家族を想う
日が落ち、遊び疲れたきのこ達がぐっすりと眠る横でクシェルは一人夜空を眺めていた。
満月が傾きかけて来た頃、ふと背後から声を掛けられた。
「眠れないの?」
「…うん。帰ってたのか」
振り向けばオレアンダーが佇んでいた。
「花って昼間しか咲かないからな」
夜になってしまえば夢中になっている花葉術も少しつまらない。今のクシェルの手腕では咲かせても夜のため閉じた蕾ばかりだからだ。
「夜に咲く花だってあるよ?」
「そうなのか?」
彼の言葉にクシェルが驚くと同時にオレアンダーが指を回す。
すると地面から植物の芽が出て伸び始めた。
急速に伸び始めると白い蕾がつきまるで重い頭をもたげるようにもち上がる。やがて蕾が綻ぶとクシェルは声を上げた。
月夜に照らされ、美しく白い花がドレスがたなびく様に広がる。
こんなに美しい花をクシェルは見たことがなかった。
「綺麗だ」
ため息をつく様に思わず呟く。
「月下美人っていうんだよ」
辺りに上品な甘い香りが漂い始めた。
生まれて初めて目にする白い花はまるで妖精の様だった。
月明かりに照らされたその神秘的な美しさにクシェルは再びため息をつく。そんなクシェルの様子を見たせいかオレアンダーは満足気に微笑んでいた。
今宵は満月だ。雲が流れていけば、たちまち辺りを柔らかい月光が照らした。
月の光には魔力が宿ると言われているが、案外本当なのかもしれない。そのせいかクシェルは不思議とオレアンダー饒舌に会話を続けていた。例にもよって単に番の本能のせいかもしれないが。
気づけば話題はクシェルの身の上話になっていた。
「家族に魔法を教えてもらうことはなかったの?」
オレアンダーの問いにクシェルはこくりと頷いた。
「俺は実の親には会ったことがないんだ。育ての親は使ってたけど。その育ての母さんも俺が魔法を使い始める前に死んじゃったけどな」
平均的な初めての魔法発動は思春期前。クシェルの場合初めて魔法を使ったのは母の死後だった。
「…そう。君がまだほんの子供の時にいなくなっちゃったんだね」
秋の始まりの風がさわさわと樹木を揺らした。
子供の頃は幼いノアを抱え、周りからはオメガの兄弟と蔑まれていた。
やがて成長したクシェル達は今住むフィリグラの街へと流れ着いた。以前に住んだ地域はことオメガ差別が酷かった。ノアに関しては大人しかったため、悪ガキにいじめられることも多く、クシェルの腕っぷしが強いのもこのことに起因する。必要は発明の母とはよく言ったものだ。
「やられたらやり返す。俺が強くなればノアはいじめられないからな」
「なるほどね、必要に迫られてそうなった訳か」
オレアンダーは納得した様に頷いた。
「剣は誰に教えてもらったの?」
「近くに騎士団が常駐してた時があって、訓練志願して見込みがあれば採用して貰えるんだ。まあそこで自分がオメガとわかって夢は途絶えたけどな」
今となっては笑って話せるが、当時は幼さもありかなり落ち込んだ。
「オメガが感染るなんて言われてな、笑っちゃうよな」
理不尽ないじめを思い出し、子供無知だよなぁと笑いながらクシェルが言うもオレアンダーの表情は硬かった。クシェルとしてはほんの笑い話のつもりだった。
「無知なのは俺も一緒だよ」
硬い声で彼は言う。
博識なオレアンダーでも知らないことがあるのか。研究者の世界はそういうものなのだろう。オレアンダーはクシェルより年上だが、研究者の中では若輩ものなのだろう。或いは謙遜も含まれているのかもしれない。クシェルは特に気にも留めずに聞き流そうとする。
「だって、君たちがこんなに苦労してるなんて、夢にも思わなかった」
オレアンダーは苦しそうにそんなことを言うものだから、クシェルは呆気にとられてしまった。
「何言ってんだよ、田舎のことなんかオレアンダーが知る訳ないだろう」
無知というより住む世界が違うだけだと思うが。
珍しい彼の様子に戸惑いながらもクシェルは話を振った。
「オレアンダーはどうなんだ?やっぱりアルファは都会でしっかり勉強するんだろう?」
そよいでいた風が一瞬凪いだ。
「俺は愛人の子なんだ」
ポツリと落とすような彼の呟きに一瞬聞き逃しそうになる。
「え?」
「家督とかは興味なかったからいいんだけど、どこか本心では仲間に入れて欲しかったんだろうなって」
そんな彼がクシェルにはまるで幼い迷子のように頼りなく見えてしまい、目を見開いた。
「内紛があれば武勲を立てにいったし、師匠のもとで再生魔法の研究に没頭した。みんなに認めてほしくて」
もしかして愛人の子なのでいじめられていたのだろうか?変に勘繰ってしまいクシェルは顔を悲惨なものを見るかの様に歪めている自分に気づいた。
しかしそんなクシェルを安心させる様に彼は笑みを浮かべる。
「でも厳しいけど、みんな本当は優しくて自分にも厳しい人達だった。煙たがられてるって言うか、兄達は特にそうなんだけど。みんなどう扱えばいいかわからなかったみたい」
少し表情が柔らかくなったオレアンダーにクシェルは安堵した。
「じゃあ、今は仲良しなのか?」
これ以上彼の辛い過去を聞かずに済むと期待したクシェルだった。しかしオレアンダーは穏やかな表情のまま首を横に張った。
「もうちょっとで仲良くなれるかなって思ってた時に、みんな死んじゃったの」
なんでもないことの様にポツリと落ちた呟きにクシェルは声を失った。
「延焼した街の中の瓦礫の下敷きに。一族揃ってね。領地の人々を避難させたかったみたい」
四大魔術一族の一つギレスの血はその生命力の強さが秀でていた。しかし純血に拘るが故に魔力は徐々に弱まっていきその結果火災を防ぎ切れず、一族は帰らぬ人となったらしい。
「気高い人達だった。俺の義弟にあたる子はまだ十二歳だったのに」
あんなにあくが強そうで、面倒臭そうな彼の儚げな横顔がクシェルの脳裏に焼きつく。
本能のせいか、番の癒ることのない絶望を感じクシェルの胸は鉛を飲み込んだ様に重くなった。
「なんでこんなこと話してるんだろうね。君が曲がりなりにも番だからなのかな」
何でもないことのように、口角を上げて呟くオレアンダーを見てクシェルはどうしようもない焦燥感に駆られた。
正直、クシェルにとってオレアンダーは捉えどころのない人間だった。
しかし人に心を開けず、厭世的で諦め切った寂しさを抱え、それでも血の通った一人の人間なのだと気づきクシェルはたまらない気持ちになった。
同時に歯痒さを覚える。彼に何かをしてやりたいが思いつかない。
いつも飄々としているオレアンダーが幼い子供の様に頼りなく、かつてのまだ幼いノアと姿が重なったように見えた。
「頑張ったんだな、本当に」
気がつけばクシェルはオレアンダーの髪を労る様に撫で付けていた。
よく落ち込んでいるノアをこんなふうに慰めていた。
母の代わり、父の代わりでありたいと祈るように弟が健やかに育つように触れていた昔へとすっかり戻ったかと錯覚してしまう程だった。
しかし目を見開き固まってしまったオレアンダーに気づいて慌ててクシェルは身を離した。
「わ、悪い。つい癖で」
いきなり子供の様に扱われさすがに気分を害しただろう。彼のことだ、また笑顔で毒を吐いてくるのだろうと思うとげんなりしてしまう。
「…なんか、悪くない」
「は?」
小さな呟きがぽつりと溢れ落ちる。その予想外の言葉にクシェルは聞き間違いかと視線を彷徨わせる。
「…だから、悪くないって。何回も言わせないで」
常ならよく通る声をしているというのに。その声には澱みがあって少し人間らしい。いつもと全く違う言動をするオレアンダーにクシェルは目を剥いた。
「もう少しだけ撫でてよ。高待遇を日頃受けてるんだから」
「わ、わかった」
いざ撫でろと言われると、変に力が入り上手くいかない。
「…ぎこちないなぁ」
「仕方ないだろ」
絹のように柔らかなオレアンダーの髪をすいていく。頭を撫でる経験なんて弟のノアにしかしたことがなく、記憶もうろ覚えだ。
「なんとなく落ち着く。番の本能のせいなのかな」
「さあな、なんだっていいだろう」
ぼんやりと夢でも見ている様に呟く彼の姿をクシェルはしげしげと見つめていた。
「本当、君って感覚で生きてるよね」
「…やめるぞ」
あからさまに撫でるのをピタリとやめ、立ち上がろうとするクシェルだった。
しかしオレアンダーがすっと人差し指を動かすだけで動きを封じ込められてしまった。魔術師はずるい。
「まぁまぁ、怒らないでよ。言い過ぎたって」
お詫びとばかりにオレアンダーがクシェルの頭を撫でてきた。長い指で思いのほか丁寧に撫でられる。いつものクシェルだったら振り払うところなのかもしれない。しかし予想外にそれは心地よく、案外悪くないと思ってしまった。
風向きが変わったようで月下美人の香りがまっすぐこちらへ流れてくることに気づいた。
「まだいい匂いがする。酔いそうだ」
「大袈裟でしょ」
くすくすと笑うオレアンダーの振動が撫でつける手から伝わってくる。
蠱惑的な月下美人の匂いにクシェルが酩酊さえ覚えているとあることに気づいた。
「…オレアンダーの匂いに似てる」
恍惚としたような気持ちでポツリと呟きを落としてしまう。はたと気づいた時にはオレアンダーが撫でてくれていた指が止まり、それに一抹の寂しさを覚えてしまう。これも番の本能の故か。
「ごめん、変なこと言った」
深い意味はないが誤解を与える言葉に聞こえなくもなく、不快に感じたのかもしれない。クシェルは慌てて謝るもオレアンダーは何も言わなかった。
琥珀の瞳は見慣れた彼のものなのにいつもと違う初めて見るような色を宿している様に見える。
しかしオレアンダーはすっと視線をクシェルを通り越した所へと移す。
「やっぱりすぐに萎れちゃうね」
彼の言葉ですっかり月下美人が萎えてしまったことに気付かされる。その様はまるでうらぶれている乙女のようだった。
気づけば地平線は色が変わり始めていた。
夜明けが近い様だ。
移りゆく空に一夜の夢の終わりを告げられたような気がした。きっとこんな毎日も間もなく終わりを迎える。契約が終われば元の生活に戻る。
この生活も儚いものなのだとクシェルは思い直させられたような気がしたのだった。
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