心
魔法でオレアンダーの家に降り立った途端に長い腕が背中から周ってきた。後ろから引き寄せる様に抱きしめられ、クシェルは身体をそのまま預けた。
「急にいなくなるから焦ったよ」
彼の声は心なしか震えているようだった。
「悪かった、でも庭に入れなくなってたし…急に契約切れてたし」
「それはあの女のせいでしょ?なんであんなヤツに着いていった訳?」
オレアンダーも憮然とした様子で言い放つ。クシェルは身を身を固くすると、彼から身を離した。
「ここに来たばかりの頃、今度暴発や騒ぎを起こせば追い出すって言ってたから。その、てっきり」
クシェルが口籠ると彼は呆れたようなため息をつき、ソファに身を沈めた。それがいたたまれなくてクシェルは俯いた。脱力したまま彼は顎をしゃくると隣にクシェルを座るよう促してくるので素直に従った。
「どれだけ俺が信じられない訳?この一ヶ月ほぼ寝ずに探し回ってたんだけど」
彼の言うことに嘘偽りはないのだろう。その整った顔の目元にはうっすら隈が出来ている。
しかし彼の過去の言動がクシェルの胸にしこりを残していた。
「もの言いたげだね、釈然としないならいい機会だから何でも聞いてよ」
クシェルは意を決して口を開くも声が少し震えてしまう。
「オレアンダーはノアが好きで俺を助けたのは義理なんだろう?いつも勘違いするなっていってたし」
「うん。ノアはいい子だし、番にするならこういう子って正直思ってた」
しかし思ったよりも言葉の衝撃が強く、クシェルは思わず顔を覆ってしまった。
「君は大事な弟子の家族だし切り捨てる訳にもいかなくて。あー面倒だな、さっさと離れて他人に戻りたいってのが正直な所だったんだけど…って大丈夫?」
投げかけたのは自分だが、些か配慮の少ない言葉が返ってきてクシェルは打ちひしがれそうだった。
「…もうちょっと言葉を選んでくれよ。お前は話せてスッキリかもしれないけど、俺はっ」
「君が話を振ったんじゃないか」
とても明確だが、というか明け透け過ぎて言葉が刃物の様に胸に突き刺さる。
彼の言葉でオレアンダーは本当はノアが好きで、ノアのために親切心で一肌脱いでくれていただけだった事実が確定してしまった。
「やっぱり、ぎぎだぐないっ、ぐすっ」
「あれあれ泣いちゃった」
ノアが望めば、オレアンダーが想うなら身を引くつもりだった。ただすぐにはどうしても二人を祝福することは心がついていかなかった。
そのため冷却期間を設けるためにもあの地を離れたのだ。まさかそれをきっかけに事件に巻き込まれるとは夢にも思わなかったが。
「…もう少しだけ。もう少しだけ、待ってくれ。そうすればきっとお前らを笑顔で祝えるから…」
情けない位に涙がボロボロとクシェルの頬を伝う。いい年してこんな醜態を晒したくなかったはずなのに。
きっとオレアンダーもこんなことを言われても困ってしまうだろう。
しかし目を丸くした彼の口から出る言葉は意外ものだった。
「クシェルものすごい誤解をしてるよ。ちゃんと話しを聞いて」
何も誤解していることなどないはずだ。
「誤解なんかしてない!もうすぐ番になれるってノアに言ってたじゃないか!」
あの嵐の日部屋で訳ありな雰囲気を醸し、意味深な言葉を交わしていた二人を見て逃げるように彼らの元から姿を消した。
こんなに乱れた気持ちなら魔法の暴発でまた誰かを怪我させる可能性もあったからだ。
クシェルはノアの幸せのためには自分が身を引くしか方法はないと信じ切っていた。
困惑したオレアンダーの表情を見てクシェルは感情的になった自分を恥じた。
彼から発せられる言葉に怯えるも、しかしそれは予想外のものだった。
「…ねぇクシェル、もしかしてあの日の話忘れちゃったの?」
「あの日?話?なんのことだ?」
「…どうりで話が噛み合わない訳だ」
ため息をつくとオレアンダーはいつかの水晶玉を取り出した。
ふわりと水晶玉は宙に浮かび上がると裸で抱き合うクシェルとオレアンダーが映し出した。どう見ても事に及んでいる真最中のように見える。
「え?な、なんだよこれ!いつのまに!」
「いいから見てて」
耳を澄ますと、甘えたような自分の声が聞こえてきてクシェルは固まってしまった。
『いやだ、噛んでくれなきゃ』
『クシェル』
水晶の中のクシェルはオレアンダーに縋りついている上にとても本能的になっているようだった。
『他のアルファと番になんかなりたくない』
『俺だって、クシェルを他のヤツに渡したくなんかないよ』
『じゃあ、早くうなじを噛んでくれよ』
『でも、今回のヒートでは見送ろう?君は家族がいるんだから。ちゃんと弟に話してからにしなきゃびっくりしちゃうよ?』
『オレアンダーがいい、オレアンダーじゃなきゃ嫌だ』
被りを振り、子供のように駄々を捏ねている記憶のない過去の自分を目の当たりにし羞恥でクシェルは顔を覆ってしまった。
『わかった。次のヒートで番になろう』
『…次のヒートまで待てない』
『俺も今すぐにクシェルを自分だけの番にしたいよ」
『…おまえと、番になれないのが怖い』
『大丈夫。君の装備に他のアルファが近寄れないように細工しておくから。狩に行く時はちゃんと忘れずにつけていくんだよ』
『…ん』
『これからは俺以外の人間に身体を触らせちゃダメだよ。俺と本当の番になってくれるんでしょう?』
水晶玉の中のクシェルは満ち足りたような顔をし、溶けそうな笑みを浮かべるとこくりと頷いた。
フッと水晶玉の中の映像が消えるとオレアンダーはローブへと仕舞い込んだ。
「…この時のクシェルは本当に可愛かった」
ほうっとため息を吐くと、うっとりとした表情のままオレアンダーは呟いた。
「…なんで俺、こんなに開けっぴろげに喋ってるんだ?」
「開けっぴろげってことはちゃんと本音なんだね」
「…え、あっ」
ついつい勢いで本音をこぼし、さらに頬が熱くなる。こんな風に思いを吐露していたとは。クシェルは羞恥で顔から火が出そうだ。
「よかった」
一方オレアンダーはどこかホッとしたような表情を見せた。
よくよく聞けばこのやりとりを真に受けたオレアンダーはクシェルと婚約したも同然くらいに思っていたらしい。
次のヒートを迎え、本当の番になった暁には長期休暇をとり長旅に二人で連れ立つつもりだったそうだ。ここの所忙しかったのは必死に仕事を片付けていたためだった。
「俺、一人で浮かれてたってこと?ねぇ」
「いや、その、ごめん」
「本能的になって口走っただけかもしれないから次回のヒートでってことにしたんだけど。まさか覚えてすらいないとはね」
「まあ。クシェルは思ってもいないことを言えるくらいにあざとい性格でもないのはわかっていたけど。複雑だなぁ」
「いや、それは…その、本当にごめん」
「ちなみにクシェルはセックスの時いつもこんな感じだよ」
「…嘘だろ?」
知られざる自分の姿を突きつけられ、クシェルは羞恥心から頭を抱えたくなった。
「もっとすごいこと言ってる時もあるけど、忘れてるってことか。せっかくだし鑑賞会でもする?」
ニヤリと笑うと、オレアンダーは水晶玉を差し出してくる。
「…遠慮しておく」
しかしそんな彼にクシェルはげんなりと返すのが精一杯だった。
クシェルがソファに脱力して身を任せていると突然にこりとオレアンダーが不自然な笑みを浮かべる。おもむろに何かを取り出した。クシェルは嫌な予感に飛び起きる。
「そういえば、これ何?」
「あ?…いや、なんでこれがここに…」
彼がローテーブルに叩きつけたものを見てクシェルは顔を引き攣らせた。
「ふーん住み込みギルド子連れ可。寮完備。庭師募集中。花葉術の使える方歓迎。…へぇー」
オレアンダーの手の中にあったのは、クシェルがとっておいた求人募集だった。いずれも住み込み契約のものばかりだ。
「拉致されたあとは家出?」
「…俺はただ、義務や責任感や同情で一緒に住ませなきゃならないなんて避けたいだけだったんだ」
勿論、クシェルも無言で出ていくつもりはなかった。まだオレアンダーの気持ちもわからずその上予定外の妊娠もあり今後の話が転ぶかわからなかったからだ。
不機嫌そうなオレアンダーと目が合い思わず目を逸らしてしまう。
クシェルにとっては転ばぬ先の杖のつもりだったが、まさか疑心の火種になるとは思わなかった。
「その、悪かった。子供ができるなんてな。避妊薬の細工にも気づかなくて。ちゃんとオレアンダーに用意して貰えば良かったな」
「言わないでよそんなこと」
ピシャリと返され、クシェルは身を固くした。
「…お腹の子に聞こえてたらいけないでしょ」
無理やり抱き込まれると、悲しそうに歪んだオレアンダーの瞳と自分の視線が交差する。
責めるような言葉をぶつける癖にオレアンダーが抱きしめてくる腕はどこまでも優しくて、じんわりと切ない気持ちがクシェルの胸を占めた。
いつのまにか、するりと出て来た蔓がオレアンダーの腕に周り、まるで機嫌をとるように縋り付いている。
もしかしたらお腹の子供も何か感じるところがあるのだろうか。
「喧嘩してないよ。今大事なお話ししてるから待っててね」
オレアンダーが蔓に優しく声をかけると少し落ち着いた様子になり蔓は姿を消した。
この数時間でもうすでにオレアンダーは手懐けている様子だ。やはり魔法を扱う子を育てるとなると、魔術に秀でている者でなくては務まらないのかもしれない。
想定した妊娠ではないとは言えこの子はどんな形であれ守られるべき存在だ。オロオロする様な蔓の様子を見て、しっかりしなくてはとクシェルは少し冷静になった。
深く息を吐くと、素直な気持ちでゆっくりと言葉を紡いでいく。
「オレアンダーにとって俺は弟子の兄貴で、俺にとっては弟の先生でしかないって自分に言い聞かせてた。元はと言えば俺のせいで望まない番いにしちまった負い目もあって。どこか好かれる訳がないって思い込んでいたんだ」
「クシェル…」
オレアンダーが切なげな声で名前を呼んでくると、その腕に力が入った。
「でも頸の噛み跡がだんだん消えてくのが辛かった。それがオメガの本能なのか、違うのかわからなかったけど」
しかし頸の傷がすっかり消えた今も、彼への思いは増していくばかりだ。
素直に自覚して勇気を持って気持ちを確かめれば、彼を怖がらせ傷つけることもなかったのだとクシェルは今更ながら後悔した。
「あのね、俺がノアがいいなって思ったのは頭もいいし、向上心もある。研究も一緒にしてて楽しかった。でも何より愛されて育ったんだなって思ったからなの」
彼の言葉にクシェルが顔を上げると、慈しむような瞳と目が合う。
「でも、クシェルと過ごして君が彼を大事にして、可愛がって育てたんだってわかって…なんだかすごく納得したよ」
温かい彼の声がクシェルの心へ柔らかに降り注いだ。
「オレアンダー…」
クシェルがたまらずに抱きつくと彼は力強く抱き止めてくれる。
「一緒に過ごすうちに心地良くなった。君と家族なら良かったのにって思っちゃったの」
「…そんな風に思っててくれたのか」
ハッとしたように呟くと、オレアンダーが髪を撫でてくる。
「君が言うとおり、最初は番契約の効果かと思った。でも今だって俺の気持ちはどんどん強くなっていくからきっと違うんだよ」
オレアンダーは身体を離すとクシェルの両肩に手を置き、神妙な面持ちを向けてきた。
「ライナには差し違えてでも君を渡すつもりはなかった。彼女はローゼライン家の人間だよ?火の魔女だし面倒なことこの上ない。ねぇこれでも信じられない?君のこと好きだって」
切なそうに言い募る彼にクシェルは大きく被りを振った。
「そもそも、なんとも思ってないのにあんなに何回も抱く訳ないでしょ?俺のことなんだと思ってるの?」
今度は心外だとばかりにオレアンダーは呆れ声でむくれた表情を見せてきた。
「…いや、番の本能があればそんなもんかと思ってた」
クシェルがそう返すもしかし予想外の話を告げてくる。
「番の本能っていっても最後の一ヶ月なんてほぼシラフだったはずだよ。どの実験も同じ経過を辿っている」
思い返してみればその一ヶ月は彼との接触が最も濃厚な時期だった。三日と空けずに激しい性行為に没頭していたのも番の本能でのぼせ上がっていたとばかりに思ったが。
そうではなかった事実を踏まえると、クシェルは羞恥で顔から火が出る思いだった。
「というか、クシェルの方こそ番の効果がとけて気持ちに迷いが生じてるんじゃないの?誤解とは言え俺とノアから身を引こうなんて。まあ、今更何言っても逃すつもりはないけど」
低い声で狙いを定めた獣の様に鋭い視線を飛ばしてくる。クシェルは自分はさながら被食動物のようだと錯覚する。
「番の噛み跡がなくなっても俺は君をずっと探し続けてたんだ。本当に本能に縛られてるだけだったら血眼になって探したりしないんだから」
捲し立ててくる彼にクシェルは圧倒されてしまう。
ようやく気が済んだのか、オレアンダーは大きく息をついた。
「もう責任とってよね」
「責任?どうやってとるんだ?」
クシェルが大真面目に返すと呆れたように笑いながら彼は答えてくれる。
「…これからずっと側にいてくれればそれでいいよ」
彼に頬に触れられ、顔を上に向かされるとキスを与えられる。
オレアンダーと慕い合っていたことがわかりクシェルの胸が熱くなりその喜びから高鳴り続けている。もっととねだるように縋るも体を離され額を指で突かれた。
「いつまでもお兄ちゃんでいないで、早く俺の番になってよね」
蠱惑的な笑みを浮かべるとオレアンダーは甘く囁いてくる。
兄という言葉でハッとする。あんなに思い詰めていた表情のノアの想いはどうなってしまうのだろうか。クシェルは表情を曇らせた。
「…やっぱりね。君まだまだ他にも誤解してそうだし、ノアに直接会いに行こう」
顔に出やすいクシェルの表情で何か読み取ったのか。言うが早いか、オレアンダーが呪文を唱えると二人は移動魔法の光に包まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます