プラネットガール2 ~海の上の宇宙子~

九里方 兼人

プロローグ

 僕の目の前には男の人が倒れていた。

 見た目三十代くらい。

 渋めのおじさんだが、明るくひょうきんで、話が上手くて、女性に人気がある人だった。

 それが今は中身のこぼれたワイングラスを手に、自らがぶちまけた赤い液体に顔を埋めるようにして倒れている。

 その顔は、少し前の明るく朗らかな印象とは真逆に苦痛に歪んでいることだろう。

 大勢が息を呑むフロアに僕は立ちすくみ、隣に立つ『宇宙人』とあだ名される少女を見た。



 宇宙人と呼ばれる少女――空湖は僕の視線を受けるとにぱっと笑い、片方の八重歯の無い歯を見せる。

「うーむ。青酸性の薬物による中毒死」

 倒れた男性に顔を近付けた老人が言う。

 この豪華客船に乗った時に「何かあった時はこの先生がいるから大丈夫」と紹介されたお医者だ。

 ホントに青酸で死んだのなら匂いを嗅いだら危険ですよ――と言いたかったけど、差し出がましいという思いもあって動くことができなかった。

 ワッ、とフロアにいた女性の一人が泣き崩れる。

 この男性と仲良さそうにしていた人だ。

 恋人だったのだろうか。

 医師はリトマス試験紙のような物をこぼれたワインにつける。

「ワインに毒を入れられたようですね。これは殺人事件。そして犯人はこの中にいるようです」

 ワイングラスを持つ人達が一斉にどよめき、手に持ったワインを見て胸に手を当てる。

 舌を出し、吐き出しそうな素振りをする人達に医師は静かに言った。

「青酸は即効性のある毒。今平気な人の物に毒は入っていない」

 その言葉に皆安心した顔をするものの、心中穏やかでは無い様子だ。

「一体、犯人はどうやってワインに毒を入れたのか……。これはミステリーだ。皆さんの中に探偵はいらっしゃいますか?」

 医師はフロアに並ぶ一堂を見回すが、皆遠慮がちに視線を泳がせるだけだ。

 そんな中、僕の隣に立つ少女、空湖がまたにぱっと笑う。

「む? お嬢ちゃん。何か分かったのかい?」

「この中にワインを飲んでいない人がいる」

 グラスを持つ人達は互いに持つグラスを見合う。

 量が明らかに少ない人もいるけど、一口くらいじゃ量の差は分からない。

 グラスを並べ、ワインを注いで互いに乾杯し合って割と直ぐに倒れたんだ。

「あの人」

 空湖は真っ直ぐに指す。

 指された若い女性は狼狽ろうばいするように言う。

「わ、私じゃない! 私はただ香りを十分に楽しんでから飲む習慣があるだけよ」

 尚も私じゃない、と唱え続ける女性に僕は言葉を挟む。

「でも空ちゃん。それだと、誰が毒入りワインを飲むか分からない……無差別殺人ってことになるんだけど」

 ワインに毒を入れ、誰がそれを取るか分からない状況では自分に当たることもある。

 だから唯一ワインを飲んでいない人が犯人だという可能性も、あるにはあるけど……、そんな結末って。

 そもそも動機は何なの?

「この中の人を無差別に殺す理由は?」

「ないよ」

 空湖は僕の疑問にアッサリと答える。

「犯人にはそんなことをする理由がない。でも容疑者からは外していいんじゃないかしら。こういう状況なら自分も疑われないように飲んでおくもんじゃない?」

 空湖が歯を見せて笑うと、取り巻く人達は一様に感心した様子を見せる。

「ここは君に任せた方が良さそうだ」

 医師はそう言うと、ホームズが被っているような鹿撃ち帽と虫眼鏡を取り出して渡す。

 空湖は帽子を被ると僕にいつものような笑顔を向けた。

「それじゃコウ君。得意の状況の整理からやってくれるかしら」

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