29 細剣の手帳

 *


 


「では兄君は、その宝物入れとやらに細工をしようと思えば、いくらでも細工する機会はあったということですね?」

「うん、そういうことになるな」


 南の商人たちの話をアインハードに話した俺は、奴を連れて、私室に戻ってきていた。

 申し訳ないとは思ったけれど、ヒルデガルドは撒いてきた。護衛騎士とはいえ私室で男と二人きりなんて、と言われそうだしな。


 まあ従属の契約なんて結んだ奴のことを(勝手にやったのはアインハードだが)、疑うというのも馬鹿らしい。

 面倒なので考えるのはやめにして、とりあえず俺は兄の遺した言葉に従い、アインハードと一緒に例の宝物入れを探すことにしたのである。



「――ああ、あった!」


 私室の物入れを漁って、ようやく見つけた。


 倉庫にはしまいたくはないが、アーダルベルトを思い出してしまうものだからと、私室の奥に、見えない場所に隠しておこうとしまい込んで早十年。隠した場所などもう忘れかけていたが、当時の自分の心境を思い出しながら探せば、そう時間はかからなかった。


「これだ……。懐かしいな」


 王子から贈られたものだけあって、ただの小物入れとはいえ誂えは非常に立派だった。外には細やかな装飾が施され、入れ物そのものが芸術品のようである。


 おそるおそる開けてみると、中身は記憶のままそこにあった。

『ディアナ』のお気に入りの髪飾り、アーダルベルトからもらった宝石の欠片、自作の押し花の栞、覚え書。


「底に何かありそうですか?」

「いや……。ん、待て、ここに入ってる小物が立てるにしては、やけに重い音がする」

「ふむ。では、分解してみますか」


 ああ、と頷けば、アインハードがぱちんと指を鳴らす。

 すると次の瞬間には、部品は一つたりとも傷つけられていないまま、小物入れがバラバラになっていた。


「……分解の魔術か? 詠唱もなしにこんな……なんて出鱈目な技量だ……」


 さらっとやってるけどお前、無詠唱で魔術発動って、相当高度なことなんだぞ。

 しかしアインハードは「今さらでしょう」と、しれっとした顔で鼻を鳴らした。


「それよりディアナ殿下、これを。どうやら二重底になっているようですよ」


 ほら、と、アインハードが、小物入れに主に使われていたのとは少し違う材質で作られた薄い板を手にする。

 なるほど、それが二段目の底になっていたものらしい。アーダルベルトが細工して取りつけたのだろう。おそらくだが。


「それで、底と底のあいだの空間に隠されていたものは……それのようですね」

「ああ……」



 ――小物入れから出てきたのは、手帳だった。



 それも紙を集めて紐で閉じただけの簡易的なものではなく、きちんと表紙裏表紙までついている、しっかりとしたつくりのものだ。

 表紙には、細剣(レイピア)が金糸で刺繍されている。俺を表す紋が三日月であるなら、細剣は第一王子(アーダルベルト)を表す紋だ。つまりこれは、アーダルベルトの持ち物で間違いない。


 開いてみましょう、とアインハードに促されるままに、アーダルベルトの手帳の表紙に手をかけた。

 恐る恐る、手の震えを誤魔化しながら。



 兄が、一生誰にも見つからない可能性もあるような不確実な方法を取ってまで、伝達に慎重を期した情報――。



(あ。

 手帳、に、何か挟まってる……?)


 まず手に取ったのは、折り畳まれた数枚の紙だった。こちらはおそらく数十年前のものだろう。随分と劣化している。


「これは……大学の研究室の名簿の写し、でしょうか? どうやら学生たちが著した論文の題名も書写してあるようです」

「大学の研究室……?」

「三十年ほど前の魔物の研究室の名簿のようですね。こちらが三十年前、こちらが二十九年前のものです。ほら、三十年前の名簿に宰相閣下の名が」

「あ。本当だな」


 確かに、グンテル・エクラドゥール、とある。

 爵位の記載がないのはまだ無爵の公子だったからだろう。


 宰相が魔物の研究者であったことは、貴族社会どころか一般人のあいだにもよく知られていることだ。

 文官になり、公爵の爵位を継いだことで、その道を外れたことも。


(でもなんだって当時の名簿が……、ん?)


 ちょっと待て。

 俺は三十年前の学生名簿の写しにあった、一つの名前を見て目を見開いた。

 なぜならそれは、



「クサヴァー・シュルツハルト……」



 ――シュルツハルト辺境伯の名前だったからだ。


 どういうことだ。辺境伯と宰相は研究室の同期だったということか。キャロルナ公爵の支持者であるより前に、辺境伯は宰相と繋がりがあったのか?


(もしかして、二人は親しい関係なのか?)


 なら、どうして――辺境伯は俺に危害を加えようとしたんだ?


「ん……? 殿下、二十九年前の名簿を見てください」

「どうした?」

「――宰相の名前が消えているんですよ。シュルツハルト辺境伯の名前はそのままなのに、彼だけが研究室からいなくなっている。……二人が同期なら、宰相だけ卒業した訳ではないですよね?」

「本当だ……」


 なんでだ?

 いや――そういえば、宰相が大学で優秀な研究者であったとは聞いていたが、大学を『卒業』した、という話は聞いたことがない。


 優秀だったなら当然優秀に卒業したと思い込んでいたが、彼は大学を中退していたのか? 

 いったい、どうして――。

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