第三話 春宵一刻値千金 丙

 「本当に永暁さまはお人よしというかなんというか」


 帰り道。行きと同じ様に馬に乗り、ぼくの乗った駕籠の側を行く『名無し』が、ぼやく様に呟いた。ぼくが他人の頼み事を引き受けるたびに、彼はそんなことを言う。


「お金を貰える訳でもないのに、毎度毎度厄介ごとばかり背負い込んで。付き合いを強いられる俺の身にもなってくださいよ」


「いいだろう別に。官職を頂いている以上、何かしら仕事を果たさねばならん」


「書類上だけでしょう。実際この太平の世の中で、永暁さまが軍を率いることなんてある訳ないですって」


「どうかな。天下泰平に甘え過ぎて、旗人がどんどん惰弱になっていると帝もお嘆きと聞く。父祖の言葉も忘れ、武門の習いも忘れ、平和に溺れている我らに未来はあるのだろうかな」


「……少なくとも永暁さまが生きておいでの間には、その様なことはありますまいよ」


「しかし、ぼくらの子供たちはどうだろうな?」


「あまり面倒なことはお考えにならぬが吉かと存じます」


 ハッ、と彼は馬に鞭を入れて、ぼくの隣から先の方へ走って行ってしまう。窓から覗いたその後ろ姿には、彼らしくない不安の影が降りている様な気がした。



 一旦屋敷に戻った後、差し当たりぼくは人をやって幾つかのことを調べさせることにした。まず一つ目に、副都統はどの様な人となりで、どの様に勤めているかということ。これに関しては直接の上司であるぼくはある程度知っているから、ごく簡単に済ませる。二つ目は、京師の門番に話を聞き、李儒徳らしき駕籠の目撃証言を調べること。


「(京師の城門には見張りがある。深夜の通行について、何の目撃証言も出ない訳はないだろうから、そこから何処へいっているのかを突き止められるはずだ)」


 ややあって戻ってきた連中は、次の様なことを報告してきた。


 一つ、李儒徳の勤務態度は相変わらず良好で、特段問題になる様な行動は見られない。ただし、件の夜遊びを始めた一ヶ月前に比べて、少しばかり痩せた様に見えること。


 二つ、京師内城の門番に話を聞いたところ、このところほぼ毎日朝陽門から城の外へ出て、代わりに明け方近くになって逆側の阜成門から同じ様な駕籠が戻っているらしきこと。


「『しかし、何分にも真っ暗な夜のことであるから、あまり自信は持てない』か。どうおもう?『名無し』」


「普通に考えるのならば、目的地を特定させない為の手だと推察できます、永暁さま」


「ぼくも同意見だ。朝陽門か、阜成門か。いずれにせよ、今夜追いかけて尻尾を掴んでやる」


「まさか、ご自身で行かれるつもりではありませんよね?」


「ん?当然だろう、引き受けたのはぼくだ、他に誰が?」


 ぼくは夜半の外出に備えて、馬に鞍を乗せておくことと、寒さ避けの外套を持ってくる様に命じた。その間にも彼はぼくに詰め寄って、あれこれと言い募る。


「お分かりですか、ご自身のご身分が」


「分かっているよ、分かってないのはお前だけじゃないのか?」


「だとしたら、何故こんなことをご自身でなさろうとするんです?おかしいじゃありませんか、親王が直々に夜の街に出て調査などと」


「今のぼくは親王じゃない。帝の軍の一つを預かる将軍としての仕事をしているんだ。書類の上だけだろうと、形式上だけだろうと、そんなことはどうでもいい。ぼくはやるべきことをやるだけなんだ、『名無し』」


「……」


 彼はきゅっと唇を噛んでいる。ぼくにやり込められたことが悔しいのか、それとも心配しているのか。後者だったらいいとほんの少し思う。ぼくは彼の肩に手をやって、


「分かったら、お前も外出の支度をするんだ。まさか、ぼく一人で行こうなんて、そんな訳が無いだろう?」


「……承知致しました、永暁さま」


 ちくしょう、覚えてやがれよ。彼の顔には、そんな感情が浮かんでいる。ぼくのことを心配する感情と、相変わらず連れていってもらえるという喜びがないまぜになって、恥ずかしさと怒りの煙を噴き上げている。ぼくはそんな風に、都合よく解釈することにした。

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