第3話

 広場に面した通りには、小さいながらも幾つかの店が軒を連ねていた。自分たちが品物を届けに回っている通りとは違い、こちらは家具や衣類などの、いわゆる既成の生活用品を扱う店が集まっているようだ。集落も雪景色だが、この辺は雪かきが行き届いており、道に積雪はない。

 隼斗ハヤトの言う雑貨屋は一番端にあった。厚いガラス戸の入り口まで雑多な品物が溢れている。そこから見える一角に、古書が積み上げられているのが目に入った。

「魔術書なんかもあるみたいですよ。見てみたら何か掘り出し物があるかも」

 隼斗が、ダリュスカインの視線に気づいて、にこにこと朗らかな口調で言う。

 ダリュスカインが黙っていると、隼人は結迦に「あっちが工芸品の棚だ。ついて来て」と声をかけ、店の奥へ入って行く。結迦が、ダリュスカインにちらりと視線を投げた。

「俺はそこの古書を見ている。行ってくればいい」

 心に立ち込めた正体の掴めない揺らぎを悟られぬよう、静かに口を開く。すると、結迦は安心したように「はい」と返事をして隼斗の後を追った。

 

 果たして、古書の山はなかなかの年代物から、比較的まだ綺麗な本まで混沌と置かれていた。ダリュスカインはそっと、上に載っている本をどかしながら、魔術に関する書物がないか目を配る。

 そこに、隼人の声が飛び込んできた。

「結迦は、もっとお洒落した方がいい。ほら、これなんかどう?」

 ダリュスカインは視線を上げ、奥の棚に見え隠れしている二人の方へ、無造作に目を向けた。

 隼斗は爽やかな青年という印象で、なんとも屈託がなく真っ直ぐな若者だ。結迦も気を許し、同い年ということで親近感を持っているのがありありと分かる。


 隼斗が、結迦の耳元に何かあてがい微笑んだ。それを受け、遠慮がちにはにかむ結迦の顔を見た瞬間──

 

 ダリュスカインは急に、なぜだか見続けてはいけない衝動に駆られ目を逸らした。古書の上に置いた左手の指先が、心なしか冷えている。

<なんだ?>

 経験したことのない感情のざわめきに、彼は人知れず戸惑った。


 あくまで古書を見る素振りのままで奥の棚を伺うと、二人は打ち解けた様子で笑顔を交わしている。

「ほら、可愛い」

「本当? 自分じゃ見えないわ」

「鏡があるよ」

 鏡に映る自分の姿をどう捉えたのか、「本当」と背を向けている結迦が嬉しそうな声を上げた。「だろ?」と隼斗。その屈託のない笑顔と、結迦へ注ぐ温かな眼差し。


 唐突に、ダリュスカインは答えに行き着いた。思えば前回、初めて結迦とともにここを訪れた時に、すでに頭の片隅では感知していたのだ──そう。隼斗は、間違いなく結迦に思いを寄せている。


<結迦>


 今度は指先だけでなく、全身が冷えるような気がした。外は冬の空気でまだ寒い。でも、これはそのせいではない。

 

 この右前腕を失った死闘の末、瀕死で倒れていたところを結迦と宗埜ソウヤに助けられてから、もうじき半年。

 一度は離れたものの、生還を果たし再会してからは尚、結迦は常に当たり前のように傍にいて、片腕を失くして不自由さを意識する時には、それとなく手を差し伸べて支えてくれる存在だ。毎朝、ダリュスカインの長い金髪を結い上げるのも彼女の役割となっている。

 しかし、自分たちが一体どんな関係かと聞かれれば、その答えは──

 

 否、思いが通じ合ったような気はしていた。

 けれど、口にしてはいない。そして。


<結迦からも、聞いてはいない>


 その事実に辿り着くと同時に、結迦の元を離れている間に重ねたおぞましい罪の記憶が、蓋を開けて蘇った。

 捻じ曲がった私怨を利用され、自我を封じ込まれ──だが他ならぬ自分が奪った、罪なき者たちの命。背負った咎。自分が敗北した原因は、見えざる闇につけ込まれた結果だ。まんまと操られ、闇の手に堕ちた自分の過ちは、消すことなど出来ない。

 

<赦されるとでも、思ったのか>


 ほんの一時でも。

 心穏やかに、幸せを享受する資格があるとでも。


 こみ上げてきた動悸に耐えられなくなり、ダリュスカインは足早に店の外へ出た。目についた大木の下の長椅子にふらふらと腰掛け、目を閉じて視界を遮り呼吸を整える。

 心臓近くの貫通痕が、微かに疼いた。


<こんな場所を刺されて、生きているなど>


 今度こそ、結迦とずっと安らかに暮らせるという根拠が、どこにあるというのか。

 結迦はまだ二十歳だ。声だけでなく、本来の柔らかな明るさも取り戻した彼女が、八歳も上の、罪に穢れた自分の傍にいるのは、あまりに不釣り合いだ。そんなことにも気づかず、何を勘違いしていたのだろう。

 

 その時──


「カイン?」

 声がして、ダリュスカインは目を開けた。結迦が身を屈め、不安そうに自分を覗きこんでいる。

「大丈夫?」

「──」

 何も言えずに、彼は結迦を見返した。

「少し、顔色が……」

「大丈夫だ」

 結迦の手が、あまりに自然にダリュスカインの頬に伸びてきたので、彼は反射的に顔を背けた。あからさまな拒否に、結迦の瞳に動揺が走る。

「気安く触れるな」

 つい語気が強くなり、自身も狼狽えたダリュスカインに向けられた彼女の深緋色の瞳が、どうして、と問うている。

 片腕をなくし、重傷の身であった頃からダリュスカインの世話を引き受けてきた結迦にとって、彼に触れるのに今さら気安くも何もない。急にこんな態度を取られる理由が、彼女に分かるはずもなかった。

 しかしそれは、ダリュスカインも同じだった。

 身体が不自由な成人男性の看護など、老齢の宗埜だけでは手に負えないのだから仕方がない。最初こそ、異性に身体の面倒を見られることに抵抗があったものの、いつしか、触れるたびにその指先が与える癒しを、彼は自覚を持って受け入れていた。なのに。


「大丈夫ですか?」

 いつの間にか隼斗が、心配そうに結迦の後ろに立っている。

 ダリュスカインは立ち上がった。

「先に獣舎に行っている」

「え?」結迦も立ち上がり、訝しげにダリュスカインを見上げた。

「せっかくだから、隼斗にもう少し案内してもらうといい」

「でも……」

「俺がいては、気兼ねするだろう」

 ダリュスカインは、戸惑う結迦の視線を断ち切るように身を翻した。

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