7 東部港湾都市リェミー

「……、陛下。いい加減怒りますよ」

「は? なんだいきなり……」どすの効いた声に一瞬目が点になるが、すぐに合点する。「……あー、まあ、いたら王子が単身こんなところに来てないか。悪かった、悪かった。相手がいないのはお互い様だな」


 すると、そうじゃないと言わんばかりに睨まれる。

えええ、じゃあなんだというんだ。


それになんでか知らんが、さっきまで直りかけていた機嫌がまた傾いていないか。最近、シャルロットはもとよりお前も結構情緒不安定じゃない? 大丈夫? 


(……にしても……)


 ついつい頼ってしまうがアインハードも魔国の王太子なのだ。それを忘れるわけにはいかない。彼はあくまで魔族で、他国の人間だ。

いつか、きちんと従属の契約も破棄し、俺から解き放ってやらなきゃならない。


「……おっと。そろそろ着くな」


 おしゃべりに興じている間に、馬車の窓からはリェミーの城門が見えるようになっていた。俺は居住まいを正す。

 さあ、休憩は終わり。……政治の時間である。




  *




 馬車を降りればすぐに潮の匂いがした。吹き付ける風は湿っているが温かい。


 リェミーは港湾都市だ。城塞を起源とする旧市街と、百年ほど前に実施されたという都市拡張計画によって建設された、碁盤の目のように正方形の街区が並ぶ新市街からなる。

 まず挨拶のために訪れた城の窓からも海が見える。薄青の空と群青の海。今世では海を見るのは初めてだったが、遠目でも非常に美しい。


「おや。陛下は海は初めてですかな」

「ええ。とても奇麗ね……あれは鴎かしら」

「よくご存じでいらっしゃる」


 応接間に案内してくれたおじいさんが気さくに話しかけてくれる。使用人の恰好をしていたが、幾人もの召使や従僕を従えていたので、城主の家宰か何かなのだろう。


「城主はすぐに参ります。本来なら御身をお待たせするなど無礼極まりないことなのですが、城主は明日の支度でてんてこまいでして……」

「構いません。こちらこそ多忙な時期にごめんなさいね」

「とんでもないことでございます。我らの伝統的な祭を陛下にご覧いただけることを、リェミーの民一同光栄に存じます」

「そう言っていただけるとこちらとしても嬉しいわ」


 その後も二言三言交わしたあと、そろそろ城主が参りますので退出しますとおじいさんは出て行く。

途端、後ろに控え、黙って話を聞いていたアインハードがぼそりと。


「事前に来ると伝えているのだから、支度くらいとっとと済ませておけばよいものを」

「こらこら……」


 まあそれはそうだが、ナメられているのだろう。いや、正確には人格を見極められている――のかもしれない。些細なことで激高する人間であるか否か。あるいはナメられっぱなしの弱王か否かということを。


 リェミーの土地の持ち主であるロゼー侯は俺を完全に舐め腐っている。ここの城主はロゼー侯に統治を任せられた貴族だというので、俺がろくに中央貴族をまとめられていない薄弱の王であることは知らされているだろう。


 ――どうにか味方を増やしていかなければ。


「陛下! ああ、お待たせしてしまい、大変申し訳ございません」


 気合を入れ直したところで城主のヴェロン子爵が慌ただしくやってくる。

 都市の様子から貧乏というわけではないだろうに、華美でない城の様子からなんとなくは察していたが、城主はロゼー侯とは似つかず、文人というより武人といった風情だった。粗衣とまではいかずとも、王宮に出入りする飾り立てられた文官と比べると質素ななりだ。


「ご機嫌よう、ヴェロン子爵。……あら、随分と急いできたのね」

「それは……これ以上お待たせするわけにはと」


 恐縮した様子の子爵に、こちらを侮った様子はない。……これは、ナメられているというよりも、単に礼に疎いだけか?


(うーん。まあ、よわよわ女王だから適当に試しておけって言われてはいても、多少は王の威光に恐縮してくれているのかも……)


 中央貴族と違って、辺境の領主や代官は、普段から王城に伺候することはほぼない。慣れなければ緊張もするだろう。

 ……と、そこで子爵の後ろにいる青年に目が留まる。きりっとした顔立ちはどこかで見たことがあるような。


「子爵。そちらの方は?」

「ああ、彼は……」


 子爵が青年を振り返ると、青年はその場で王族への略礼を取った。


「――ご挨拶させていただくのは初めてです、女王陛下。ロゼー侯爵が長子グレンロイと申します。子爵の従兄甥に当たります」

「ロゼー侯の御令息……」


 そういえば舞踏会やら夜会やらで会ったような気がする。言われてみれば似てるし。侯爵子息に相応しく、身なりも貴族らしく整っている。


「あなたも祭に参加なさるのかしら?」

「ええ。領主の子が祭の奉納剣舞をする伝統があるのです」

「奉納剣舞。そういえば、海の大神に捧げる舞があるとお聞きしたわ。あなたが舞い手でいらっしゃるのね。わたしも舞を拝見する予定でいるのよ」

「はい。女王陛下に見ていただけるとは、身の引き締まる思いです」


 にこりと笑ったグレンロイがずい、と一歩近づいてくる。


「――麗しの女王陛下の御目を、少しでも楽しめることができればよいと思っているのですが……」


 そして、こちらに手を伸ばしてきて――横から伸びてきた手がそれを阻んだ。

 

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