英国の名探偵に憧れて
@Man8
第1話 前世
私には小学生から仲のいい男の子の友人がいました。
彼は私の知らない事を頻りに話題にします。
それを好奇心旺盛だった私は食い入るように聞きました。
博識なだけでなく、
彼はよく私の性格や内情を正確に見抜きます。
それだけでなく両親の職業なんかも言い当ててしまいます。
その度に私は「なぜわかったの?」と聞くのですが
彼は満足して鼻を鳴らすだけで、これといった解説はしてくれませんでした。
ここまでの描写だと少し奇異な少年に映りますが、当時はお互いに小学生でしたので訝しむことはありませんでした。
むしろ感動さえしました。
しかし中学に上がる頃、彼は不意にそして"得意げ"に切り出します。
「 『君は見ているだけで、観察をしていない。見ることと観察することははっきり違うのだよ』という台詞を知ってるかい」
*1
私は堂々とかぶりを振りました。
すると普段達観した様子の彼は破顔し、言葉を続けます。
「古い英国名探偵の台詞だよ。僕は幼い頃に読んだその物語に影響されてありとあらゆる階段を数えたんだ」
無邪気に語る彼を見てつい微笑んでしまいました。
彼の言う物語の検討がついたので口に出します。
「シャーロック・ホームズですね」
彼は力強く頷いて再度語り出しました。
「《そこに階段がある》と《そこに13段の階段がある》という理解の違いは僕の世界の彩りを一転させたんだ。小さい時から習慣づけていたおかげで概念的に理解していたものが論理的に理解できるようになったのさ!」
その話を聞くと
彼の今までの卓越した洞察力も説明はつきます。
しかし同時に驚愕しました。小学生の頃からそれを成し得ている彼は紛れもなく天才なのではと。
*1 アーサー・コナン・ドイル「シャーロック・ホームズの冒険」より
―――――――――――――――――――――――
義務教育期間もそろそろ終盤という時期。
彼が2日ほど学校を休みました。
休み明け、一緒に登校する時に少しイジワルな質問をしたんです。
図った訳ではなく、ただ純粋な好奇心からでした。
「あのですね。あそこにいつも立っている交通指導員さんがいますよね。あの人を見て何か分かることはありますか?」
毎朝、時間通りに必ず居てかつ清潔感のある彼女を指してそう尋ねます。
彼は、元気よく通学生に挨拶する彼女の様子を伺うと表情をそのままに言いました。
「昨日風邪を引いて自宅療養したのだろうね」
私はギョッとしてつい声を大きくしました。
「ど、どうして分かるんですか」
確かに昨日彼女の姿はなかったのです。
その事実を推察できるのかを気になったのですが
しかし病気という理由を断言したことに私は驚きました。
すると彼はピンと人差し指を立てて簡単なことだよと前置きしてから
「彼女が毎朝時間通りにいる。その上仕事着の清潔さから律儀な性格なのは伺えるよね」
私は同意しました。毎朝丁寧に挨拶をする彼女を文字通り律儀な人だと感じていたからです。
本心を知るすべはありませんが、少なくとも仕事には真剣な人だというのは分かります。
「一昨日の朝はひと雨降っただろ。驟雨だったから雨具を携帯してなかったんだろうな。雨に濡らした体が冷えて風邪を引くっていうのは帰納的推理だが、彼女の靴を見ると確証を得られるよ」
私は目を細めて凝視しました。
黒の紳士靴の紐が茶色く濁っていてるのが伺えました。
私はハッとしました。
その様子に気づいた彼は話を進めます。
「そう、毎朝きっちりとした身だしなみの彼女が靴紐の泥を落とさない状況は2つ。一つ目は病気による肉体的疲労で時間が取れなかった。二つ目は魔が差したなどの精神的疲労によるものだ。しかし、二つ目の状況は今日ああやって仕事をこなしている様子から除外していい。真面目な人が精神的に負荷を受けて仕事を休んだ場合に一日で即復帰した後あんなに元気に挨拶は出来ないだろう」
私はそこで一つ疑問を投げかます。
「家庭の用事という可能性はないのですか?」
彼はかぶりを振りました。
「それはないな、薬指には指輪はしていない。律儀な性格の人間がそういった実質的な意味合いを持つ大切なものを蔑ろにはしない。仕事中は外すとかの理由の場合は必ず痕跡が残る、日焼け云々とかね。
仮に用事があったのだとしても靴を手入れするという作業を怠る理由にはならないよ」
私は自然と膝を打ちました。
なるほど靴を手入れできない状況が前提でした。
そして彼は一呼吸置いて仕上げに入ります。
「全ての仮定から不可能要素を取り払って残ったのが事実になるそれ故に病気での自宅療養だ」
私は呆気にとられました。
そしてそこはかとなくワトソンさんの心情を察することができた気分になたったのです。
彼は横断歩道を渡る際、答え合わせをするように言いました。
「おはようございます。体調はもうよいのですか?」
彼女は少し戸惑いを見せてから直ぐに応じます。
「おはようございます。ええ、すっかりよくなりました」
――――――――――――――――――――――――
高校生になるとお互い別々の進路につきました。
私は地元の女子校へ進学して彼は少し離れた私立高校へ。
時折会って話すと彼はよく不満を口にします。
「現代社会において僕の才幹が役立てる場が少ない!」
私は首肯しました。
そうです。現代の警察それに準ずる捜査機関の能力は最早人類の知的能力を余り必要としないのでした。
しかし私は後悔しました。ここで私が繋ぎ止めるべきだったと…
それが彼との最後の会話になってしまったのです。
唐突にに「海外に行く」
と言って旅立った彼を襲ったのは不慮の飛行機事故でした。
私は数日を要してようやく悲しみから立ち直ると
こう願わずにはいられせんでした。
来世では彼の才能を存分に振るえますように。
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