8 祭りに向けて

「無礼な。女王の繊手に許可も得ず触れようとするとは何事ですか」

「……これは、女王直属護衛騎士殿。確か大会で優勝を飾った優秀な一代貴族であられるとか」


 冷ややかなアインハードの声に対し、皮肉で返すグレンロイ・ロゼー。

 ……え、何、今俺手を触れられそうになってたわけ? こいつに? 


(はー、なるほどな。近づけるうちに婿候補として気に入られとこうって魂胆ね)


 思惑があるのはお互いさまというわけだ。

 まあこいつ、二十代前半で顔はいいし、手をぎゅっと握られて微笑まれたら、ぐらっとくる令嬢は多いかもな。ふーん。経験豊富そうで結構なことですよ。けッ。

 俺はイケメンだろうが野郎に手を優しく握られたらぞっとするけどな。


「……とはいえ騎士殿の仰ることも尤もだ。陛下、突然不躾に失礼いたしました」

「気にしていないわ。奉納剣舞、楽しみにしています」

「ありがたく。では私はこれで。またのちほどゆっくり」


 それには応えず、客間から去っていくグレンロイを笑顔で見送る。

 彼の姿が見えなくなった辺りで、子爵がどこか申し訳なさそうに「従兄甥が失礼を」と言った。なるほど、子爵もロゼー侯に何か言われて彼をここまで連れてきたわけか。


 とはいえ別に咎めるほどのことでもない。不躾も戯れの範囲内だ。


「いいのよ。じゃあ、早速視察の予定について打ち合わせをいたしましょう」




  *




 祭が行われるのは二日間。初日も二日目も出店が並び、二日目は祭のために設えられた舞台で舞や劇の披露がある。その大トリがグレンロイの奉納剣舞だ。


 俺たちは初日の午後にリェミーに到着したので、視察をするのは二日目とし、初日はロゼー領の貴族や騎士・兵士、それから町長や祭の責任者などの挨拶を受ける。皆そろって緊張した様子ではあったものの、女王の訪問を迷惑に思った様子ではなかったのは少しほっとした。……まあ、諸手を挙げて歓迎されているふうでもなかったが。


 とはいえ話しているうちに打ち解けてくれたし、悪印象を残してはいないと信じたい。



「どうです、女王様。明日はよければ新市街の出店に寄りませんか。内陸にはないうまい食べ物もたくさんありますよ」

「まあ、そうなの? それはとっても素敵だわ」

「こ、こらっ、委員長、何を言う。陛下がガラの悪いやつも多い新市街の出店などに出向かれるわけあるかっ。何かあったらどうする気だっ」

「ひでえなあ城主様」


 ――なんて会話もあった。海の男が多い港湾都市だからかカラッとした気風の気持ちのいい町民が多く、祭自体も楽しそうだ。




「――というわけで、出店に行こう! 新市街の方が店が多いらしいから新市街だ!」

「何が『というわけ』なのかさっぱりわかりませんが」


 そして翌朝。

 開口一番そう告げると、アインハードが盛大に眉を顰めた。


「昨日から海辺の出店が気になって仕方なかったんだ。王都では魚介に舌鼓を打つなんてことは難しいからな。ああも魅力についてプレゼンされたら行きたくもなる」


 朝餉も簡単な身支度も済ませ、今は自由時間だ。昨夜は社交に精を出したことだし少しだけでも遊びたい。


 だが、アインハードの返事はつれない。


「ガラが悪いやつも多い、とのことだったでしょう。危険な場所へお連れするわけにはいきません。お怪我をされたらどうするんです」

「そのためにお前がいるんだろ。俺は最近ので精神が参ってるんだ。この視察を終えればすぐに王宮で例の件の対処。少しくらい羽を伸ばさなければやってられない」

「……」


 はー、とアインハードが額に手を当てて深い溜息をつく。……そんなに呆れなくてもよくないか?

 くっ、負けるな俺。気合を入れて説得を重ねる。


「魔術で姿を変えるくらいどうとでもなるだろ。髪色と目の色を変えて服を変えれば俺が女王とわかる者なんていない。変装の上、『この口調』で振る舞えば俺と女王をつなげて考えるやつなんぞ――いるはずがないわ。そう思うでしょう、イーノ?」


 アインハードは答えない。ううう、こいつ、他国のスパイのくせに俺を守るという職務に忠実すぎる。


 俺が歯噛みしていると、外から入室許可を求める声がした。入って、と言うと、子爵がどこか恐縮したように入室してくる。


「おはようございます陛下、スターニオ殿」

「おはようございます子爵。どうかなさったの?」

「実は、奉納剣舞の件でお耳に入れたいことが。……あの、陛下のためには特別に見物席を設けさせていただく予定ではあるのですが……」

「ええ、聞いています、ありがとう。……それが?」

「実は舞や劇のさなか、他の客は、ものを食べたり飲んだりしながら見物してよいということにしておりまして……」


 なるほど、飲食OKなわけね。まあ野外の物見なら普通だろう。「そうなのね」


「それで、陛下におかれてはお目汚しになるかと思い、もしもお気に召さなければ見物中の飲食は禁止ということにしようかと」

「……。えっ? そんな」


 どういうことだ? お目汚し?

 一瞬頭の上に疑問符を浮かべたが、しばらく考えて自分で納得した。

 ……そうか。王族のする観劇というと、だいたい大きく立派な劇場でオペラを見るくらいだもんな。オペラ見ながらメシを食うやつはいない。つまり、慣れないなら不快だろうからやめさせるがどうするか、と聞かれているのだ。


 ないない。それでやめさせたら当初の目的とは逆を行ってしまうじゃないか。


「禁止にする必要はないわ。わたしもそのならわしに従いましょう」

「さようですか、安心いたしました」


 子爵はほっとしたような顔つきになる。うん、俺の返答は間違ってなさそうだ。


「では陛下や騎士殿のためにもこちらで軽食をご用意いたします」

「ええ、ありが……」そこまで言いかけて、俺ははたと言葉を止める。そして続けた。「……いえ、やっぱりその必要はないわ」

「と、言いますと」


「こちらで調達します。

 大丈夫よ、問題になるようなことはしませんから」


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