墓守のティアナ

祐里

1.ティアナの導き


「うっ、寒い」


 樫の木から枯葉が落ちる音だけが聞こえる静粛な夜、ティアナは小さな家から外へ出た。妙齢の女性は髪を長くするべきという世間の風潮からは外れた、肩より少し長めの栗色の髪を揺らしながら扉を閉める。


「だからコートがいるって言ったじゃないか」


「んー……あれ、まだほつれたところ縫ってないのよ」


 小柄な体をぶるりと震わせながら、仕事へと急ぐ。話し相手は青い角鱗かくりんを持つ小さな蜥蜴とかげだ。鬱陶しそうに前髪を触るティアナの肩の上で、呆れたように半分目を閉じている。


「今日はどこからにする?」


「そうね……、北からかな。ブラウが見たのって北区域だったのよね?」


「うん」


「……氷の輝きを纏いし灯火よ。漂う冷気を宿し、煌めく光となりて我の行く先を照らせ。氷角灯アイス・ランタン


 簡単な魔法文句を詠唱し、ティアナは氷角灯アイス・ランタンを発動させた。四角い透明な氷の器の中で水色の炎がゆらゆらと揺れ、ブラウの体が弱く光を反射する。そのまま彼――ブラウ曰く、オスらしい――と一緒に仕事場である墓場の北区域へ向かうと、ティアナの目に、暗闇に浮かぶ人型の幽体が映った。


「ほら、いただろ」


 ブラウが自慢げに言う。人間の目では夜の暗い中でぼんやりとしか見られない幽体を、ブラウははっきりと見ることができるのだ。


「……あの子ね」


「口が何かを伝えたがってるように見えるよ」


「そう……。清導せいどうの光と珠言しゅごんを、受け止めてもらえるといいんだけど」


 墓地には、幽体が時々現れる。現世に大きな恨みを持っていたり、生前にやり残したことがあるなどの強い思いが核となり、天に昇れなくなった魂だ。放っておくと人間に取り憑くなどの被害が出るようになるため、墓守であるティアナはそんな幽体たちが正しい道に進めるよう、手伝いをしている。


「何か、未練があるのね」


 ティアナが前髪を片手でかき上げると、瑠璃色の瞳があらわになった。視線の先にいる青白い幽体はまだ何かを言いたそうにしているが、ティアナの瞳が金色を帯びていくにつれて温かみのある光が大きく広がり、そこへ吸い込まれるように移動していく。


「そう、そうよ。……やり残したことがあるのかしら。でももう、あなたの居場所はここではない。大丈夫、安心して。私が送るわ」


 ティアナの言葉に応えるように、幽体が光の中で跳ねるようにぴくりと動いた。


「では、お伝えします」


 そう言い終えると同時にティアナの瞳が強く光り、幽体が無数の金色の粒子へと変化する。


「あなたが生きたことに、感謝します。あなたが次のせいで、もっと温かな光をつかめますように」


 金色の粒子は、きらきらと輝きながら上昇を始めた。幽体が清導の光と珠言を受け止めた、つまり、ティアナが心を込めた珠言は成功したということになる。天へと昇っていくのを、一人と一匹は神妙な面持ちで見続けた。


 魔法の詠唱文句は、必要とされる魔法媒体の宝石を持っていても、口先だけだと効果が現れない。きちんと詠唱文句の意味を理解したうえで唱えないといけないのだ。同じように珠言も口先だけでは効果がないのだが、魔法と違い、思ってもいないことを珠言として口にすると、呪いのように言った本人に災いが起きるとされている。


「……ふぅ。素直ないい子だったわね」


「そうだね。このまま見回り続ける? それとも、少し休む?」


「続けるわ。寒いから早く終わらせたいの」


「……ほつれてるところちゃんと修繕しようね、ティアナ……」



 ◇◇



 翌日、ほつれた箇所を縫い合わせたコートを羽織り、ティアナはいつものようにブラウと夜の墓地の見回りに出た。


「今日は迷える幽体はいないようね」


「…………」


「ブラウ?」


「幽体じゃないんだけど、東区域に何かいるような気配が……」


「幽体じゃない? 見に行かないと」


 一通り見回り、あとは帰るだけというところでブラウが何か察知したようだ。墓守としては墓荒らしにも対応しないといけないため、ティアナは気を引き締めた。


「泥棒じゃないといいんだけど」


「あ、あそこ、柵の脇に」


 ブラウが示す方向の暗闇を目を凝らして見てみるが、何かが動いているように見えるだけだ。更によく見ようと、ティアナはなるべく足音を消しながら少しずつ近付いていく。


「……動物、かしら……」


「たぶん人間じゃないかな」


「人間? 墓荒らしだったら追い返さなくちゃ」


 中級以上の魔法を使う場合に必要な魔法媒体のラピスラズリがはめ込まれたブレスレットを経由して、ティアナの視線は再び黒くうごめく何かに移動した。


「……誰? そこで何を……」


「あ……、これは、その……」


 ティアナの呼びかけに小さく反応する声は、男性のもののように聞こえる。


「怪我でもしているの?」


「だ、大丈夫……」


 そろそろと近寄ると声の主が氷角灯アイス・ランタンの光が届く範囲に入り、ティアナは息を呑んだ。


「もしかしてあなた、領主様の……」

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