18 守るべきもの
「!」
こちらの変貌に驚いたのか、アインハードの目が大きく見開かれるのがわかった。
しかしそれをあえて無視して、俺は続けた。
「……たとえ俺が死んでも、あの子だけはこの国に認められて存在しなければならない。ルネ=クロシュの聖女とは、そういう存在なんだよ」
王族はキャロルナ公爵がいる。王位継承権を持っていなくても、王弟は王弟だ。王室典範で、王族に復帰することが認められている。
俺は替わりがきく存在だ。
だがシャルロットは違う。
聖女の死は自然死たるべきで、また、その死は祈りとともに送り出され、死出の旅路は厳かに祝われなければならない。――でなければ、国に災厄が訪れる。その言い伝えがあるし、聖女が殺害されたのちに災いが連続したという史実がある。
だから、もしアインハードが俺をニセ聖女だと断罪したとしても、それにシャルロットが巻き込まれることだけはなんとしても回避しなければいけないのだ。
俺は王女として、国に齎される災いを退ける義務を負っている。
「だからシャルロットを貶めることだけは、たとえお前でも許さない」
シャルロット自身の名誉を守るためにも、そして、国を守るためにも。
聖女を装っている俺が言えたことではないかもしれないが――それでも、いつか訪れるかもしれない万が一の時のために。
「…………」
アインハードがどこか呆然として俺を見ている。
口調が変わったのがそんなに衝撃的だったか? ……まあ、今更、どうでもいいことだ。
「楽しいか、と、お前は聞いたな。――楽しいわけがないだろうが!」
ふざけるなよ。俺がこのことでどれだけ苦労したと思ってる。
俺は一度だって月の神子の栄誉を望んだことはない
シャルロットができないと言ったから、それ以外に方法がないと思ったから、聖女を騙り、笑顔を保っていたのだ。
「義妹のもののはずの名声、賞賛、栄誉。それを横からかっさらうことが楽しいだと? ――ふざけるなよ。俺はそこまで根性曲がりじゃないし、恥知らずでもない。ずっとずっと偽物の称賛を受け取って、息が苦しかった。放り出せるものならとっくに放り出してる!」
一度始めてしまった舞台だ。途中で放棄はできないのだ。
だから、俺は今も月の神子でいる。分不相応な役割を背負って立っている。
尊ばれるべきは自分ではないのだとわかっていて、それでも。
「……何も知らないくせに、知ったような口をききやがって」
八つ当たりのように怒鳴りながら、怒鳴った分だけ、自己嫌悪と怒りがより強く肚の底で渦巻く。……否、実際、これは八つ当たりだ。無力な自分への怒りの持っていきどころがないから、目の前の男に発散している。
自分の愚かさを自覚しながら、俺はハ、と鼻で笑ってみせた。
「それに、騙すだのなんだのと、お前が言うのか? ――魔国オプスターニス王太子、アインハード」
「! な……ッ」
ここに来て初めて、明確にアインハードの顔色が変わった。
それを見て少しだけ留飲を下げる。……そして少なからず奴の動揺を愉快に感じる己に、また腹が立った。
「どうしてそれを……」
「どうして? 俺が何も気づかず、知らないままでいるとでも思ったのか? 俺には俺の情報網がある。……それにお前、別に本気で隠す気、なかっただろ? 腕っぷしだけが自慢の田舎の平民武人にしちゃ、挙措が優美に過ぎたしな。宮廷作法なんて、一部は俺より詳しいくらいだった。感服するよ」
――バカにしやがって、と、吐き捨てる。
事実、人を侮っているからこそできる振る舞いだ。誰にも気づかれない自信があったのだろう。
……実際、その自信は正しい。俺以外の誰もこの男の正体を気づいていないし、俺だって、『前知識』がなければ気づかなかったはずだ。
「何が目的か、か。それはむしろこっちのセリフだろうよ。魔国の王子が敵国の護衛騎士に扮して一体何がしたいのか、教えてほしいもんだ」
いや、聞かなくてもわかる。
少なくとも城に潜入を決めた時のこいつの目的は、いずれこの国を亡ぼすために必要な材料を探すため、というものだったはずだ。
それがシャルロットとの出会いでどう変わったのかは俺の知ったことではないが、この国の敵になるなら国民を騙して、人の功績を掠め取って嬉しいのかなどと、説教される筋合いはない。
(ほんっと俺、何してんだろうな……)
掴まれた手首が痛くなってきたため、手を開いてペーパーナイフを床に落とした。毛足の長い絨毯に、ペーパーナイフが落ちた、マヌケで柔らかな音が吸い込まれていく。
――わかってる。
俺が、国民に胸を張れるような立派な王女じゃないなんてことは、俺が一番。
「……自分でも、何をやってるんだろうなって、そう思うことばかりだ。……お前の言う通り、俺は次期女王としての影響力は低いし、俺の発言力も弱い。対立派閥が幅を利かせ、誰が味方で誰が敵かもわからない」
俺は、掴まれたままの右手の薬指にはめた金の指輪に視線をやった。
いい国にすると――貧しい子どもたちが、お腹いっぱい飯を食える国にすると、あの日あの子に誓ったはずなのに。俺はいまだ、戦いのスタートラインにすら立たせてもらえない未熟者。
それなのに、真の聖女を騙るだなんて問題も、自ら抱えてしまっている。
本当、俺は、空回ってばっかりだ。
うまくやろうなんて思ってても、たくらみがうまくいったためしがない。
「この国を、国民が飢えない、皆が笑って暮らせる国にしたいと言いながら、口ばかりだ。女王になるための基盤は整ってない、敵は多い、秘密も多い。誰を信じていいのかわからない……」
道は遠い。約束を果たせる日が来るのかどうかも、わからない。
――けれど。
(だったら、どうしたらよかったんだ、俺は。聖女の偽称に関しても、他にやりようがあったのか? 俺の判断がやっぱり間違ってたのか?)
何度後悔すれば、俺は理想の人生を歩むことができるんだろう。
「……王太女殿下。最後に一つだけよろしいでしょうか?」
俺の手首を掴んだまま、アインハードがやけにしおらしい声で、呟くように尋ねてきた。
心なしか、手首を掴んでいる手の力も弱められている気がした。
「最後にひとつ、ね。もういい、この際、なんでも聞いてくれ。俺にはお前のやりたいことも目的も何もわからないままだけど、こっちはいろいろしゃべったことだし、今さらだ。……ああ、別に無理に畏まる必要はないぞ? 立場は対等だろう。王太子殿下」
「いえ。今の俺はあなたの護衛騎士ですし、それに――初めから申し上げているでしょう。俺の目的は一つです。確認したいことがある、それだけなんです」
「その割には余計なおしゃべりが多かったようだが。で? 何が聞きたいんだ」
さっさとしてくれ、と、ほとんど自棄になってそう言えば、アインハードが少し眉尻を下げた。
初めて見る表情だった。到底次期魔王らしくない、寂しげな顔に面食らう。
しかしアインハードはそれ以上『余計なこと』は言わず、静かに質問を投げかけてきた。
「――この国では、王族は金の指輪を、貴族は銀の指輪を身分証代わりにはめる風習があると聞きました。
指輪の細かい意匠は、指輪の種類が同じであれば、同じなのですか?」
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