銀河帝国の端っこの人たち
三戸満平
第1話 銀河帝国地球支部鈴木さんの反乱
もしかしたら明日こそ成功するかもしれない。
暗闇。一人残ったオフィスの中で、ディスプレイの画面を見ながら鈴木さんは考える。
ポケットに大切にしまってあるものは今日もその出番はなかった。家で一度様子を確認する必要があるだろう。
電源を落とし、オフィスを出る。
これが成功すれば、大いにここでの暮らしは楽になる。もしかしたら同志も増えるかもしれない。
鈴木さんはディスプレイを見ながら、笑みを浮かべた。
―銀河歴13045年。西暦でいうと、2080年くらいの地球―
鈴木さんの朝は早くはない。普通だ。
午前七時。けたたましく音を立てながら空中に浮かぶ目覚ましドローンに、布団から出した手をかざして音を止め、同時に自分の体をスキャンさせる。目覚ましモードを終了させ、静かな音で空中に浮かぶドローンは、緑色の光を鈴木さんの体に浴びせる。
「本日も体調に問題はありません。」
「はいはい。」
鈴木さんはそう言いながら布団から出ると、とりあえずは顔を洗う。その間に、昨日セットしておいたトーストマシンは動きだし、電気ケトルからは湯気が吹きはじめる。
家事、全自動にすればいいのに、と鈴木さんの家にやってくる職場の同僚は言うのだが、地球産の全自動家事機はまだまだ中途半端だし、帝国中央のメーカーのだと高くて手が出せない。結婚とかでもしてこの家をでるまでは、とりあえずこれでいいんだよ、といつも鈴木さんは言っている。でも、鈴木さんの給料だったら、実は帝国のメーカーのでも簡単に買うことができる。
何と言ったって、鈴木さんは銀河帝国の職員なのだから。
そもそも、部屋だって帝国の寮に住んでしまえば、全自動とまではいかなくてもここよりも便利だし、何よりタダなのに、なんでここに住むのだろう、と職場の同僚たち(七割近くは地球人ではない)は考える。
鈴木さんだって別に広い部屋を求めているわけではなかったのだが、とりあえず寮(球体の部屋が連なって、反重力システムで宙に浮かんでおり、近くに住む人たちからは『ブドウ』と呼ばれている)には住みたくないな、と考えていた。真面目な自分のことだ、きっと寮に住んだら職場でずるずるそのまま仕事をしてしまうに違いない、と考えたのだ。
それだったら、お金を払ってでも少し遠くの場所に住み、仕事と自分を切り離した方がいいと思った。
なので、鈴木さんはそこそこ職場に近く家賃も安いこのアパートに住んでいる。それでも、自分が帝国の職員だと伝えると、不動産業者はひっくり返りそうになり、汗を浮かべながら必死で部屋を探してくれた。そのせいか家賃に比較すると結構広い部屋を見つけてもらえたので、鈴木さんは申し訳ないと思いつつも、この部屋に満足していた。
鈴木さんの朝に話をもどそう。
鈴木さんはコーヒーを豆から挽いて入れると、トーストとコーヒーだけの朝食を素早くとった。だいたいここまでで七時半。食器を片づけ、スーツに着替える。鈴木さんは戦闘員でもなければ、上級職員でもないので、制服の貸与はない。戦闘員が配属されることがほとんどない地球で、制服をつけている事務職員は確か一人くらいしかいない。支部長のメルマードさんだ。
ドアを開けて外に出ると、毎回鈴木さんは不思議な気持ちになる。
近代的な建物や反重力で浮かんでいる建物の合間やその背景には、崩れかけた建物やぽっかりと中央部が抉れた山がちらほらと見える。その風景のど真ん中にキラキラとそびえたっているのが、鈴木さんの職場でもある、「銀河帝国地球支部」だ。
鈴木さんは一階まで下りると、スクーター―重力制御を使わない、電気を動力に車輪で走るスクーターはもはや骨董品ですらある―で、会社まで向かう。
鈴木さんは完全には修復されていない、ところどころボコボコとした道をスクーターを走らせながら、過去のことに思いをはせた。もっとも、それは鈴木さんが生まれる前の話なのだが。
五十年前、地球にいきなりやってきた帝国宇宙軍は、とりあえず、と言わんばかりに地球をめちゃめちゃに破壊した後、「帝国に入るか、入らないか」と言った選択を地球に迫った。当時最大の権力と軍備力を持っていた大国の首都が燃える景色を背景に迫られた地球の人々は、どう頑張っても首を縦に振る以外は余地がなかったのだ。それは、きっとどの地球人も納得しているし、現代の地球人が過去の人々を責めることはないだろう。
問題はそこからだ。
とりあえず帝国は地球を占領することにしたものの、地球人の手によって環境汚染もかなり進み、また、環境汚染を進ませることになった開発の影響で天然資材も枯渇しつつあった、地球という銀河の中でもちっぽけな星は、帝国にとって何の価値もないに等しかった。帝国の中継基地を作成したものの、その段階で周囲の惑星に敵対するような星もなく(そもそも周囲には地球ほど発達した星がなかった)、軍事上の拠点としても役に立たなかったのである。
そんな中、一部の帝国の上級構成員は、まだ一部に残っていた有益な自然、なかでも日本の古来からの風景と温泉に目をつけ、保養地として扱うことにした。そのため、「保養地にいる構成員が緊急の際にすぐに帝国本部に連絡が取れるように」との意味から、地球における銀河帝国の支部は、広い地球の中でも極端に狭い領地しか持たない、日本におかれることになった。
鈴木さんの働く銀河帝国地球支部は、完膚なきまでに荒れた東京を最低限復興させたうえで、まわりの景観を考慮することなく、どでかい本社ビルを建てることによって完成した。
そして、構成員たちに保養地として有名な場所である、京都・湯布院・北海道・沖縄は、入念に、というよりもむしろ帝国の技術の最先端部分を導入して再開発をされたことにより、地球人たちによる乱開発が始まるよりも前の正常な環境と、それまでよりもさらに快適な街並みに生まれ変わった。
今から二十年ほど前。鈴木さんがまだ小さい頃、地球内にひそかに結成されていた「銀河反乱軍地球支部」が、本部から保養のために地球を訪れていた帝国軍の軍師を襲撃するという事件があった。しかし、反乱軍のエアバトラー(水素で動くクリーンな戦闘機であり、これは銀河帝国によってもたらされた技術で生まれた)が湯布院の町に現れたその瞬間、湯布院の町が音を立てて変形し、地上からは砲台が現れ、古き街並みを残した街々は完全な要塞へと変貌した。
光子分解砲の正確な射撃により、爆発もせずに蒸発したエアバトラーの様子を、鈴木さんはニュースで眺めていた。
その頃にはもう、地球人たちは帝国への敵対心などほとんど持っておらず、むしろ「馬鹿なことをするもんだ」という思いをしながら見る人たちがほとんどだった。
なぜなら地球は、帝国が持ち込んだ技術により昔よりも正常な環境を取り戻しており、そのことに少なからず地球の人たちは(一部の利権を得ていたかつての有力者たちを覗けば)感謝していたのだから。中には帝国のおかげで日本から花粉症の人間が減ったという報告もあったくらいである。
しかし、いいことばかりではもちろんなく、地球はもちろん帝国による支配を受けている。資源が供給できないのならば労働力を供給せよという事で、地球人の数割は、一定の年齢になると各地の星に労働者として派遣される。奴隷というわけではなく、昔の地球でもあった徴兵制の労働版と考えたほうがいいのかもしれない。ある程度の期間の労働を終えると、その地球人にも他の帝国民同様の権利などが与えられることになる(もちろん、抜け道もあるわけだが)
各星へ派遣する地球の人間の選抜、現地との調整と交渉。
それが鈴木さんの仕事であり、
銀河帝国地球支部星間労働力派遣課
それこそが鈴木さんの職場の正式名称である。
鈴木さんが帝国地球支部のビルに着くのはだいたい始業の十五分前だ。
自分のデスクのパソコンのスイッチを入れてメーリングソフトを立ち上げ、銀河各地から来るメールを受信しきるまでの時間を使ってコーヒーを入れる。家でもコーヒーは飲んでいるのだけれど、ここでも飲まないとなんとなく仕事を始める気がしない、というのが、誰に言うわけでもないが鈴木さんの弁である。
五分ほどすると、彼の上司が出勤してきた。鈴木さんは腕に付けている翻訳装置を起動させる。
「おはよう鈴木君。」
「おはようございます。ゴザさん」
ゴザさんは色白で人類と同じ体の形をしている。
帝国形成時の初期からその一部として銀河支配の拡大に活躍していた惑星、トルームの出身であり、星間労働力派遣課地球支部(あまりにも長いので職場では『星間労地球支部』と呼ばれているので、以降はこれに倣おう)に来る前は、軍部の方で働いていた。
かなり名の知られた軍人だったらしく、勲章をもらうなどの機会があり、銀河帝国の皇帝にも何度か会ったことがあるらしい。そんな人は帝国の中ではごくわずかだ。
自分の分のコーヒーを入れて席に着いたゴザさんに、鈴木さんは話しかける。
「昨日もまた映画見てたんですか?」
「ああ、昨日は『ショーシャンクの空に』を見たよ。知っているかい?」
名画ロードショーで見たことのある映画だ。
「図書室でのシーンが印象に残ってますね。ゴザさんはどう思われました?」
「最後のシーンが素晴らしかった。男の友情というのは素晴らしいな。最も、あんなに脱獄しやすい監獄は関心しないけどね。」
ゴザさんは地球の映画にとても関心を抱いていて、毎日のように宿舎では映画を見ているらしい。
鈴木さんも古い映画をよく見ることがあるので映画を時々お勧めしているのだ。上司と部下のコミュニケーションとしてはなかなかいい感じだな、と鈴木さんはひそかに思っている。
一度ゴザさんとアフターファイブに、近くの映画館でリバイバル放映をやっていたスターウォーズを見たことがある。始まってからすぐ、帝国という存在が悪役に描かれているこの映画を見てゴザさん怒らないかなと鈴木さんは思ったが、全く問題なかった。いつだって公権力は悪役に描かれやすいものなのだ。
映画において、ゴザさんは中でも特にあの光るサーベルに興味を惹かれたようで、その後にゴザさんのなじみの居酒屋で飲んでいた時、そのことを鈴木さんに質問してきた。
「なぁ、鈴木君。あの映画の戦士たちはどうしてあんなに光る剣を振り回して戦っているのだろう。」
鈴木さんはそのことに何の疑問も持っていなかったので、逆にどうしてそんなことを疑問に思ったのか聞いてみた。
「だってそうだろう?まず第一にあんなに光る剣、夜戦には不利じゃないのかね?」
「夜戦とかはしないんじゃないですか。」
「暗殺にも不利だよ。」
「暗殺とかしたらダークサイドに落ちちゃうんじゃないですか?」
「なるほど。でも一番の問題は、あれだと剣の軌道が丸見えだという事だよ。」
「んー。それは確かにそうかもしれないですね。」
「そうか、鈴木君は帝国軍の武器を持ったことがないんだな。いいものを見せてあげよう。」
枝豆をきれいに食べたゴザさんはそう言うと、スーツの内側に手を突っ込み、まさしくライトサーベルのような筒状のものを取り出した。
「え。これなんですか。」
「君は最初から事務職員だったから持ったことがないと思うが、これが帝国軍の標準装備のサーベルだよ。」
「へぇ。」
「これはスイッチを入れると、単分子一個分の厚さの力場が生成されるんだ。その力場のエネルギーで物を切断する仕組みになっている。単分子一個分だから目には見えないし、調節によって刃の長さも変えられるから便利なんだよ。なんならこの店の食材で試してみようか?」
なじみの店でそんなことしたら迷惑ですよ、と鈴木さんはゴザさんをたしなめた。
その後もお酒を飲みながら鈴木さんとゴザさんはスターウォーズについて語り合った。
「まぁでもロマンなんですよね、きっとあの光る剣は。」
「なるほど、ロマンか。」
ゴザさんは日本酒を口にしてからぽつりと言う。
「戦いにロマンをもとめるなんて、ずっと平和な星だったのだろうな、地球は。」
鈴木さんは特にそれには答えず、店長おすすめの自家製豆腐を口にした。確かに地球という星において、国同士の戦争なんてものはとっくになくなっていた。
ゴザさんは昔、数々の星で戦績をあげた勇者だと他の人から聞いたことがある。最強と言われる銀河帝国の勇者。けれど今はこの辺境の惑星で、鈴木さんたちと一緒にデスクワークをしている。きっとその人生にはいろいろあったのだろう。
最強だったころのゴザさんに会わなくてよかったな、と鈴木さんはエイひれを食べながら思った。
受信を終えたメールの整理をしていると、通信が入ったことを知らせる電子音が鳴った。
「はい、星間労地球支部鈴木です。」
「ヴェネヴェネ星基地設営隊、隊長補佐のルェイクだ。職員番号は90220198」
「お疲れ様です。」
言いながら鈴木さんはパソコンのキーボードでその番号を入力する。鈴木さん的にはタッチパネルや空間入力ディスプレイよりも、はるか昔からあるキーボードのほうが仕事が確実にできる気がしている。ルェイクの番号から察するに上級職員ではないのはわかっていたが、案の定、自分と同期くらいの年代だった。
「で、どのような要件でしょう?」
「ヴェネヴェネ星に今送ってもらっている地球人達についてなのだが、補充というか、入れ替えをお願いしたい。」
「入れ替えですか?」
「そうだ。ヴェネヴェネ星は熱期を終えてもうすぐ50年間の寒期に突入するのでな。」
「あー、なるほど。」
鈴木さんはディスプレイの文字を見て納得する。今地球からヴェネヴェネ星に派遣している地球人達はどちらかというと熱帯地方の、暑さに強いDNAを持った地球人ばかりだ。寒気の中での作業には向いていないだろうし、それによって作業の進行が遅れた場合、叱責されるのは現場の隊長たちと鈴木さん達だ。
「わかりました。派遣している人数的にも本部まで決済を取らなくていいと思うので、他のところと調整して、そちらに派遣しますね。」
「すまない。」
「いえいえ、これが仕事ですんで。」
「ありがたい。基地の建設が終わったら一度地球の温泉とやらに行きたいものだ。」
「いいところですよ。それでは。」
通信を切ると早速鈴木さんは専用のソフトを立ち上げ、地球から派遣している人間の動きや人数などとにらめっこする。表計算やルート、各惑星や関係機関と通信などを行いながらタイムスケジュールなどを組みたてていたら、あっという間に二時間ほどがたっていた。
努力の結果あってそれなりに満足できるものが出来上がったので、席を立ってゴザさんの席に向かう。
「ゴザさん、ちょっと相談が。」
「どうした?」
さっきのヴェネヴェネ星からの通信を説明し、移動用端末に移したグラフを宙に浮かべながら鈴木さんはゴザさんに説明を行う。
「ちょうど今惑星ペーレに派遣している地球人が北極付近のDNAを持つ地球人たちなので、彼らと交代させようかと思います。」
「ふむ。あそこは確かに温暖な星だから、DNA素質そのものにかかわらず地球人なら誰でも働きやすいところではあるな。」
「明日A2サイズのワープシップを派遣してもらって、先にヴェネヴェネ星にペーレの地球人を派遣、同じ船でヴェネヴェネ星にいる地球人をペーレに運びます。」
どれだけ距離が離れていても、ワープ航法を使えば地球時間で1時間もあれば移動はすることができる。ワープシップは特にワープ航法に適した設計をしており、大量の人員や荷物を運ぶことができる大型の宇宙船だ。
「ペーレの現場監督はなんて?あそこの責任者、結構うるさい人だったと思うが。」
「最初はちょっと怒ってましたけどね。中央で出されている、建設重要度を見せながら説明したら許可してくれました。」
帝国の方針としてどの分野やどの拠点の開発や整備が重要視されるかをまとめた表は、こういう惑星間の交渉の際に非常に便利だ。これを出したうえで文句を言うということは、中央に文句を言うのも同じことなので、左遷されても文句は言えなくなる。
逆に、鈴木さんもこの表のおかげで仕事をねじ込まれ、急に仕事が忙しくなることがあるのだが。
「確かに今帝国として、ヴェネヴェネ方面の進出に力を入れてるからなぁ。断るわけにもいかないか。」
「あのあたり、資源惑星がたくさんあるんでしたっけ?」
「そう。それだけに環境も厳しいところが多いんだけどな。ヴェネヴェネはまだいい方で、すべてドローン達にさせないといけない星も見つかったらしい。」
「宇宙はまだまだ広いですね。」
「まったくだ。」
よし、と言ってゴザさんはグラフに対して自分の決済サインデータを添付した。これで後は各手配をするだけでこの件については片付いたことになる。
「それが終わったら自由に昼休憩に行ってくれ。通信も、もうそんなに今日はかかってこない気がする。」
「わかりました。」
ゴザさんのそういう予感は割と当たる。それこそスターウォーズのジェダイのように。
鈴木さんは最初から銀河帝国の職員になろうと思ったわけではなかった。とはいえ夢というものもなく、地球外派遣に行くことも考えていた。よくある若者の典型ではある。
大学生での専攻は銀河帝国史を選んだ。卒論を書くために学生調査許可を申請して、銀河帝国の都市惑星レギームの図書館に行き、そこで様々なホログラム史料に埋まりながら勉強するのはなかなか楽しい経験だったが、研究者として学問を続けていくためには、まだ帝国に入っての歴史が浅い地球人であるということはあまりにもディスアドバンテージだった。
卒業も決まり、今後どうしていくか鈴木さんは考えた。地球の大学で講師の仕事を探すか、地球外派遣で向かった星にそのまま住み着くか。
ある日見かけた屋外広告で、ここのポジションの募集があることを知った。地球外派遣はその場合免除になるのと、給料が地球でのほかの仕事よりもはるかにいいことからこの仕事を目指すことにした。給料がよいのにも関わらずこの仕事を目指す地球人はまだまだ少なく、あっさりと鈴木さんはこの仕事に就くことができたのだった。
友人の中には夢を追い求めて地球外派遣をいち早く終え、帝国市民としての権利を得たうえで留学のためにほかの惑星に飛んで行ったものもいる。鈴木さんはそれでも、ここでこの仕事をしている自分が一番自分に合っているんだろうな、と思い、今日も働いている。
鈴木さんはたいてい昼食を社員食堂でとる。地球支部は割と地球人の構成率が多いがほかの惑星から派遣されている職員も多いので、様々な顔ぶれと様々な食べ物がここには満ちている。
「あら、鈴木君今日はずいぶんゆっくりなのね。」
食堂のおばちゃんが鈴木さんに声をかける。同じ地球人、なおかつ同じ日本人ということで、働き始めて以来、仲良くしているのだ。
「午前中忙しくて。」
そういいながら鈴木さんはキツネそばの食券をおばちゃんに差し出す。
「ほかにも栄養つくもん食べなきゃだめだよ!」
いつもと同じことを言いながらおばちゃんはその券を受け取り、調理に向かった。ほかの基地では全自動調理が多い中で、地球支部は調理員が実際に調理を行ってくれるので、帝国中の支部の中でも食事のレベルが高いらしい。確かに研修などでほかの惑星に行ったときは、いかにも宇宙食といった食事を、他の職員が無表情で食べている光景ばかりだった。おばちゃんに聞いた話だと、ここで腕を磨き、地球外の人間に対しての味付けなどを学んだ後に、惑星の幹部などが使う料亭などでも働くことがあるらしい。なかなか合理的だと鈴木さんは思う。
キツネそばを食べ、売店の雑誌などを眺めた後に再びデスクに戻る。ゴザさんの言う通り、電話は一件も来ていなかった。引き続き銀河中から来たメールを見、それに合わせてスケジュールや手配、電話などをかけていく。合間合間にゴザさんやほかの職員とボーナスの使い方などを話しているうちにあっという間に夕方になった。
「今日は湯布院に知り合いが来ているから挨拶してくるよ」
そういってゴザさんはパソコンを閉じて立ち上がり、一足先に出て行った。上司が先に退社したことでさらにふわりとした空気がオフィスの中には漂った。
そのタイミングを見計らって、鈴木さんはそっと机の中からあるものを取り出し、部屋の外に出た。
だれにも見つからないように階段を上り、ゲートのいくつかを潜り抜ける。
このルートを見つけるまで、鈴木さんは仕事の合間を見つけては地図を精査し、トイレに行く時や昼休みなどを使って下調べをしていた。今日の昼休みに最終確認をしたからきっと間違いはない。
最後の階段を上り、扉を開けた。
そこに広がっていたのは、一面の夕焼け空と、眼下に広がる街の姿だった。抉れた山から覗く太陽がなんとも美しい。
「やっぱりこのルートだと見つからずに屋上に出れるんだ。」
鈴木さんはポケットの中のものに手を触れながら、扉から離れて絶好のポイントを探す。
ほどなく、そのポイントは見つかった。風が適度に流れ、おそらく階下からも見えないポイントだ。
ここでだったらやれる。
そして、鈴木さんはいよいよポケットの中のものを取り出す。
それは、一箱のタバコだった。
「これで、これからはいつでもタバコが吸えるわけだ。」
タバコの成分が体に悪いのは言うまでもなく、そもそもその成分が一部の宇宙人にとっては地球人の倍以上も有毒である、ということで、オフィス内は完全な禁煙となっていた。別に鈴木さんはヘビースモーカーというわけではないが、それでも一本くらいは吸いたくなる時がある。飴やコーヒーでごまかしてもいいのだが、ある日ふと、このセキュリティに満ちた支部でも、一か所くらいならタバコを吸えるポイントがあるのでは、と思い立ったのだった。そう思ってからは毎日こっそりとルートを調べ、計算などをしていた。
午後五時五十分。終業時間十分前。
紫色の煙を空に流しながら、鈴木さんは足元の破壊と再生が混沌と並ぶ街を眺める。
宇宙一小さな反乱だな。
そう思いながら、楽しそうにタバコをくゆらせて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます