バッファロー・戦国時代・カネ

パルパル

第1話「二つに一つ」

 木下藤吉郎きのしたとうきちろうには三分以内にやらなければならないことがあった。


 るか、捨てるか──。

 決断の時は刻一刻と迫っており、この期に及んではらの決まらぬ己に苛立ちさえ覚えながら、藤吉郎は迷っていた。


 得るか、捨てるか。二つに一つの答えを一刻も早く決めねばならぬ。

 問答の相手となる男は藤吉郎が知る限り、今世において最も人の感情に敏い武士である。弁舌に関しては人並み以上の自信を有する己とて、舌先で避けることの適わぬ状況であることはとうの昔に分かっている。


 を前に、吹かば、斬られる。藤吉郎にはそれだけのことを仕出かしたという罪悪感があったし、同時に、真情を訴えたならから限りない恩寵を受けることができるという達成感も胸に秘めていた。


 二者択一の岐路が、目の前にある。


 正解を選べば、武士にとって何物にも代えがたいものが手に入ろう。不正解であれば忽ちの内に全てを失うことは明白であり、「木下藤吉郎」の天下がこの問答一つに懸かっていると言っても過言ではなかった。


「次ぃ。木下藤吉郎、参れ」


 俺を呼ぶ声がする、と藤吉郎が勘付くと同時に、ねじ切れそうなほどに痛む頭がずきんと音を立てて鳴った、ような気がした。


 得るか、捨てるか──。この数時間で何度思い浮かべたか分からぬ二択を、いま一度だけ脳裏に浮かべ、藤吉郎は声がする方へ向かった。






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 永禄3年の春。藤吉郎は配下の将を集め、思案を募っていた。


「二つに、一つじゃ……」


 はぁぁ、と聞こえよがしのため息を吐いて藤吉郎は周囲を見渡した。

 木下藤吉郎。戦国時代に生き、数え年で二十二歳になろうかというこの男。尾張の有力武将である主君・織田上総介三郎信長おだかずさのすけさぶろうのぶながに仕える者として、何かしらの問題を抱えているらしかった。


 藤吉郎の脇には、刀傷を身体の端々に覗かせる強面の男共が居並んでいた。


 右手には、馬に跨れば軍中随一の小松三郎辰雄こまつさぶろうたつおがおり、その隣に槍働きに誉れ高い落合太郎博満おちあいたろうひろみつが座る。


 左手には不惑の年を越えてもなお勇猛な山本次郎昌広やまもとじろうまさひろが控えていた。山本の隣にいるのは、彼と競い合う若き豪将、川上四郎憲伸かわかみしろうけんしん。他にも、矢野某やのなにがし関川某せきかわなにがしなど……木下藤吉郎の従える指折りの将が居並び、彼のため息を聞いていた。


 藤吉郎は、何か重た~い仕事を迎える時は、必ず諸将を集めて軍議へはかることにしていた。大きな戦を見越した時はもちろん、城の普請工事や、大口の商人スポンサーの接待など。とにかく、イカつい正念場シノギが控えている時には躊躇なく部下たちを足下へ呼びつけた。


 軍中が忙しない時でも招集を図るから、配下の将が時折、

「軍議軍議てwww 今どきそういうの流行んないスよw」とか、

「てかリモートでよくね?w」などの嫌味をぶつけてくることもあったが、藤吉郎は構わなかった。配下の意見を聞き、耳を傾けた上で軍の方針を決断したという建前が大事なのだ。


 実際、こういう時は大抵、彼自身が己が腹案に従って裁可することになっている。それでも彼は必ず配下の有力者が提示してきた案を聞き入れ、いかにも彼らの提案を取り入れた、という体で軍の方針を決めることにしていた。

 藤吉郎はこういう「やってるアピール」を欠かさない男であり、彼が二十そこそこの年で一軍を率いることができる所以もそういう部分に拠っていた。


 そんな彼が、現在抱えている問題。

 それは、木下家が仕える主人の信長が求める援軍要請に対し、歩兵を送るか、騎兵を送るかといった問題に尽きた。


「馬を送るか、人を送るか。……いや、馬をか、人をかの二択じゃあ」


 またも、嘆息するようにひとりごちる藤吉郎である。

 彼の肚の中では、九割九分まで「人」──つまり歩兵を送ることで決めていた。諸々の理由はあったが、結局のところは「騎兵より役に立ちそうだから」に尽きる。

だが、藤吉郎だけが勝手に悩み、決めるだけでは将を集めた意味がない。それゆえ、先ほど吐いた台詞とため息なのである。


(お前ら、俺は二択で迷っておるのだぞ! どっちゃでもええから、はよう馬か人かで答えて場の空気を作れや!)


 というアピールも露骨な藤吉郎。

 ともすればかまってちゃんの達人の如き彼のパスに対し、騎馬戦に一家言を持つ配下の小松が進言する。


「悩むことはござらん。上総介かずさのすけ殿の此度の戦は、詰まるところ、奇襲をかけるか、籠城するかの二つに一つでござろう。騎兵を送らば奇襲においては言うに及ばず、籠城となれど馬は何かと役に立ちまする」


「ふむ……小松よ。お前の分析はちと安易な気はするが、聞こえようは悪くないな」


 安易どころか安直だ、と藤吉郎は思う。

 急戦か持久戦かの二極を想定し、馬の突破力を生かすか、そうでなくても食糧として役立つから馬を送れ、と小松は言っている。馬を送らばそれを御せるだけの武者も合わせて送らねばならないし、肉にして食うとて、それまで飼い葉と水をやらねばならぬのに。


 とはいえ彼もひとかどの将であり、合戦の経験から導き出した論理は単純ながらも明快である。藤吉郎は可とも不可とも取れる見解を述べ、他の意見を募った。


「いや、騎兵はないでしょう」


 発言者は、落合である。槍を握れば旗下に目立つ働きを見せる猛将でありながら、情報戦を好む一面を有した食えない男である。


「知っての通り、此度の戦備えは対今川を対策してのものだよね」


 と、ざっくばらんな口調で話す落合の声に座がどよめいた。


 今川義元いまがわよしもと──父の代より織田家と覇を競い、ここ尾張の地で信長との終わりなき争いを繰り広げている当代随一の武将である。

かねてより織田信長は今川軍とドンパチやっており、本年に至るまで火種は尽きていない。チクチクと嫌がらせを続けてくる織田家を一発ぶん殴るために、近々、大軍を率いて攻め上ってくるとの噂まであった。


 今川義元の軍勢は強力無比だ。

 彼が支配域に敷いた分国法『今川仮名目録』や、精強な軍を実現させた『寄親寄子制』はいずれも後世に残る制度であり、今川家とはまるで縁もゆかりもない中高生が頻出用語として出題される義元の事跡を記憶しているのも受験業界の日常風景である。


 敵は間違いなく史上最強の軍勢であり、ゆえに、藤吉郎は人・馬を「送る」ではなく「殺す」と言い直したわけだ。九分九厘死ぬと分かって兵を送らねばならぬのが悲しいところであったが、しかし、織田の拠点を守護する任務のために自身は前線へ出張らなくてもいいことに安堵する気持ちもあった。


 さて、落合の献策である。


「問題は、上総介殿あのお方がどこで戦うかだ。攻めるにしろ守るにしろ、地勢から単純に考えりゃ戦場になるのは、山間やまあい。でなければ、川沿いの低地だ。馬よりも、尾根筋に生える草藪や水浸しの泥地も歩ける歩兵を送るのがよろしいでしょう」


「山、川だと? なぜ山川にそこまで自信を持つ?」


「そりゃあ、砦を作ったり崩したりで、織田家うち今川家あっちが戦ってる場所だから」


 挟まる疑念の声に、落合は難なく答えた。

 実際のところ、彼の予測もそう遠くはない、と藤吉郎は思う。

 

 現在の織田家と今川家は、湾岸地帯へ根を張る商人たちの掌握と、そこへ繋がる川の近くへ築かれた小山城や砦の切り取りに奮戦している。超、超、超々乱暴に言えば、この時点で戦場は海か、山に二分できた。


 とはいえ、今川家が数年前に織田から乗っ取り、前線基地とした沓掛城くつかけじょうは海から離れている。下手に戦場として商人の機嫌を損ねるわけにもいかないだろうし、まあ、どこかの砦かその途上で衝突するだろうというのが妥当な見方だった。


 差し当たって怪しいのは、問題の海を見渡す位置にある大高城おおたかじょうである。ここも山間に築かれた城であり、やはり、山での戦いが重要といえる。


「然らば、人を送るか……」


 藤吉郎は、ひとり言というには、やや大きめの声でつぶやく。

 小松にしろ落合にしろ、二者の意見が出てくれたことに藤吉郎はある程度満足していた。二者択一の軍議において、双方を支持する意見が出た、という事実が重要なのだ。結局どちらに決まろうが、軍のコンセンサスがとれたという体になるから、藤吉郎が軍議を開いた目的は達成されたわけだ。


(が、このままでは、「先攻と後攻」による印象で決めたきらいがある。誰か、人でも馬でも良いから意見を発さぬものか……)


 見回してみたが、手を挙げる者は中々いない。

 落合の意見とて隙だらけなものであるし、山で戦うからこそ、騎馬の機動力を信長に授けるべし……という反論があってもいいものだ。しかし、仮想敵があまりに強大であるがために、居並ぶ将が思考を放棄しそうな空気が漂っている。


 ──騎兵には抗いがたい魅力がある。

 馬という、重く、熱く脈動する獣によって兵は強い力を得る。足軽では到底発揮できない重厚さと機動力を兼備し、何より陣容が派手になる。多少の費用が掛かろうが、支えるべき主人を力強く勇気づけるためにはこれ以上なき選択肢だ。


 が、問題は戦う相手と場所である。

 織田家はかねてより商人筋との関係性を重視しながら、戦いに明け暮れてきた。つまり、情報戦によって銭を稼ぎ、武具を整え、兵を売り買いして尾張にのし上がってきた家だ。情報を仕入れるために必要なのは、速さだ。馬であれ船であれ、他家に劣らぬ操縦術を見せる織田軍の騎乗スキルに対し、藤吉郎は旗下に加わった一武将として自信があった。


 ──だからこそ危うい。

 

 長年争い続けた今川家が、織田の強みを生かすような布陣をみすみす選ぶわけがない。精強な騎兵を選抜したとて、活きる前に封じられれば何にもならぬ。故にこそ、人なのだ。前線で命を張って戦う信長の、手となり、足となれる兵でなければ。

 実際のところ、勝敗を分けるのは馬の数と質であろう、と彼は読んでいる。しかし、戦場に活かせなければ馬に掛ける費用は死に金になってしまう。なれば、確実に戦力となる人をその分だけ多く送ればよい。


 藤吉郎の思考が煮詰まりかけた、その時である。




「二つに一つ。果たして、本当にその通りでしょうか」




 手を挙げたのは、末席に座る男であった。


 その名は、新左しんざもん


 名字は不詳。商人との駆け引きに長けることから、以前より軍議の座に加わることを許されていた者であった。

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