第15話 ざまあの後
あれから1週間。
日中は出勤でアフター5はイリアにこちらの世界のレクチャーと、ゆっくりできる時間はなかった。
土日はクズ課長の件で弁護士の先生とお出かけで休みにならなかったと言っておこう。
ああ、奴はもう課長じゃなかったな。
クズ元課長と呼ぶのも違和感があるし、そもそも社員ですらなくなったんだっけ。
俺や山川を初めとする社員や元社員から訴えられたことで会社への追及が及ぶことを恐れた上層部がクビを告げたのだ。
懲戒処分でも生温いと一部で声が上がったものの慰謝料回収が困難になるため依願退職ということになった。
もちろん奴には一銭も残りはしない。
むしろ被害者全員に慰謝料を支払わねばならないんだからマイナスだ。
しかも一括で支払いをさせたから奴は膨大な借金を背負うことになった。
俺が依頼した弁護士は色んな伝手があるんだなと感心させられたよ。
「凄いですね、先生」
元課長だったクズ男を残して貸金業者の所有するビルから出てきた俺は同行していた弁護士の先生に声をかけた。
「何がです?」
「あんな大金をポンと貸し付ける金融業者と知り合いだったとは思いませんでしたよ」
「いやいや、たまたま同級生だったというだけですよ」
「そうだったんですか」
とはいえ金額が金額だ。
「とてもあの男に返済できる額じゃないでしょう」
再就職が決まっても奴のスキルでは今より条件が良くなるとは思えないし。
お得意の口八丁で給料の良いところに潜り込めても、すぐに化けの皮がはがれるはずだ。
「ああ、御心配なく」
先生は涼しい顔をしてそんなことを言うが俺には何がなんだかわからない。
「彼は事務所に残されたでしょう」
「そうですね」
「これから己の身ひとつで稼げる次の職場へ連れて行かれるからですよ」
先生は皮肉さをうかがわせる意味深な笑みを浮かべながら言った。
「そうなんですか?」
「ええ、そうでもしないと彼の借金はいつまでも減りそうにないですからね」
話を額面通りに受け取れば、貸金業の社長は借金返済の助けとなるよう仕事の世話をしてくれる面倒見が良くて懐が深い人物ということになるのだろう。
そんな訳がない。
社長を始め幹部従業員は明らかにその筋の人にしか見えなかったからなぁ。
クズ男が涙目で震え上がっていたくらいだし。
現役ではないのかもしれないが深く知ろうとはしない方が良さそうである。
「心配なさらずとも社長たちが逮捕されるようなことはないですし能登さんに累が及ぶようなこともありません」
「はあ」
「あなたの元上司は少しばかり過酷な環境の職場に行くことになりますが絶対に逃げられませんので逆恨みからの逆襲もないでしょう」
「そうですか」
「おや、能登さんは何も聞かないのですね。こんなことは初めてです」
「余計なことを知りたいとは思いませんよ」
月曜になれば慰謝料は間違いなく振り込まれることがわかっているのだ。
奴がどういう目にあうかなんて話を聞く必要などないし聞きたいとも思わない。
「君子危うきに近寄らずって言うじゃないですか」
「なるほど」
再び先生は意味深な笑みを浮かべた。
「それは賢明な考えだと思いますよ」
やっぱり……
そんな感じで精神的にはドッと疲れたけどクズ男との一件はどうにか片がついた。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
月曜からは平穏な日常を送れるようにはなったものの残念な発表もあった。
山川は一度も復帰せず会社を辞めることになったのだ。
送別会も本人が鬱から復調しきれていないということで行われることはなかった。
それを思うとクズ男がしでかしたことは償いきれないほど罪深いのだが田舎に帰って農業をするという話を聞いて少しだけ安心した。
田舎の環境が山川を癒やしてくれるのではないかと思ったからだ。
いつか快気祝いの平社員同盟会を開くことができることを切に願う。
それから山川の今後を聞いたことが切っ掛けとなり俺もこのままで良いのかと考えさせられた。
目の上のコブとも言うべき元上司がいなくなった以上、会社に強い不満がある訳ではないのだけど。
給料が特に良い訳ではないものの残業代は出るし貯金もできている。
繁忙期でもなければ休日出勤することはないし、しても代休で消化できる。
もちろん普段は週休2日だ。
ブラック上司はいたがブラック企業ではないと言えるだろう。
それでも仕事を続けるか否かを考えるようになったのは異世界に行けるようになったことが大きいと言える。
今のままだと時間の都合上、異世界を探索したり冒険したりというロマンのある生活は望むべくもない。
完全にフリーでないと、ちょっとしたことで対応できなくなるからな。
だからといってセミリタイアできるほどの貯金はない。
今回の慰謝料を含めてもだ。
せいぜい何年かの猶予ができる程度だろう。
「それで引っ越すのですか? 引っ越しにも費用がかかるようですが」
イリアに相談すると、そんな風に言われた。
急速に現代日本の知識や常識を吸収しているよな。
向こうの世界の魔導師って高スペックなんじゃないのかって思った瞬間だった。
「俺は他の人より安くすむかな。荷物はないも同然だから」
「それでも引っ越す理由にはならないですよね」
「近所の住民に面倒なオバさんがいるだろ」
「あー、あの人ですね。憶測をさも見てきたかのように話す女性」
「そう。通称スピーカーオバさん」
「私は話しかけられませんでしたが──」
イリアが金髪セミロングの碧眼で典型的なアングロサクソン人に見えるからだろう。
日本語しか話せませんとばかりに避けていた。
「カイさんは何度も絡まれていましたね」
会うたびにイリアの素性を根掘り葉掘りと詮索されましたよ。
プライバシーを盾にしてもしつこいったら。
「あの人、待ち伏せまでするからなぁ」
「それは……、勘弁してほしいですね」
どうやら理解してもらえたようだ。
「それと家賃を払わなくていいように家を買おうと思っている」
贅沢を言わなければ一括購入できるお金はあるので、買ってしまえば住宅ローンは不要になる訳だ。
メンテとか税金とか光熱費などで費用がかかるから完全に無料とはいかないんだけどね。
でも、イマジナリーカードで節約できるようにするつもりだから誰よりも出費は少なくできるはず。
「では、何を迷うのですか?」
「異世界とこちらで二重生活をしようと思うと今のままでは時間が足りないが仕事を辞めると食い扶持が稼げない」
「食糧の確保は向こうですれば良いのでは?」
言い回しが良くなかったようだ。
俺としては諸経費をすべてひっくるめたつもりで言ったのだけど、食費だけだと受け止められてしまったらしい。
実際、言葉の意味はイリアの解釈の方が正しいのだし。
「他にも光熱費とか色々とお金が必要になるんだよ」
「こちらの世界は不便ですね」
「便利なものを利用して生きていこうとすればね」
隠者か仙人のように文明の恩恵を拒否して生きていくつもりはない。
「確かに夜でも簡単に明るくすることができますし、清潔な水が使い放題です」
未だに信じられないとイリアが頭を振っている。
まあ、他のあれこれもあってのことだけど。
「これだけ便利なら向こうへ行くメリットはほとんど無いのでは?」
「理屈じゃないんだよ。見たことのない世界を知りたいし冒険したいんだから」
イリアには理解しがたい話だとしても、ここを誤魔化してしまうと俺が俺でなくなる気がするんだよな。
道理が通らずとも押し通す。
「そうですか。では、お供しないといけませんね」
あっさりした応対にズッコケそうになるほど拍子抜けした。
恩返しの範疇ということなのだろう。
「そのための時間が現状では確保できないんだよ」
「なるほど。仕事を辞めれば時間を確保できるものの便利な生活に支障をきたすということですね」
「そ。ジレンマに陥っちゃう訳だ」
「どうしようもないのでは?」
「それな」
妄想の中でなら解決策はあるんだが。
世界間を行き来しながら互いの世界でレアな品物を商材にして商売するってラノベとかでありがちな方法だ。
冒険だけじゃなく、こういうのにも憧れがある。
理屈じゃない。ロマンなのだ。
ただ、現実的に考えるとね……
こちらから卸すことについてはともかく、向こうから仕入れてくる場合は出所を明かせないから売る物や方法が限られてしまう。
そうなるとガッポリ稼ぐのは難しいだろう。
現実は厳しいよな。
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