1話目 使命

 指にじんわり溶けこむ様な、七月末のぬるい海風の中、クリストフは最後の一つの発火装置を、桟橋の手すりの根本に仕掛けた。

 今取り付け終わった発火装置、クリストフの属する組織で鉛筆爆弾と呼ばれている物が、あと三時間後には火を噴いて、桟橋で火事が起こる。

 そしてその三十分後、深夜二時頃には、今港に停まっている船のジョンソン17号の艀の上の超大量の爆薬と、港の貨車の中にあるさらに大量の弾薬の中に仕掛けた鉛筆爆弾が発火し、大爆発を起こす。

 夕方までは海夫や行商人で賑わっているこのブラック・トム港には、日が落ちた今誰もいない。海面に揺れる月の光のみを頼りに作業をし終えたクリストフは、港から見える自由の女神を背にして、街に戻る道を歩き始めた。

 港の倉庫の間を抜けると桟橋に出る。それを渡り、隣の港街に歩いていくと、とても賑やかな声達が聞こえ始める。今クリストフが歩いている通りに何軒もある酒場の内の大半は、客が店から溢れて大声で話している。ここ最近は毎晩こんな様子で、特に屈強な軍人や船乗りがよく目立つ。ニューヨーク湾に面するこの港町一帯は、戦争中であっても騒がしい。むしろ戦争中だからだろうか。戦争が始まってから軍人や商人の客足が増えた、と、町に住む人々の大半は嬉しそうに、まだまだ下っ端の軍人であるクリストフにも語ってくれた。

 四年前にこの町にやってきたクリストフは、陸軍の兵役についている。緊迫する情勢の中、祖国のために、家族のために役立ちたいと思ったからだ。その気持ちが揺らいだことは一度もない。全ての任務を遂行し、何事もなかったかのように帰るつもりだ。ドイツに帰るつもりだ。スロヴァキア系ドイツ人のクリストフは、この第一次世界大戦において、ドイツのスパイとしてアメリカ陸軍の中で活動していた。この町での最後の任務は、鉛筆爆弾という発火装置を用いて、イギリス等敵国にアメリカから供給される弾薬と爆薬を燃やす、というものだった。

 先程その仕事の準備を終えたクリストフは、今まで様々な酒場をめぐってきた中で、まだ一度も行ったことがない、通りの一番奥の酒場に入った。あと少し経てば爆発してしまうこの町に、まだ知らない部分があるのが少し惜しくなったからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

破壊の貞操 石田くん @Tou_Ishida

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ