多いのではあるまいか。年齢を考えれば、彼女の教師は間もなく四十五歳に達する。人々の平均寿命が五十歳を僅かに越えるこの社会では、もう老境に達していると考えても良い。ドリクスは年相応に落ち着いた口調でいつかエリュティアに語って聞かせたことを繰り返した。

「アトランティスの存亡の危機に際して、神々が神帝のもとに、裁きの英雄を差し向けます。それがレトラスです」

「それがルージ国と関わりがあるのですか」

「レトラスとアトラス。いかがです。音の響きが似ておりましょう?」

「では、ルージの王子がルミリアのお使いだというのですか?」

「それは誰にも分かりません、おそらく本人にすら」

「ご本人も?」

「その通り、地に降りたレトラスは、自分の使命を知りません」

「どうして?」

「神々の意図は我々には図り知れません。ひょっとすれば、神々は、我々が鍛えられた剣を研ぐように、レトラスが大地で試練を乗り越えつつ研ぎ澄まされるのを待っているのやも知れません」

「神々のご意志……」

「そして、今ひとつ、大事なことがございます」

「なんですか?」

「剣が己を研ぐ人を必要とするように、研ぎ澄まされた切っ先が無用に誰かを傷つけぬように、危険な刃のレトラスを迎える無垢な乙女が鞘として一体の剣になる必要となりましょう」

 ドリクスが語る内容は偽りではない。確かに彼らが信じる神話体系にその内容がある。ただ、体の良い洗脳とも言える。この時、この場で、この話をすれば、利発でありつつ素直なエリュティアは自分の役割を理解するだろう。彼女は心の中にアトラスの居場所を作り上げ、彼女自身の役割を果たそうとするに違いない。

 しかし、そんな素直さが痛々しく、ドリクスは罪悪感を覚えている。彼ら大人はエリュティアの素直さにつけ込んで彼女を保身の道具に変えようとしていた。

「先生、一人になりたいんです」

 エリュティアは遠慮がちにそう要求したために、ドリクスは月が照らし出すテラスを離れて奥の間に引っ込んだ。

 生まれてこの方、不自由したことが無く、与えられたものを受け続けるだけの少女が、はじめて誰かに何かを要求したのである。

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