釣り人に光あれ

 スコールのような水煙が、四方八方に飛び散る。

 

 その威力たるや、もはや爆撃と言っていい。

 さすがのシアンも、これにはたまらず苦笑いを浮かべた。


 そして、その魚影は『透過』したまま宙高く舞い上がった。


 それは、あまりにも予想外すぎる展開だった。

 まさしく青天のヘキレキである。

 

 だが、飛び上がったことはわかっても、依然としてその姿を肉眼で捉えることはできない。


 空気に擬態しているとでも言うのか。


「そんな風に加護を発動させたら、だって言ってるようなもんだろ」


 シアンは、そう呟いてニヤリと笑った。


「あーそれと、ワチも加護持ちなんだ。その『擬態』は、本気で目を凝らしたワチには通じない」

 

 母親ツユクサと同じ〝蒼の眼〟を据えて、シアンは透過する魚を睨み付けた。

 高さ十数メートル程のところで、純白の鱗を持つ巨大な鰻が大口を開けながら落下してくる。おそらくヌシは、シアンめがけて放物線を描くように跳びはねたのだろう。


「そうきたか。自分から釣られにきたんなら、話は早い」


 だとすれば、ここから先は調理の時間だ。

 シアンは魔素の供給をストップし、魔法の釣り竿を手元から消した。

 包丁はないが、切れ味抜群のカタナはある。

 祈りと同じ速度で、対象を斬る剣術もある。

 シラユキオオウナギは鋭い牙を覗かせながら、ゆっくりと降下してきた。


 しかし、シアンを食らおうとするその、刹那――ヌシの頭が縦に裂けて、横に分断した。


 〝祈刀〟


 その斬撃の余波は――身を断ち切り、尾にまで届いていたのだろう。

 まっぷたつに切り分けられた二つの胴体が、シアンを避けるようにカーブを描いて、両肩の傍らをすり抜ける。

 後ろから、ごとっ、ぼと、どてっ、と立て続けに音が聞こえてきたことから考えると――どうやら二つに分かれたヌシの身体がそれぞれ地面に落ちたようだ。


「悪いけど、もう抜いている。三枚おろしとはいかなかったけどね」


 シアンは腰を上げつつ振り返ると、血で染まった黒刃を振り払うようにして鞘に収めた。


 二十二種コンプリート

 これで心置きなく、旅に出れる。


 なんにせよ、腹が減った。

 極東のスズシロには刺身という食べ物があるらしい。なんでも、生でおさかなを食べるとのことだが、特殊な調理法を用いるのだろうか。


 せっかく旅をするのだから、いつかは東洋にも行ってみよう、とも思う。


 シアンはそう思いながら、沼のほとりに横たわるヌシを眺めていた。まさか六メートル級のウナギを釣れるなんて思わなかった。

 さすがにデカすぎて本格的に調理をするのは難しいが、この大きさなら充分に腹を満たせそうだ。


 丸焼きにして食うか――、と。


 シアンは、湿った枝を一か所に集めて、火を起こした。

 頭から尾まで真っ二つになった鰻は左右に開いていて、その断面は美しく透き通っている。


「こんだけデカいと、身を小さくする必要があるな」


 シアンは腰のカタナに手を添えながら、両目をつむった。


「祈刀――二の型、七填しちてん八刀ばっとう


 刹那、八つの剣閃が煌めいたかと思うと――そこには綺麗に捌かれたウナギが並んでいた。


 その間、0.07秒。

 この剣技は、祈刀の型の一つだ。


 シアンが編み出した祈刀の型は全部で九つ。

 そのうちの一つである七填八刀は、0.07秒の間に八もの斬撃を浴びせるというもので、言わば超高速の居合斬りだ。


 祈刀は一対一の決闘ではおそらく無類の強さを誇るものの、複数の敵を相手にする時は、どうしても手数が足りなくなる。


 そこで、シアンは考えた。

 ならば、祈刀をもう一段階強化できないかと。

 その結果生まれたのが、今見せた二の型というわけである。

 七填八刀は、祈刀の型の中でもっとも手数の多い抜刀術であり、シアンが得意とする型でもあった。


 まさか魚の調理にこの技を繰り出すことになるとは、思ってもいなかったが。


「これで焼きやすくなったな。えい」


 捌いた大きな身を両手で抱えながら、シアンは火の中に投じていく。ジュゥ~ッという音と共に、香ばしい匂いが立ち上ってくる。


 その光景は、まさに圧巻の一言。

 何しろ、全長六メートルのウナギが丸々一匹分、目の前で焼かれているのだ。

 こればかりは、さすがに釣り上げた者の特権と言えるだろう。


「これ食ったら、この沼地ともおさらばだな」


 そんな、シアンの独り言をよそに鰻はどんどん焼けていく。

 まずは王都を目指すつもりだが、今日から自由に世界を見て回るのだと思うと胸が躍る。


(剣の道も、釣りの道も、一朝一夕とはいかないんだろうなあ)


 シアンはそんなことを考えながら、炎を見つめ続けていた。


 関所の方から上がっていた黒煙は風にさらわれてしまったかのように、もう消えていた。

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