死後の世界を考えながら___

宛名 風

いこう

 死後の世界はどうなっているのか。仏教では輪廻転生する、浄土に行くと考えられ、またキリスト教には天国と地獄という考え方がある。学校から歩いて帰る途中友人が唐突に口を開いた。

「死後の世界はどうなってると思う?俺は現世信じた死後がそのまま死後の世界になるんじゃないかと思う。」

友人はいつも何食わぬ顔で抽象的なことを話す。急に聞かれても答えにくい。まだ自分の意見をはっきり持っていないが、その意見は腑に落ちた。私は矛盾点を探して、

「なるほど、それは天国と地獄を信じている人はどっちに行くか自分で決められるってこと?閻魔がいて客観的に人の善悪を判断できるっていうのも、その人が作った世界だからなんか変やな、、、」

と尋ねた。

「本人の罪悪感次第、というか自覚次第だよ。殺人犯は客観的に見たら大罪人だけど殺された娘の仇を打ったのかもしれない。俺は人を殺したことはないから言い切れないけど、もしそうなら罪悪感は残っても『決して悪いことをしたわけじゃない当然の報いだ。』って自分に言い聞かせる。だとしても結局罪悪感はあるし、心のどこかではその娘を殺した犯人にも家族がいるって考えて地獄に進むかもね。深層心理っていうのかな。娘の恨みを晴らそうとするような心を持っているなら、こうやって俺たちの感覚に沿った末路が待ち受けている。」

「心を持った人ってことは、、、快楽殺人犯はなんの罪の意識も感じず天国に昇っていくっていうのか?」

「そうかも知れない。不公平だよ。しかも地獄だってその人の考えた地獄だから文字通り想像を絶する苦痛なんてないはずだしな。」

この世界に神がいたほうが妥当なのではないかと思った。これは快楽殺人者が地獄に行かないと彼は救われないという思いからだから、全く論理的ではない感情論だ。むしろ死後の世界で、不公平を突きつけられることの恐怖を神という絶対的な存在がサイコロを振っていたとしても受け入れようとしていた。死んだ前後関係なく不公平なことは舞い降りてくるが、それを全て神の仕業とするなら人生は運に左右され、努力はくじ引きを引く回数を増やしているだけなのかもしれない。そうであるならまだ努力は報われる可能性を秘めているが、その当たりを引ける人も最初から決まっているとしても全く不思議ではない。ただどちらにせよ努力をしなければ当たりを迎えに行くことさえできない。多かれ少なかれ努力というのは人生において必用事項なのだ。彼はなにか考え込んでうなずき、黄色い線の外側に立っていた。

「電車が通過します黄色い線の内側に立ってお待ち下さい。」

というアナウンスが聞こえた頃に、

「もし絶対的な神様が天国地獄を振り分けるなら、キリスト教の唯一神ゼウスは人間一人の善悪を判断する退屈な仕事だろうけど、神道なら『海にとってはいいことをした。』 『山を切り開き太陽光パネルを置いて生態系を破壊したじゃないか。』なんて神々が喧嘩して日本神話2が始まりそうだね。」

彼の袖には助けた猫の毛が、反対の手には賽銭箱の横に落ちていたお札が握られていた。


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