さよならを覆す最高の方法 〜熱月(テルミドール)九日のクーデター、その裏側に〜

四谷軒

01 熱月(テルミドール)九日

 一七九四年七月三日、あるいは革命暦Ⅱ年熱月テルミドール九日。

 パリ、国民公会コンヴァンスィヨン・ナシオナーレ


 ロベスピエールは目の前で行われているに、色を失った。

 演説中の公安委員、「革命の大天使」ことサン・ジュストや、かたわらにひかえる五十八歳のパリ・コミューンの自治委員、アントワーヌ・シモンもまた、動揺を隠せなかった。

 それは突然のことだった。


「諸君」


 突如、国民公会の議場から立ち上がったジャン・ランベール・タリアンは、こう叫んだのだ。


「暴君を打倒せよ!」


 わっと叫び出す声がして、反ロベスピエール派の議員たちが演壇に迫り、サン・ジュストを引きずり下ろす。

 やめろ、とサン・ジュストが叫ぶが、ついに議場の床に叩きつけられた。

 代わりに、タリアンが演壇に立ち、おもむろに懐中からナイフを取り出し、それを振りかざした。


「この国民公会を闇色に覆う、暗幕を切り裂け! それこそが……それこそが、さよならオールヴォワールを覆す、最高の方法だ!」


 何を言っているんだ。

 ロベスピエールは歯噛みする。

 さよならオールヴォワールとは、これまでの数々の、反革命分子の「処理」のことか。

 それは必要だからやって来たことだ。

 王政の失政、経済危機、革命戦争……さまざまな災厄が祖国フランスを襲った。

 だから、守りたかった。

 革命を。

 共和国を。

 だから公安委員会を発足し、強権をもって守った。

 守って来た。

 それを。


「暴君だと!?」


 手を挙げて発言を求めるが、議長のデルボワは見て見ぬふりをする。

 このままでは。


「革命は……潰れるぞ!」


 ロベスピエールは同志たちにも発言をうながすが、反ロベスピエール派の「暴君を倒せ」の大合唱によりさえぎられる。シモンも「まさか、を、今」とぶつぶつと呟いて、頼りにならない。

 国民公会は今や大混乱、誰もが興奮状態。

 ロベスピエールは議場に立ちつくした。

 そこへ。


「議長」


 まるで地獄の底から響くような声だった。

 その声は氷のように冷たく、聞く者誰もが寒気に震える。

 そんな声だった。

 議場は沈黙。

 議長のデルボワは、を指し示し、発言を許可した。

 は、あいも変わらず冷え切った声で言う。


「ロベスピエールとその党与を逮捕し、かつ、国家の敵プロスクリプティオとして、法の外に置くことを求める」


「フーシェ!」


 議場の片隅に。

 痩せぎすの貧相な男がいた。

 その男が、声を出していた。

 地獄の底から、声を。


 その男、ジョゼフ・フーシェ。

 これは、タリアンが、彼フーシェの主導するこの熱月テルミドール反動クーデターに、どのように誘われ、そして闇色に覆われた国民公会を覆した結果、どうなってしまったかを語る物語である。

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