【KAC20241】猛獣のような乙女

熟々蒼依

壊すか、壊されるか

 岸田宗二には三分以内にやらなければならない事があった。それは、屋上で全裸になっている伊藤亜衣に、何とかして服を着て貰い追い出す事だった。


「あーあ。やっちゃったね、先生」


 滝のような汗を流し、全身を硬直させたまま微動だにしない岸田。


 岸田は今日この高校に来た新人教師でありながら、1Bの担任を任された将来有望な教師だった。


 しかし、職員室で先輩教師とのじゃんけんに負けたのが運の尽きだった。岸田はその先輩から夜の巡回業務を任され、外部の警備員が来る午前0時までひたすら校舎を歩き回るハメになった。


 時刻は午後11時57分。最後に屋上を確認してから警備員室にいる警備員にバトンタッチをしようとしていた岸田だったが、ドアを開けた瞬間、全裸で踊る亜衣の姿を見かけてしまう。


 しかも亜衣は岸田が来た事に瞬時に気付き、踊りを止めて手招きする。


「来て」


 逆らえない、と悟った岸田は言われるままに数歩踏みだし……そして今に至る。


「お気の毒。まさか赴任初日に、自分が担当するクラスの生徒の露出現場を見てしまうなんてね」

「伊藤、お前服は――」

「亜衣って呼んで」

「…………亜衣。服は何処にやった?」

「私のすぐ後ろにあるよ。気になる?」

「今すぐそれを着て、校門を出るんだ。今ならまだ、警備員に捕まらずに済むから」

「嫌だね。今日は裸のままここで寝て朝を迎える。月に一度はそうしないと、私は自分を抑えられなくなるの」


 岸田は額の汗をハンカチで拭い、それを地面に投げ捨てる。


「アハハハハ! いくら何でも焦りすぎでしょ! まー気持ちは分かるけど」

「頼む、俺の気持ちが分かるなら早く服を着てくれ。あと三分以内にお前を帰さないと、俺を探しに来た警備員がここに来て――」

「全てが終わる、って事ね。なら……」


 突然、亜衣は岸田に向かって駆け出す。情けない声を上げて驚いた岸田はあっという間に押し倒され、亜衣に覆い被さられる。


「どうせ破滅させるなら警備員さんより、貴方がいいなあ」

「何を――」

「私がここで露出してるのはね、自分を満たしたいからだけじゃ無いの。運悪く私に会ってしまった男の人の一生を……壊したいからなの」


 岸田は絶句し、荒く浅い呼吸を続ける。


「露出に目覚めた中1の冬からずっとやり続けて……少なくとも、20人の男性教諭を壊した。自分の人生が終わったと悟った時に浮かべる表情は、どんな顔の、どんな歳の人の物でもたまらなく美しい!」

「……」

「貴方の顔、格好良くて素敵。そんな貴方の終わりの表情は、きっと今まで私が見てきたどんな物よりも美しいに決まってる! だからお願い! 私のために終わって!!」


 体を密着させ、両手を岸田のうなじに回して撫でる亜衣。しばらく押し黙っていた岸田だったが、ふと大きな溜息をつく。


「……捕まえた」

「へ?」


 岸田は両手を地面につき、無理矢理起き上がる。それから姿勢を崩して尻餅を着きそうになる亜衣の腰に手を回し、亜衣の体を支える。


「山井っていう男の事、覚えてるか? お前に会ったせいで刑務所行きになって、一生日雇いバイトしか出来なくなった憐れな男のことだ。俺はな、お前にそいつの復讐をしに来たんだよ」

「そ、そんな!!」

「俺はな、その気になれば公然わいせつ罪でお前を突き出すことも出来るんだよ。未成年のお前が実刑を受けることはまあ無いだろうが……逮捕されたとありゃ、学校でもっぱら噂になるだろうな」

「やめて……ごめんなさい、許して……」


 亜衣は地面に膝から崩れ落ち、両手で顔を覆ってすすり泣きし始める。


「今この瞬間までは是が非でも警察に突き出す気でいた。だが……ダメだな、誰かの人生を壊す真似なんて俺には出来ん」

「せ、先生……」

「家族以外の人間はどこまで行っても他人だが、それでも他人の人生を引っかき回すのは嫌な物が残る。お前はいつか、多くの人間を台無しにした罪の報いを心で受ける事になるだろうさ」

「……」


 顔から離した手を地面につき、うなだれる亜衣。そんな亜衣の頭を、岸田は優しく撫でる。


「だからお前は、壊した人の分まで人の役に立て。お前がこれから積む善行が、きっとお前の罪の意識を和らげてくれる。誰かを壊すために使っていた自分の時間を、今度は誰かを助けるために使え」


 亜衣は顔を上げ、少し呆然とした後に頷く。


「そうか、よかった。なら早く服を着て、3A教室の前にある非常階段を降りて家に帰れ。そして、もう二度とここには来ないように。先生との約束だ」

「はい!」

「良い子だ」


 急いで服を着て、ドアを開け屋上を去る亜衣。やがてバタバタと聞こえていた足音が完全に無くなると、岸田は大きく息を吐いて仰向けに地面に倒れる。


「た、助かった~……アイツが壊した人間の名前を覚えてるヤバイ奴じゃなくて本当に良かった。何とか突き通せたぞ……」


 深呼吸を何度もして、高鳴る心臓をなんとか収めようとする岸田。


「……しかし、その場しのぎの嘘で一人の生徒を救えちまうとは。思わぬ収穫だ、明日からも自信を持ってやっていけそう」


 その時、屋上のドアを開けて警備員の男が入ってくる。


「岸田教諭、交代の時間ですよ」

「ああすみません、ついぼーっとしてました」

「は、はあ。ところでさっき誰かの足音がしてたんですが、何か心当たりは?」

「さあ? バッファローでも居たんじゃないですかね?」

「何言ってんですか。とにかく、巡回の時間は終わったので早くお帰り下さい」


 岸田はゆっくり立ち上がり、屋上のドアノブに手を掛ける。


「……この年頃の女子ってのは、その気になれば全ての男を破壊して進むバッファローになれるらしい。そいつが群れのようにいる教室は……俺にとっては戦場みたいなものだ。明日からも壊されないよう、気を引き締めないとな」


 そう言い残し、岸田も屋上を去るのだった。

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【KAC20241】猛獣のような乙女 熟々蒼依 @tukudukuA01

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