第32話

 十時半ごろ。

 定刻通り、リリィのパン食い競争の時間になった。


「いってきます」

「行ってらっしゃい」


 俺はリリィを見送ってから、携帯を取り出した。

 母にメッセージを送る。


 リリィの番だけど、どこにいる?……っと。

 既読はすぐにつき、返信が帰って来た。


「お母さん、どこにいるって?」

「保護者席。父さんと一緒にいるってさ……あれじゃないか?」


 俺は保護者席の方を指さした。

 そこには母と父と思しき二人が、リリィの方を見ながら何やら話していた。


 あの子がうちに留学しているイギリス人の女の子よ。

 みたいな話をしているのだろう。


「間に合ったなら、いいわね。私も撮ろうっと」


 そう言いながら美聡は携帯を構えた。


「リリィを撮るのか?」

「うん。お母さんに頼まれてね」

「……俺は頼まれてないんだが」


 美聡に頼むなとは言わないが……。

 先に俺に頼むのが筋だろ?


「いつもの、“言ったつもり”、じゃない? もしくは、信用がないか。聡太も適当だしね」

「母さんほどじゃない」


 俺も携帯を構える。

 母には頼まれていないが、リリィには頼まれている。


 メアリーに送るから、ベストショットを撮ってくれと。


 しばらくすると、パン食い競争が始まった。

 パン目掛けて、五人の走者が一斉に走り出す。


「アメリアちゃん、早くない? 陸上、やってた?」

「テニスと乗馬しかやってないと思うぞ」

「じょ、乗馬……」


 パン食い競争は男女混合だが、リリィの走りは男子にも後れを取っていなかった。 

 男子の平均よりも、ずっと早い。


 あっという間にパンに辿り着くと……。

 一気に跳躍した。


「バレー経験もあったりする?」

「バレエならあるらしいぞ」

「そっちかぁ」


 一発でパンを咥えると、そのまま全速力で駆けだした。

 他の走者がパンを咥えるのに四苦八苦している中、独走するリリィ。


 慌てて追いかける男子を尻目に、リリィは一位になった。

 問題は写真だが……。


「うーん、ちょっとブレちゃったなぁ」

「相変わらず、雑だな。俺はちゃんと撮れたぞ」


 俺は美聡に携帯を見せた。

 そこには空中で跳躍し、見事にパンを咥えるリリィの姿が映っていた。


 ベストショットだ。

 これなら、リリィも文句は言わないだろう。


「いいなぁ。私にも頂戴?」

「……リリィに許可取れば、いいけど。どうして?」

「待ち受けにするの」

「気持ち悪すぎだろ……」


 リリィはお前の恋人じゃないんだぞ。



 それからしばらくして。

 

「おひるにたべます。デザート、です」


 リリィは自慢気な顔で菓子パンを抱え、帰って来た。

 獲得したのはメロンパンだ。


 リリィが一番好きな、日本の菓子パンだ。


「しゃしん、とれましたか?」

「ああ。これ、どうだ?」


 俺はリリィに携帯を見せた。

 リリィは小さく鼻を鳴らす。


「さすがです。“まちうけがぞう”にしても、いいですよ」

「しないよ。……恋人じゃあるまいし」


 俺がそう答えると、リリィは大きく目を見開いた。

 そしてガックシと、肩を落とす。


『そ、そうですか……そうですか』

「……どうした? リリィ」

『何でも、ないです』


 さすがに疲れたのだろうか?

 顔色が良くない。


「ムカデ競争、出れるか?」

「でれます。……だいじょうぶ、です」


 リリィは死んだ目でそう言った。

 ……本当に大丈夫か?


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