魔術基礎
意外ときのこ達に任されている仕事は多くクシェルは驚いた。
庭の全般管理、畑の野菜や果実の収穫、樹木の調子が悪ければ、意思を疎通し治療までする。
生命力が漲る植物たちは衰えることは知らないが、その形を整えるほどの魔法はかかっていない様だ。
落葉した葉を片付けたり、間延びした枝や花などを整えたりしている。なにぶんここの庭は広いし慣れない仕事にクシェルは手間取り思いの外時間がかかってしまった。
「あー腰にくるな」
普段しない姿勢で痛んだ腰をさすっていると辺りが騒がしくなってきた。
『クシェル〜』
聞き慣れた甲高い声にクシェルは呼ばれる。
「はいはい」
返事をすれば途端に無邪気なきのこ達が駆け寄ってくる。
庭仕事よりもどちらかというと、きのこ達の遊び相手をしている時間の方が長いかもしれない。
『すべり台楽しい〜』
きのこ達は寝そべったクシェルの身体をすべり台の代わりにし、何回も滑っている。
「そんなに楽しいか?」
はしゃぐきのこ達が可愛くてクシェルは思わず笑いをこぼした。
ここ数日ですっかりきのこ達とも打ち解けて、今ではきのこの小屋のそばに寝袋を敷いて寝ているほどだ。
隣で寄り添って寝てくるきのこもいたりして可愛いし、夜は満天の星を眺め中々悪くない。正直な話クシェルはこの庭での生活を満喫していた。魔法のかかった庭は天候もある程度操れるようなので、毎日晴れている。
朝は中央にある噴水から水が大きく噴き出し庭全体に水が注がれる。その様は実に幻想的だ。
水浴びでもするように、きのこ達も寄ってくる。しかし数が多く、中々皆んなにまで水が行き渡らない。
『水浴びしたいよ〜』
「ほらほらみんな仲良く順番にね」
音もなく放物線を描く水が現れ、きのこ達に涼を与える。きゃあきゃあと喜ぶきのこ達。
気づけば水を撒き続けるオレアンダーの姿がそこにはあった。
『オレアンダーさま〜抱っこしてぇ』
「はいはい、今日もしっかり仕事するんだよ」
意外に世話好きらしい彼はきのこ達の手入れや管理にも余念がない。きのこ達にせがまれれば相手をする姿も何回も見てきた。
思いのほか彼は情に厚い人間なのかもしれない。しげしげとクシェルが彼らを見ているとオレアンダーが視線に気づいたらしい。
「ん?なに?君も抱っこして欲しいの?」
「ふざけんな」
彼のからかうような物言いにピシャリと返すとクシェルは問い詰めた。
「…なあ、あれで賠償は本当に足りるのか?」
ここ数日見ていてわかったことだが、オレアンダーはこの庭や住んでいる住人をとても大切にしている。あれだけで本当に足りるのだろうか。クシェルは気掛かりだった。
「何言ってるの?お金はとっくに受けとったけど?気持ちはわかるけど俺にそんなに貢いじゃダメだよ」
茶化した様に言うオレアンダーだったが、クシェルが真面目な表情をしていたせいか、少しバツが悪そうに告げてきた。
「実は君を野放しに出来ないから、賠償を脅しに使ったんだよ。実験参加してくれるオメガが少なくて困ってたのもあるけど」
「…え?そうなのか?」
クシェルが意表をつかれていると突然彼は思いついたような顔をした。
「君から貰ったお金も、売り払って換金したものも君用の金庫に入ってるから。実験が終わったらちゃんと忘れずに持って帰ってよね」
「そ、そんな」
果たしていいのだろうか。思いも寄らない彼の行動にクシェルが困惑していると、オレアンダーは何か考える仕草を始めた。
「うーん。そうだなあ、恩を感じているなら魔法暴発を防ぐ様に努めてよ」
のんびりとした口調でのたまうも、オレアンダーの表情は思ったよりも真剣だった。
「え?」
「見たところヒートは強い抑制剤を飲みさえすれば対処は出来そうだけど」
クシェルのヒートは重度には変わらないが抑制剤のグレードを上げれば問題なさそうだった。抑制剤の負担額は増えてしまうが致し方ない。
「ただ魔法暴発に関してはまだわからない」
「一回でも番えば良くなるんじゃなかったのか?それにヒートは薬で治るなら番は次からいなくたっていいんだろう?」
事前に聞いていた話が違うとクシェルは狼狽えてしまった。
「良くなる可能性は高いよ。でも落ち着かなければ、他のアルファとまた一時的に番になってもらうことになる」
「そんな…」
「アルファの魔力補正がかかると番のオメガの魔法は安定し易いからね」
しかし実験の規定上、一回の試験が終われば再び同じアルファと番うことは禁止されている。今はデータ回収の段階だから同じ相手との実験は必要とされない。なのでオレアンダー以外のアルファが相手でならなくてはならない。
この仮初の番の魔法はまだ公認されていないので実験を理由にしか使えない制約もあった。
番の本能のせいか、想像するだけでクシェルは気が滅入るようだった。
今回の実験をするにも中々精神的負担が強いのだ。次回もだなんて、そんなことはなんとか避けたい所だ。
「今回俺が受けているのは重症ヒートの報告だけ。確かに目を瞑ることも出来る。でも魔法暴発に関しては個人的に黙っていられない」
琥珀の瞳が強い光を放った。彼は思いのほか正義感が強い所がある。
彼も嫌がらせでこんなことを言う様な人間ではないとクシェルも重々わかっていた。
「なあ、暴発の原因ってそもそもなんだ」
クシェルは縋るようにオレアンダーに問う。
「色々とあるよ。精神的なもの体質的なものフェロモンが関係していたり、あとは魔法の使い方によってもなりやすいよ」
「魔法の使い方?」
オレアンダーは真面目な顔で頷いた。
「フェロモンが関係している場合は番えば大半は落ち着く。それでもダメなら入院治療が必要な場合もある」
「え?入院治療?」
予想外の言葉にクシェルは声を上げた。
「都市部の病院では出来ると思うけど」
都市部に行くだけでも先立つものが必要だ。ノアの学費負担も考えるととても考えられない。
「魔法の正しい使い方、教えてくれないか?」
冷たくあしらわれたらどうしようと思いながらも、恐る恐るクシェルはオレアンダーに頭を下げる。
「そうだね、まずは魔法の使い方を見直せば改善するかもしれない」
予想に反してそれが最善だとばかりにオレアンダーは動き出す。なんとか協力して貰えそうだとクシェルは胸を撫で下ろした。
庭の開けた場所に出ると、二人は暴発の原因を探るべくクシェルの魔法の発動の仕方を観察することにした。
クシェルが手に力を込め魔力を発動させる。
途端にごおっと音を立てて燃え上がるも、波のように揺らぎ乱れ、全く安定しない。今にも延焼しそうだった。
オレアンダーが呪文を唱えると途端に水で消してくれる。
「…前よりひどくなってる?」
クシェルは思わず顔を青ざめさせた。
「変に力が入ってるね。魔法はね、ゆっくり糸を紡ぐようなイメージで練っていくんだよ」
どこからか取り出した教本を見せながら、オレアンダーは指差してくる。
彼が試しに術を発動させるも、手に宿った炎はオレアンダーの指先に吸い付く様に安定して燃え続けている。
「…そんなこと言われても」
クシェルは困惑した。
「ほら、力任せに出そうとすると暴発しやすくなるよ」
「確かに…いつもそうしてたかも」
間違った発動捻出による魔法暴発は別のエレメントを習得することにより治る症例があったらしい。
オレアンダー曰く、それに関する論文も発表されているとのことだ。それを聞いてクシェルは藁にも縋る思いで試してみることにした。
「じゃあ火のエレメントを封じるよ」
オレアンダーがー長杖を取り出し振るうと、クシェルの足元に小さな魔法陣が現れ、光の鎖となって身体に絡みついた。
「なんか、体が重い気がする」
「ずっと解放されてたからね、じきに気にならなくなるよ」
クシェルの違和感が和らぐのを少し待つと次の段階へと入った。
「はい」
「ん?花の種か?」
オレアンダーから植物の種をいくつか渡された。
「魔力をゆっくり込めて、花を咲かせてみてよ」
他のエレメントの魔法を習得する方法は本来使いこなしていたエレメントを封じ漏れ出た魔力で術を発動するところから始まる。
その属性に関する簡単な魔術を何個も使いこなすうちに感覚的に掴むのが一般的だ。
今回は植物なので地のエレメントに関する魔術になる。
「見てて」
オレアンダーが掌に乗せた種に手を翳すと途端に芽が出て葉が伸び、途端ひまわりの花が咲き誇った。
「わ、すごいっ」
クシェルも見よう見真似で集中し種に手を当てるもパンっと弾けて飛び散ってしまった。
「いってぇ!」
「うーん仮にも君は俺の番だから、地のエレメントは習得しやすいはずなんだけど…まあ気長にいこう」
困惑した様子で眺めていたオレアンダーだったが気づけば、またどこかへ姿をくらましてしまった。彼がいないと心許なさを感じるが、やるしかない。
入れ代わるようにきのこ達がやってきて励ましてくれる。
『クシェル〜頑張ろうねぇ』
「ああ」
そこからクシェルの奮闘する日々が始まった。
それから一週間、クシェルはきのこ達と頑張ってはみたものの、どうしても魔法を暴発させ植物を軒並み枯らしてしまう。
きのこ達が何回もお手本を見せてくれるので、気づけばクシェルの周りは多様な花が咲く花畑になっていた。
ここまで上手くいかないとは…クシェルは自分たちだけでは手には負えない問題だと気づきつつあった。
『また枯れちゃったぁ』
『どうしてぇ?』
ここまで枯れてしまうとさすがのクシェルでもガッカリしてしまう。
「俺、やっぱり向かないのかな…」
『ねぇクシェル元気出して〜』
きのこ達はクシェルにぴたりと寄り添うとすかさず慰めてくれる。
そこへひょっこりと現れたオレアンダーが輪に寄ってきた。
まだ進歩しない自分にきっと彼も呆れているだろう。正直目を合わせづらい。
彼が近づく気配がする。何を言われるかとクシェルが戦々恐々するも目の前にくるとオレアンダーは何も言わずに跪いた。
「な、なに?」
彼は暴発でボロボロになったクシェルの両手を包むと、回復魔法をかけ始めた。じんわりと温かい光に包まれたかと思えば掌はすっかり元通りだ。
「…ありがとう」
予想外の彼の行動にクシェルはおっかなびっくりしてしまう。
「めげてないでよ、ここが踏ん張り所でしょ?」
「あ、当たり前だ」
気丈に振る舞うクシェルにオレアンダーは口角を上げるとポンと肩に手を乗せてくる。
彼はそれから少しだけ考えた素振りをすると口を開いた。
「クシェルは元々火のエレメント持ちでしょう?いわゆる『赤の手』ってやつでも不思議じゃないかもね」
「赤の手?聞いたことない」
初めて聞く言葉なクシェルは首を傾げた。
「まあ、一言で言えば園芸に向かない人ってこと。それにここで小火を起こしたから植物達も怯えてるのかも」
クシェルはガックリと項垂れてしまった。自分の持つエレメント以外はこの様な理由で中々習得は難しい。
才能や元からもつ魔力量に依存するし、オレアンダーのように何個も使いこなす魔術師はそうそういない。
「じゃあクシェルに『緑の手』をあげる」
「緑の手?」
聞き慣れない言葉にクシェルは首を傾げた。
「植物と仲良くなる魔法だよ」
きのこ達が作り上げた花畑に座らせられると、オレアンダーは徐に指を回す。するとそばにあったシロツメクサがうねる様に伸び、やがて豪奢な花冠となった。
「出来た」
出来上がった花冠をオレアンダーはクシェルに被せると満足そうに微笑んだ。
「な、なんだよこれ」
『クシェル可愛い〜』
『お姫様みたい〜』
きのこ達は大絶賛で褒め称えてくるが複雑だ。
子供のままごとの様なことをし始めるオレアンダーにクシェルは面食らってしまった。あまりに柄になさすぎて言葉を失う。
「こうすればどの植物もクシェルの友達だよ。その花冠には俺の魔力が込められてるから」
これは付与魔法みたいなものらしい。
試してみてとオレアンダーが掌に植物の種を乗せてくる。
クシェルは深呼吸すると、ゆっくりと魔力を練っていく様をイメージする。やがて手から芽が出て蕾が現れると顔を出すように花開く。
ナデシコ、ビオラ、ひまわりと可憐な花が次から次へと咲き乱れる。
「咲いた!」
『クシェル〜やったねぇ』
『頑張ったねぇ』
掌に乗る花々は今まで見たどんなものよりも美しくまるで輝くようだった。
一つ難関を乗り越えれば、クシェルはたちまちに地のエレメントを使いこなせるようになっていった。その後の花葉術は安定して発動されている。
オレアンダーの言うとおり番の属性エレメントに影響を受け易いのは本当のようだった。
クシェルの掌を覗き込むと彼は満足気に頷いた。
「中々上手く使いこなしてるんじゃない?この調子が続けばコントロールも身につくかもね」
余った種は好きに使っていいよと告げてくると、彼はローブを翻し家の中へと入って行ってしまった。なんだかんだ彼は忙しそうにしているが、隙間を縫って顔をだしてくれていたようだ。
「よしっ!」
『わぁー』
『良かったねぇクシェル』
きのこ達の拍手に包まれ、みんなで手を取り合った。
「ありがとうな、みんな!」
何よりオレアンダーの言葉に励まされクシェルは気分が華やいだ。上手くいけば仮の番も作らずにすみそうだ。
花葉術を使いこなせる様になるとクシェルは植物を生やすことが楽しくて仕方がなかった。
「紫陽花は昨日生やした。今日は百合を…」
図鑑を読みながら花を選定していく。
「楽しそうだねクシェル」
オレアンダーが後ろから覗き込んできた。心なしか彼も楽しそうだ。
「なあ、
クシェルが茶化す様に言うとオレアンダーはくすりと笑いを溢すも難色を示した。
「うーん。強い毒があるんだよね。燃えると毒ガスが出るし。俺は毒に耐性があるけど、君はないでしょ?せっかくだけどやめておこう」
「え?こんなに綺麗なのに?あ、本当だ書いてある」
クシェルは図鑑をよく読むと注釈に小さく書いてあるのを見つけた。
「火属性の人間は特に毒耐性が低いから、毒性の植物には気をつけてね」
彼の言葉に振り向くも気づけばオレアンダーは姿を消していた。彼は時々どこかへいっているようだが。行き先は依然として不明だが。やはりクシェルにとっては変わらず謎の多い男だった。
それからクシェルは仕事を終えれば日がな一日きのこ達と花葉術を使って魔法に勤しむようになっていった。
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