廃人旦那さまのご依頼、拝命いたしました

かこ

01 依頼

 白い鳥から伝書を受け取った旦那さまは気鬱な顔でわたしを見た後、小さくため息をついた。もう一度、伝書に目を通して眉間をもんでいる。

 黙々と仕事をこなす人であることを知っているからこそ、難しい案件なのだと察せられた。

 心待ちにしていた夕暮れ時のひとときだったのに。わたしは並べていた食事を片付けることにする。

 クミンをきかせた水餃子マントゥにヨーグルトソースをかける前でよかった。湯気のたつ米やもち麦、きびの入れた芋のスープに入れて、明日の昼食に作り直そうかしら。


「どうした」


 伝書を近くの蝋燭の火で燃やした旦那さまが腰を降ろした。言葉数が少なくとも、冷たいわけではない。たった一言で心配を匂わせるのだから、むしろ多弁に思える。

 盆に皿を移すのをめたわたしは嫌みにならないよう心がけながら笑顔を形作る。


「ゆっくり食事をしている場合ではないでしょう? 作業をしやすいように、作り直してこようかと」


 きちんと食事を取ってほしいが、仕事の邪魔にはなりたくない。回りまわって睡眠、体調不良に繋がるなんてことがあったら、妻失格だ。

 下げようとした皿の上に旦那さまの手がかざされる。

 意図をくもうと顔をあげれば、神妙な顔に並ぶラピスラズリの瞳とかち合った。何か言おうとして固まっている、たぶん。奥の見えない夜空のようで吸い込まれてしまいそうだ。暗雲でおおわれるように見るみる内にかげるのだから、期待しろという方が難しい。

 まだ何も言葉にされていないのに、逃げるようにわたしは先回りをしてしまう。


「パンに挟んだり、片手で食べれるようにするだけで、粗末にはしませんよ」

「その必要はない」


 きっぱりと言われたが、『食事がいらない』という意味ではない、はず。料理とわたしの顔を交互に見て、口を開きかけて閉じる。まるで、隠し事を言えない子供のようだ。

 恐る恐る、希望を口にしてみる。


「一緒にいただいても大丈夫でしょうか」


 わたしの申し出に、旦那さまは言葉を返そうとして、考え直して、さっきと同じ顔で小さく頷いた。耳に朱がさしたことはわたしの心だけにとどめておく。

 旦那さまは不器用で、正直な人。夫婦になったばかりでわからないことばかりだけど、時間の許す限り歩み寄っていけばいい。頬がゆるむのを感じながら、仕上げのヨーグルトソースをかけた。

 あたたかい料理を食べ終えて、食後のお茶の半分がなくなった頃、旦那さまは決心したようだ。さくさくと音をたてるゴマ菓子ハルヴァをお茶で流し込んで、真っ直ぐに見つめてくる。


「シルフィ、頼みがある」

「はい、何なりとおっしゃってくださいませ」


 旦那さまの目は真剣そのものだ。

 無意識に生唾を飲んでしまう。


「子供の世話を頼みたい」

「子守りですか」


 あんなに悩まれていたにしては、拍子抜けな頼み事だ。手のかかる子なのだろうか。

 ああ、とあいまいに濁した旦那さまは視線を残ったお茶に移し、湖面をのぞむような顔で続ける。


「『朗らかでつつましく、何を言われても波風たてず冷静に判断ができて辛抱強く説き、見守る』ことのできる者を探しているらしい」

「教師として、指導すればよろしいのでしょうか」

「そうだな、そうなると思う」


 旦那さまは自身にも言い聞かせるように何度が頷いた。

 聖人のような振る舞いができるだろうかと不安を覚えつつ、わかりましたと受けることにする。何をおいても、旦那さまの願いなのだから叶えてあげたい。


「あの、世話をする子はどのような方なのでしょうか」


 わたしの問いに答えるものはいなかった。

 太陽が完全に沈んでしまって、旦那さまが星鹿ユルドゥスゲイキの姿になられたからだ。黒い毛並みに白い角を持つ牡鹿は立派な四肢を持つのにいつもの威厳は欠片もなかった。

 言葉は話せないが、姿を変えた旦那さまはひどく申し訳なさそうな顔をしている。


「お話はまた明日ですね」


 わたしの言葉に星鹿ユルドゥスゲイキは肩を下げたように見えた。

 なぐさめるために手をのばしたのに、角で押し返された。旦那さまは自分が触れるのは平気なのに、わたしが触れようとすると恥ずかしがる。なんだか、くすぐったくて笑いを誤魔化すために、食器を片付けた。

 世話をする子が皇子だなんて、夢にも思わずに。


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