2.ブラウの怒り


「いやぁ、助かったよ。空腹と疲れで座り込んでたなんて、情けないな」


 食後のお茶を飲む領主の息子ダニエルが、苦笑しながらカップをテーブルに置いた。その音が合図となったかのように、ブラウがティアナの膝からテーブルの上へと移動する。


「お怪我がなくて何よりです。申し訳ありません、狭い家で」


「こちらこそ、食事まで出させてしまってすまない」


「いえ、そんな、パンとスープだけですし……」


「ブラウも、ありがとう」


「別に」


 ぷいっと横を向いてみせるブラウを、ティアナは「ちょっと」と嗜める。


 歩くのも辛そうだったダニエルを運んだのは、体の大きさを変えられるブラウだった。その気になれば大きなお屋敷ほどの大きさになれるらしいが、この時は人がまたがって乗れるくらいの大きさに変化するだけで事足りた。


「領主様のご子息なのよ。もっと丁寧に……」


「いいんだ、僕がお邪魔しているんだから。ブラウはティアナの聖獣なんだよね?」


 テーブルの上で寛いでいるブラウを見ながら、ダニエルが尋ねる。彼の整った顔立ちに若葉色の目、サラサラと流れる金髪、均整の取れた長身という見た目は人を惹き付ける。ティアナが一目見て領主の息子だとわかったのも、買い物に行くたびに有名な彼の噂を町で聞き、その外見の特徴をよく知っていたからだった。


「はい。子供の頃からずっと一緒なんです」


「へぇ、そうなんだ」


「……あの、ダニエル様は、どうしてあんな場所に……?」


「ああ、まだ話していなかったね。実はあのあたりに悪霊のようなものが出現したと、父に報告が入ったんだよ」


「悪霊!? さっき見回った時には何もいなかったのに……!」


 ダニエルが座り込んでいたあたりの東区域は、冒険者たちがダンジョンへ出かける際の通り道に近い。おそらく通りかかった冒険者が何かを見たのだろう。


「見たのはギルドに所属している冒険者で、明け方だったそうだ。まだ太陽が昇り切っていない時だったと聞いている」


「明け方……」


「父から、まずはおまえが確認に行けと言われてね。正体をある程度つかんでおいて、神殿から人を呼び寄せるつもりらしい」


「そうでしたか……。明け方に出現する幽体なんて、聞いたことがありません。もし悪霊になってしまった幽体なら、清導せいどうの光も珠言しゅごんも、効果が薄いかもしれません……」


 ティアナの清導の光と珠言だけでは、ことさら強い恨みや思念を持つ幽体――世間では悪霊と言われている――を天へ導くことは難しい。が、ティアナはそれをこれまでに何度も成してきた。ブラウ以外に頼れる者などいるわけがない、自分で何とかするしかないのだ。


「明け方という時刻に、何か強い恨みでもあるのかもしれないが……何にせよ、確認しておかないといけないと思って、あのあたりをうろうろしていたんだよ」


「わかりました。私も行きます」


「ああ。墓守のきみに出会えて幸運だった。僕は炎魔法を使うことができるんだが、さすがに魔法だけでは倒せない。きみの清導の光を使えば少しはおとなしくなるだろうから、おびき寄せて……」


「倒す? そんなこと、やめてください」


「……何故? 早く倒して、神殿に連絡をする方がいいだろう?」


 きっぱりと言い切ったティアナに、ダニエルが訝しげな視線を向ける。


「炎などの攻撃を加えると、幽体は天に昇ることができなくなります。そうなってしまうと、幽体は一旦消えても次に出現した時にもっと大きな恨みを抱えて人を襲うことになりますから」


「……それは、わかってはいるが……、そのために神殿から人員が……」


「大きく膨れ上がった恨みなんて、誰だって持ちたくはないはずです。幽体になった本人が一番辛くて苦しいんです。そんな苦しみ、味わってほしくない……!」


「だからって、そうしておかないと被害が……! もう、すぐにでも明け方になるんだぞ!」


「……私が、何とかしてみせます。大丈夫、髪も伸びてきましたから」


 ティアナはまっすぐにダニエルを見据え、断言する。


「……髪、って……」


「あのさ、ダニエル、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 強い意思を持つティアナの眼差しにダニエルが気圧され始めたところで、テーブルの皿に頭を預けているブラウが口を挟んだ。


「……何だい?」


「墓守のティアナがここにいるって領主は知ってるはずだけど、聞いてなかった?」


「あ、ああ、そうだな。聞いてはいなかった。会えてよかっ……」


「ティアナは、きみたちの住む町を追われてここに来たんだよ」


「……追われて?」


 ティアナが「そんなこと今は……」とブラウを止めようとするが、彼の口は止まらない。頭を預けていた皿から外し、ダニエルの目の前に移動してしゃべり続ける。


「ティアナの両親も墓守をしていたんだけど、二人とも十年前に街道の落盤事故に遭って死んだんだ。それからは、引き取られた親戚の家で『墓守の子なんて気味が悪い』っていつも言われて……」


「いいのよ、食べさせてもらえただけで感謝してるんだから」


「僕もその家では嫌われてたけど、ティアナが服のポケットに入れて守ってくれた。ティアナはそうやって誰でも守ろうとする。今だって、意地悪な親戚たちを僕の悪口から守ろうとしてる。でも、ティアナを守る人なんていないんだ」


「そんなこと……、ブラウがそばにいてくれるじゃない」


「そりゃそうだよ。十八歳で成人したらすぐに家を追い出されて……、しかも町を出てこんな掘っ立て小屋に住めだなんて。もう二年も前だ。『領主様の命令だから』とか何とか言ってたな。それからは、たまに領主の使者だか誰だかが墓を管理できているかを確認しに来るだけ。僕がいなかったら、完全に一人ぼっちじゃないか」


 次から次へと飛び出してくるブラウの言葉を、ダニエルが真剣な表情で聞く。時々驚くような表情を見せたりはするが、終始無言を貫いている。


「私にはお父さんから教わった清導の光と珠言があるし、町よりここの方が性に合ってるのよ」


「どんなに荒ぶった幽体だって、ティアナは守ろうとする。自分の身を挺してまで、天に送ろうとするんだ」


「……身を、挺してまで?」


「そうだよ。ティアナの髪が何でこんなに短いのか、わからない? 幽体……悪霊を送る時に、持っていかれるからだよ」


 天に昇らず墓にとどまろうと抗う幽体に清導の光と珠言を使い続けると、ティアナ自身の何か、例えば体の中でも特に魔力を帯びた髪を持っていかれる可能性が高いのだ。ティアナはそれを利用し、どんな幽体でも天へと送り続けている。


「髪で満足するんだから、安いものよ。どうせまた伸びることだし、切る手間が省けるじゃない」


 小さく微笑んでみせるティアナに、ブラウが大げさにため息をついた。


「ほら、そうやって……。でもね、僕はそんなティアナだから一緒にいるんだ。ティアナという墓守の存在も知らなかったくせにティアナのやり方を否定するなら、今すぐここから出ていってほしい」


 ブラウの薄青色の瞳に射抜くように見つめられるダニエルは、しばらくの沈黙のあと、軽く息を吐いてから口を開く。


「……わかった。ただし、本当に危ないと判断したら……」


「幽体はみんな、もともと人間なんです。大丈夫ですよ」


 ティアナの柔らかな微笑みが自分を鋭く刺し貫いたような気がして、ダニエルは右手で軽く胸を押さえた。

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